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我が子との距離感 にくたらしいくらいがちょうどいい

8ヶ月の娘が、かわいくてかわいくて、食べちゃいたいくらいかわいい。
のは、夜眠っているときのはなし。

日中はいろいろなことが思うようにいかず、「も〜〜〜〜〜」となっている時間も多い。もちろん、そこに愛情があるのは大前提なのだが、ため息が出るくらいのかわいさをゆっくり味わう余裕はなかなかない。

昨日も一日、ちょっとした仕事をその日のうちに終わらせようと思っていたのに、お昼寝もほとんどせずに”元気いっぱい”泣いていた。

なんとなく周りの様子がわかるようになってきて、私が相手をしてくれていないことを察したのだろう。私としては抱っこしているのだから構っているつもりだった。でも、心ここに在らず、ということさえ見抜かれるようになってしまったらしい。

***

そんな一日が終わり、ようやく静かな時間が訪れた。
いつもは赤ちゃん用の布団で寝かせている我が子だが、昨日は夫婦の大きなベッドで川の字になって床に就いた。

先にすやすや眠る我が子の顔がいつもよりよく見える。
穏やかなリズムで小さな寝息を立てる様子から目が離せなくなってしまった。昼間はあんなに困らせてくるこの子は、こんなにも天使だったか・・・と、ほっぺをつついたり、ちゅっとしてみたり、スキンシップがとまらない。

かわいすぎて、しんどい。
心がぎゅっとなるくらい、尊い。
推しが尊くてしんどいとは聞くけれど、こんな気持ちなのだろうかと、最初はにやにやしながら考えていた。だが、何かがおかしい。

本当に涙が出てきたのだ。
これには隣で同じように我が子をながめていた夫もびっくりしていた。

自分でもよくわからない感情の波をあえて言葉にするとすれば、こんな感じだと思う。

こんなに小さくてかわいい我が子はすぐに大きくなってしまう。幸せな今を大切にしないといけないのに、私はちゃんとこの子と向き合えているだろうか?昼間は自分のやりたいことばかりで、もっと構ってあげなきゃいけなかったのではないか・・・。

文字にしてしまうと月並みだが、普段はさざなみのような幸福感や罪悪感が大波になって押し寄せる感覚に戸惑ってしまったのだ。

なぜそんなことになってしまったのかというと、たぶんかわいすぎる寝顔をすぐ近くに見すぎたせいだ。

***

生まれたばかりの娘は、自分がお腹の中で育てて産んだ記憶も新しく、自分という存在にあまりに近すぎる存在だった。

でも、数ヶ月もしないうちにその子なりの個性が現れ、今ではもう立派なひとりの人間だ。くるくると表情を変え、笑って泣いて、時にはにくたらしいくらい生意気な顔もするようになった。そんな時は私もいらいらするし、ちょっと静かにしてよ!と、伝わりもしないのに声が大きくなってしまうこともある。

と、こんなことを書いていたら、向こうの部屋で娘が起きて泣き出した。
はいは〜いと様子を見にいくと、昨日より心なしか大きくなった我が子がずでんと座って目をぱちくり。ふぇーんと泣いていたのに、こちらが構えば、それがさも当然とばかりにニヤリと笑った。

やっぱり、すごく、すごく、かわいい。
でも、昨夜の寂しさはどこへやら、今日も今日とてにくたらしい。

たぶん、これくらいの距離感がちょうど良いのだ。

早く歩けるようになって公園に行きたいね〜と、成長を心待ちにしながら、今日もまた一日が始まる。

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