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おかげは受け徳、受け勝ち。

僕のところの教えに「おかげは受け徳、受け勝ち」というものがあります。これまでは「おかげ(神さまからの恩恵)はもらい放題。もらっただけ得なのだから、もらった者勝ち」くらいに考えていましたが、もう少し考えてみたいと思います。

おかげとは、すべての人に降り注ぐ雨や日の光のようなものだと捉えています。太陽の光は、すべての人に降り注ぐのですが、ずっと日陰に隠れていたら青白く不健康な身体になってしまう。それぞれがいかに受けていくかが大切になってきます。

また、ごちそうは誰かを誘ってしまうと自分が食べれる量が減ってしまうけれど、おかげは限りのないもの。だから、おかげは分け合っても減りはしません。むしろ、分け合った相手が助かれば自分の徳になるので、おかげも徳についてくる。分けたはずが増えていく、そんなダイナミズムがおかげにはあると思います。

おかげは沢山あるから、沢山持って帰っても誰の迷惑にもならない。持って帰れば持って帰っただけお得なわけです。じゃあどこに詰めましょう。

お参りに来て、横に風呂敷を広げて神さまにお願いしていた方の逸話があります。訊くと風呂敷いっぱいにおかげを持って帰りたいと言うのです。それに対して、教祖は「受けられるおかげは船にも車にも積めないですよ」と仰って、その方は恐れ入ったという、まあそういう話だったかと思います。(いい加減だなあ…。)

この逸話は私たちが思っているよりも大きなおかげを頂くことができるというエピソードですが、それと同時に、おかげは物理的に持って帰れないことも教えてくれます。「おかげは和賀心(わがこころ)にあり」とあるように、心に詰めるものなのでしょう。心いっぱいに詰める必要がありますね。

たまにテレビで流れるスーパーマーケットや道の駅でのひと幕。野菜詰め放題の催しに腕まくりする主婦の方々が野菜を詰めるビニール袋を十分に伸ばし、そこから隙間なく丁寧に野菜を詰めていく様子には感動を覚えます。

船にも車にも詰めきれないほどのおかげなのですから、心もビニール袋のように十分に伸ばしてあげる必要があるでしょう。これが信心の稽古なのだと思います。

でもビニール袋と同じように、心も破れやすいので慎重に。慎重に。日ごろからゆっくりと伸ばし続けないといけませんね。

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