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研究職・博士人材を巡る同情コンテンツと、求められるキャリアドリフト

先だって1998年千葉大学飛び級入学生の一人である佐藤さんのその後を追いかけた記事が話題でした。私は大学入学が2000年だったこともあり、高校時代に聞いたこの飛び級制度のニュースはよく覚えています。その飛び級入学した物理の天才が修士を取得した後に財団法人の研究ポジションに入るも金銭理由で残れず、以後はトラックの運転手になっているというものでした。

私が顧問を担当する一つにアカリクがあります。大学院生向けの人材紹介で私自身、お世話になりました。2012年3月にオーバードクターの末に修了したのですが、前月末に予定されていたポスドクが無期延期となり、就職に舵を切るも新卒か中途かも分からず、業界研究もしていなかったので大いに苦戦しました。特に2012年3月29日に修了式→修了式で進路届の提出を求められたので力一杯「未定」に丸→アカリクに登録面談→謝恩会という一日を過ごしたことは忘れられません。その後、アルバイトで額面15万円で生きる期間があったわけですが、自身にこうしたキャリアの底打ちがあったことで今のキャリアパス観ができたと言えます。

アカリクでは博士向けにはビジネス転身へのポイントについてのセミナーを、企業向けには博士、ポスドクなど高度人材の受け入れポイントについてのセミナーを実施しています。

先のセミナーではリネア本田さん(とても就職時の境遇が似ていらっしゃいます)をお迎えし、博士人材を多く抱えるリネアでの事例を中心に博士のビジネス転身(Acadexit)についてお話をしました。

こうした活動を通して感じていることとしては、博士持ちのような研究職・博士人材といった高度人材のビジネスへの転身には大きなハードルが存在しているということです。今でこそ数学、物理、生物、天文学などのうち数学に明るかったり、RやPythonを使いながらシミュレーションをしていた人材はデータサイエンティストやコンサルタントとして就職先に困らない状態です。冒頭記事内の佐藤さんも今ならこのパスで行ける可能性が高いです。しかしそれ以外の専攻の人材は一筋縄には行きません。今回はこのあたりの事情を整理しながらお話したいと思います。

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研究職の同情コンテンツ化

佐藤さんが研究職を諦めた理由として「手取りが15万円の仕事が1年更新だった」ことにあります。食費などを切り詰めて耐えていたが契約が切れたとのことです。

研究職の待遇の悪さというのは私自身、前述した謝恩会にて「久松にポジションが見つかった!月数万円(交通費込み)だけどこれで耐えてくれ」と言われたこともあるので理解ができます。この話をするとすぐにアメリカの博士の給与が良いという話が出てきます。待遇を上げないとなり手が居らず、基礎研究の点で諸外国に後れを取るというコンテンツは最早定型化しています。九州大学箱崎キャンパス火災の時も、こうした同情コンテンツは多く発生していたのは記憶に新しいところです。

同情を買うコンテンツではあるので一時的な耳目は集まり、政府批判に丁度良い材料になるのですが、この10年、特段の効果を感じられないという印象です。前述したデータサイエンティストやコンサルタントはビジネス側の需要が拡大してのことであり、外圧がかかったりしたわけではありません。高度人材の貧困が注目されないよりは良いものの、具体的なアクションが官民共に乏しいのは、個人的には悩んでいる絶対的な数が少ないからではないかと考えています。

では研究職がどうしてこのように清貧状態になってしまったのかを整理しておきます。


リーマンショック、事業仕分け、東日本大震災

少なくともIT界隈については2000年代前半までは予算がかなりありました。産学連携、産官学連携など数多くのプロジェクトがありました。

一つ目の転機は2008年のリーマンショックです。これで産官学のうち「産」からのお金が減りました。

その後に起きたのが旧民主党による2009年の「2位じゃダメなんでしょうか?」に象徴される事業仕分けでした。中継放送が入る中、事前告知があまり無い状態で各省庁の担当者を呼び出し、質疑をしていきます。突然のことで何のことか分からないためにしどろもどろとする担当者に対し、次々と「仕分け」をしていったのです。真っ当に答えられたのは毛利衛さんのみだったとも言われています。研究職界隈では腸が煮えくり返る様相でした。

その後、研究費界隈の申請は大幅に見直され、予算枠が減っただけでなく、申請資料に「国民の生活にどう繋がるのか」を説明しないと小物も買えない時代へと変化しました。予算も減り、採択基準も厳しくなったことで「官」からのお金も減っていきました。

10数年が経過してみると元が税金という意味では正しい姿にも感じますが、直接国民の生活に結びつけずらかったり、用途があまり定まってないような基礎研究の人たちなどはさぞ予算申請のハードルが高いだろうと感じます。

その後、研究職では無い方と事業仕分けについて話した際には概ね「なんだか詳細は分からなかったけども越前裁きのようで爽快だった」というものでした。当時の記事にもあるように「ムダ削減」をばっさばっさとやったというのが事業仕分けの世間的な見方のようです。

個人的には事業仕分けの影響をしっかり受けたことで当時の記憶が鮮明なこともありますが、本当に科学立国は国民が望んでいるんだろうかと懐疑的です。それもあり、先の「研究職同情コンテンツ」は一時的に読者の感情をネガティブに揺するだけの政治不信を煽るだけのコンテンツ以上の効果は無いのではないかと感じています。

