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根拠よりも大切なのは、「もったいない」と思える感性だと思う

地球温暖化はCO2の増加によって加速する、というのは、一般的にもっとも広く認知されている考え方だと思います。

しかし、研究者によっては都市化や自然変動による影響が大きいとされる場合もあります。

いったい何が正しいのでしょうか・・・。

少し大きな話になってしまいますが、政府やメディアによって提示される、CO2の削減という分かりやすい指標によって、私たちは「CO2は悪である」という印象を植え付けられているように感じます。

CO2は地球温暖化をもたらすファクターの一つではあるのかもしれません。
しかし正直なところ、科学者でない限り、実際問題CO2が地球温暖化に関係していてもいなくても、それを判断するすべはありません。

できることといえば、目の前の生活を少し変えていくことであり、それはもはや個人の倫理観による部分が多いのではないかと感じます。

例えば、レジ袋の代わりにエコバッグを使ってゴミを減らすのは、環境問題がどうのというのは全く別の問題として、妥当な考え方だと思うことができます。

また、必要以上のエネルギーや資源は使わないに越したことはないのですから、節電や節水をはじめとする取り組みも、生活の営みの中でごく当たり前にすることができます。

でも、今やこれらは環境のための取り組みの代名詞のようになっていますが、別にそんなものなくたって、個人の価値観のレベルで普通にやってきたことだと思うのです。

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地球温暖化に限らず、現代の社会課題にについて知れば知るほど、
理論的に何が正しいかどうかよりも、日々の暮らしのなかで一人一人が真っ当な判断をすることが何より大切なんじゃないかと感じるようになってきます。

(世の中には貧しくてご飯を食べられない人もいるのだから)残さず食べましょう。

(地球上の資源はどんどん枯渇していっているから)使い捨てはやめましょう。

(輸送するにあたっては多くのCO2が排出されるので)出来るだけ地産地消の取り組みをしましょう。

などなど…

あえて()をつけて書いたのは、その中の部分、いるのかな?という気持ちを込めています。

社会課題の文脈でよく語られることですが、別にそんなこと関係なく、普通にやってますよ〜。と、言いたい感じ。

もちろん、だから社会課題のことなんて知らなくていい、という無責任なことを考えているわけではないのです。

問題は、これまで誰もがごく普通にしてきた行動が、普通にできないような社会システムになってしまっていること。

そして、それはもはや個人のレベルではどうにもできないことなんじゃないかなと思います。

だからこそ、社会課題を知ろうとすることは必要だけれど、結局はデータ云々ではなく、個人の倫理観、感性に基づいて行動していくこと。根拠より、例えば「もったいない」という気持ちを持つこと。それが一番身近で、大切なことだと思っています。

念のため、科学の研究は無駄だということではなくて、諸説ある中で一般人が何を信じて、どんな行動を選べばいいのかはとっても難しい…ということを言いたい記事でした。

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Akari Miyama
OKUYUKI という屋号のもと今春ライフスタイルコーディネーターとして出発しました*・゚* before>書店 図書館 出版社 日々当たり前に受け入れている物事の背景、そこに潜む課題に少しの関心や好奇心を持ち「知ろうとすること」を大切にするライフスタイルを発信しています!

**思いの丈はこちらの記事に書いております*


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