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「天職」を探すということ〜人生100年時代におけるキャリア教育とキャリアパス

 昨夜、現役高校教師のMukaiさんと先立ってイベントを開催させていただきました。就活生、未経験エンジニア、転職希望エンジニアと幅広い属性の方々にお集まり頂けました。

 実はこの前身のイベントが企画されていたことがあり、私の(突然の)転職活動で立ち消えになっていました。立ち消えになった内容は高校生から見たITエンジニア就職です。どうやら高校生からすると大学研究員・博士課程⇒ベンチャー⇒メガベンチャー⇒ベンチャーで且つエンジニアやリクルーター、EMの経歴がある私は奇怪なようです。今回はそこで話そうと思っていた人生100年時代のキャリア教育における天職についてお話します。

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天職とは何か

 辞書を参照すると「天から授かった職業。また、その人の天性に最も合った職業」とあります。

 一方で適職というものもあります。こちらは「その人の能力・才能などに合った職業」とあります。

 コンテンツによっては天職について「報酬が少なくても、周囲から批判されても、思う存分やりたいと感じる仕事」と解説していたりもします。アイコンが顕微鏡なのが恣意的だなと思いますが。

 自己実現に悩み、「好きを仕事に」と悩み、天職を探している人は多いです。その一方で「小難しいことはさておき現職に不満はない」という方は「適職」であると言えます。

 ここで注意したいのは天職の定義にある「最も」というのは何と比較し、何の観点で「最も」なのかという点です。論文などで「最適」などと記載すると先生から「何の観点で優れているのか」「『最も』ということだが本当に全てのものを比較できているのか」などと指摘されるわけですが、サンプル数1の人生の中にあって「最も合っている」というのは経験できうる全てのパターンを検証していない時点で気のせいと言えます。せいぜい「気分良く仕事ができる」ではないかと思います。

 そしてこの天職を巡るキャリアについての悩みに漬け込んだ情報商材なども登場しています。元高学歴ワーキングプアとしては金額換算しても嫌な仕事でなければ一旦は良いのでは?と思ったりするわけですが、天職を探し、迷う人は後を絶ちません。そしてこれを紐解いていくとキャリア教育に当たります。

なりたい職業を書かせるキャリア教育と天職探し

 高校生たちの声を拾ったり、新卒採用をしていたり、若手との1on1をしていたりすると見え隠れするのはキャリア教育の影響です。

1999年、中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」をきっかけに「キャリア教育」という言葉が公に使われ始めます。児童生徒一人一人の勤労観,職業観を育てることを目的としているとのことです。それより上の世代でニートやフリーターが増えたために手を打ったということのようです。弊社新卒に事あるたびにキャリア教育を受けたかをヒアリングするのですが、全く受けていない人も居る一方、「毎月将来何になりたいかについて中高で考える時間があった」人もいました。このキャリア教育に関しては長くなるので別の機会に触れますが、何者かにならないといけない強迫観念には繋がるでしょう。教育機関は何になりたいかを考えさせるよりは情報収集の演習でもした方が良いと思いますが。毎月「君は何になりたいのかね?」と恐らくは小中高大とストレートで進んでそのまま学術の塔の中に戻ってきた先生方に聞かれるのはまぁまぁな構図ですね。

 なりたい職業を聞き続けた結果、キャリアとはなりたい職業になるための一本槍だと思い込む方が一定数居られます。子供のときに描いたキャリアを歩まないと道を誤ったような考えになっている方も居られるのは仕方がないところかと思います。

なりたい将来像の設定・追求とAO入試入学者のその後に見る危うさ

 なりたい職業になるための一本槍の思考は非常に危うく脆いものだと考えています。これを如実に感じたのは母校のAO入試入学者の入学後の様子でした。

 私もその一人ですが慶応SFCはAO入試導入のさきがけであり、今まで何をしてきて、将来どうなりたくて、そのために大学で何をするのかをしっかり回答できないとバッサリと落ちます。

 そのためしっかりとした意気込みを論理的に話すことができる人が入学するわけですが、それで合格したからといって幸せかと言うと違いました。入学後にAO入試入学者のフォロー面談がありましたが、一定数、思い描いたステップが履行できなくて病む人が確認されました。カッチリとした将来設計の脆さを見た体験の一つであり、このあたりから「将来なりたいものを書かせる風習」について疑問視するようになりました。人生設計が「誓い」になることで強い言霊として本人を束縛するのです。

現状に甘んじたまま定年まで完走する難しさ

 入社後に「あなたの身元を引き受けます」「ここがあなたの終の住処」と言える。それが終身雇用だったわけです。天職でなかったとしても身元を引き受けてくれるならやむなしというものです。