「もう少し踏ん張れば、道が開けたかもしれないのに」という教員からの生存バイアス

先の記事内にある担当教員からの「もう少し踏ん張れば、道が開けたかもしれないのに」は生存バイアスであると捉えています。今、安定したポジションが得られた教員の方々というのは、たまたまポジションが空き、そこにたまたま居合わせることで就任できています。そこにあまり苦労がないと「もう少し踏ん張れ」と言うことができます。

私が居たIT界隈の研究領域について言うと、2000年のIT革命と新設大学のブームにより新規雇用が発生していました。しかし現在は少子化の影響で新設などはなく、あるのは既存の学問と同じく「先人の引退を待つ」形になります。

ポジションが開くのを待つ必要があるため、事前に人脈を作っておいてどこのポジションが空くかを探りつつ、公募開始前に売り込みをかけるスタイルが多いです。有り体に言ってしまうと定年以外でポジションが空く事象は、先人の転籍・転職・突然死などにが考えられます。3点目がポイントで、「この人、丑の刻参りしてないよね?」というような話も聞いたことがあります。

一方、私が知っている範囲であれば、無給の研究員ポジションは学位や教員の承認があれば(多くの場合、更新ハードルは低く)貰えるところは多いです。あくまで無給なので、「もう少し踏ん張れ」と言うからには最低限の生活ができる程度のお金も頂きたいところです。

シンプルに生きづらい専門職・研究職

学術周りのキャリアというのは社会人を経由して戻ってこられる方もチラホラ居られるのですが少数派です。多くの当事者には学部・修士・博士と一本道で進むものに見えやすいです。

ある種、プロスポーツとの共通性を感じます。例えば私の母校の高校野球部では活躍できるメンバーは小中高と野球漬けのメンバーでした。プロを目指すにはまずは甲子園というモチベーションで頑張り、学校側ももり立てていくのですが絶対的に弱く、県大会ベスト8が良いところでした。県大会敗退後、それまで押さえられていた欲望が解放され、ほぼほぼ暴走族に入るというのまでがセットのキャリアパスでした。

学術では暴走族になることはなくとも、教員や研究員になることを信じて勉学に打ち込むわけです。しかしある程度学位終盤に差し掛かったところで修了後のキャリアがあやふやになったあたりでその先にポジションも予算もないことに気づき、キャリアの閉塞感に悩まされることになるというのがよくあるパターンです。

専門職・研究職とプロスポーツの共通項として、キャリアデザインがあるのではないかと感じます。人生のキャリアデザインとして教員・研究職を設定する。それがいつしか教員や研究職にならなければならないという気持ちに変化します。しかし一度競争に乗るとプロ野球選手に全員がなれないのと同様に、脱落者が多く発生するため、大半の人が迷います。これは子沢山だった時には許容されていた流れですが、少子化時代に続けるべきではないと考えています。

その点、キャリアの節目節目で進みたい方向性を決めていくキャリアドリフトという考え方はもっと広がる必要があると考えています。博士取得後のキャリア選択をもっと柔軟にし、ビジネス側も博士や博士に行きたい人材に価値を感じてもらい、ビジネスや学術を柔軟に往復できるようなキャリア選択環境が拡がらないものかとアカリク顧問として活動している次第です。

冒頭のコンテンツでも暗に「物理の天才なのだから研究職に残りますよね」という前提があった上でのコンテンツ構成になっています。そこに職業選択の自由はないのかという疑問があります。

常々思うところですが、子供の時に「なりたい職業は?」と聞いて答えさせる習慣は言霊が産まれやすく、それ故にキャリアパスが不器用になるのでは無いかと感じています。なお、子供に対して「末は博士か大臣か」と声をかけられた博士学生や博士持ちはそれなりに確認されており、ここでも言霊を感じています。

専門性と汎用性を意識したキャリア転換

この記事のもう一つの気になる点は、研究職の道が途絶えたのでと取った手段がトラックの運転手である点です。もちろん、物理学から徹底的に離れたい、見たくもないというのであれば尊重されるべきですが、車が好き、免許もある、求人もある状況だったトラックの運転手を、短期では無く永続的に続けるというのは極端に感じられます。

実はこうした極端に振り切るキャリア選択をする高度人材は度々見られます。「○○の研究をしていました。しかしポジションが見つかりませんでした。何ができるかを考えたところ、研究室のサーバの面倒を見ていたのでインフラエンジニアになろうと思い応募しました」という方は一定数居られます。私も面接の場で1年のうちに3名ほどお会いしたことがあります。サーバの面倒といってもアカウントの管理程度なケースが殆どなためインフラエンジニアの経験としてはカウントしづらいものです。

専門性というものは学士卒から追加で最短5年ほど投じるため、当人としてはそれだけの期間を積み上げて投資した感覚になります。そしてその専門性の頂点部分で就職活動をするわけですが、ニッチな分野であればあるほどそんなポジションはビジネスにはありません。数学が得意だったりPythonやRを使っての解析などができれば前述したように困る人は少ないです。ただしそのケースに該当しないとなると急に間をすっ飛ばしてその積み上げを放棄する傾向にあるのです。

また、こうした思考ロジックによりビジネスに転向すること事態が積み上げの放棄であると考え、学術で爪に火を灯す生活をしながら耐えている人たちもいます。

専門性と汎用性のピラミッドを作り、自分の積み上げを活かしながら丁度よい感じに汎用性に下ることで待遇と自己肯定感を高い水準で保ってキャリア選択をして頂きたいところです。博士課程で築いた数年のキャリアを少しでも汎用側に下るのはもったいないように感じると思いますが、人生はそれ以上に長いのです。

専門性と汎用性(久松の場合)

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