従来型の働き方を語る上で定年の遷移にも注目すべきでしょう。定年制が確認されている最古のものは1887年の東京砲兵工廠職工規定の55歳定年制があります。1902年の日本郵船の社員休職規則でも55歳ですが、このときの男性平均寿命は43歳前後でした。その後、定年制の上限が拡大されたのは1998年に60歳となりますが、現在では平均寿命が80歳まで伸びていることを鑑みると平均寿命が定年制を追い抜いていったと言えます。

 しかしこの終身雇用は定年が55歳だったころの概念に由来します。転職も無くはないものの多少不満があっても走り切るのが得策だった時代から、定年が拡大され企業の年齢が会社員の現役年数を下回る現代では、まず逃げ切りは難しいと思って行動するのが良いでしょう。

ここではない何か、天職を求めてのキャリアリセマラ

 単一の会社に在籍をする常識から、複数の経験を尊重したほうが良いのではないかと思うに至り、「ここではないどこか」「まだ見ぬ天職」へとキャリアリセマラに旅立っているように感じます。リセマラ、つまりリセットマラソンというソーシャルゲーム界隈の用語ですが納得の行く結果が出るまで0リセットする風習です。これをキャリアでやられる方が一定数居られます。

 特にこの傾向が見られるのが未経験エンジニアの方々です。彼らが求めるものが本当にITエンジニアにあるのか。狭き門をくぐり抜けてITエンジニアになっても1-3ヶ月で辞めていく人たちを見るに、その行く末を案じています。みなさんTwitterアカウントごと消されるので捕捉できなくてですね。どこかで元気にやっていてくれると良いのですが。

天職に固執しないほうが良いと言える3つのキーワード

 天職はおそらく多くの場合において「気の所為」です。天職だと思っても適職なだけかも知れない。なる前に天職だろうと思っていても、なってみたら違うかも知れない。天職だと思ってなったら食べていけないかも知れない。天職だと信じ込むようにしているかも知れない。ここでのキーワードは迷いと飽きと需要です。

1. ヒトは迷う:他人と比較

 かつてのムラであればある程度の就業・結婚・住宅購入・出産・子育てというテンプレートがあったわけです。かつて90年まではムラを出た場合の行き先は終身雇用型企業だったわけですが、その前提も崩れた今では高すぎる自由度があります。そこに他人との比較が容易なSNSの登場です。結果迷う。悟ることができるまで迷うのです。悟りの先には「天職」があるかも知れませんが、「適職」「天職であると信じ込んでいる仕事」「嫌ではない仕事」「嫌だけど惰性でやっている仕事」が残るのがほとんどでしょう。

2. ヒトは飽きる

 以前、ある県庁で動画中継イベントを実施したことがあります。県庁を担当していた私は事前に遠隔で手配していたネットワークや電源、機材について先方と打ち合わせていたわけですがどうにもIT担当の方との話が合いません。聞けばその県庁では入庁時に理系と文系で分けられ、3年毎に部署が大きく変わるとのこと。その担当の方はダムの管理者から県庁のIT担当に就任したばかりでした。異動の慣習が目新しかった私は定期異動について色々と質問をしたわけですが「知識の入れ替え」「癒着の防止」などのそれらしいキーワードが並べられました。この中には「同一業務に対する飽きの防止」もあるのではと考えています。当時はお願いしていたケーブルと違うものをどんどん出してくる担当者に「有識者には残ってもらったほうが良いのでは?」と思っていましたが、定年まで勤め上げることが前提の公務員では定期異動についての意味合いはあるのだろうと理解を示すようになりました。

 同じことを繰り返せたり、同じ環境に居続けられるのは才能であり、万人ができることではありません。そして、ずっと同じところに居続けるには長すぎる労働人生だと思っています。

3. 世間も飽きる(需要)

 仮に推定定年70歳まで働き続けても苦痛ではない仕事が見つかったとして、そこに世間様がお金を払い続けるかは謎です。AIなどの台頭で仕事が追われるかも知れません。天災や今回の新型コロナのように変化を余儀なくされる不測の事態があるかも知れません。そして変化した先は担当パートが据え置きで残っているとは限りません。

まとめ:ビジョンは最大3年。その後はスキルと経験の組み合わせ。

 進みたい大志があるのは世間的には褒められる傾向にありますが、しくじったときや到達したときに需要がなかった場合に面倒を見てくれるわけではありません。

 ひとまず見据えるのは3年。実際に手を動かしたり体験入社、アルバイトを経て確認することをお勧めしています。そしてどの方向に向かいたいかを決める。実際に就業した後も、定期的に身についたスキルと経験の棚卸と自身の現在地の確認が望ましいです。信頼の置けるキャリアアドバイザーなどに話を聞いてもらうのも有効でしょう。気づいていないウリが見つかるかも知れません。

 思考を放棄して声の大きい他人に身を委ねるのはオススメできません。仮に身を委ねる場合はその人に何の得があるのか、その人にどういうお金の流れがあるのかは確認すべきでしょう。現代社会は至るところに罠がありますので。

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