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写真は未来への贈り物

先日、七五三を撮影する機会があった。そこで感じたことは周囲の大人が皆笑顔で見つめているということ。天真爛漫な我が子、孫の姿に向けられた視線はどれも温かみがあり愛が溢れていた。

子どもの成長はとても早いもので、毎日が闘いでもある。次から次へと起こるトラブルに対処する日々。一難去ってまた一難とはこのことだろうと頷きながら向かい合う。そんな日々で我が子を写真に残すことは以外にも至難の技。スマホでパシャリと撮るが、それも束の間でゆっくりと向き合って写真に収めることは困難に近いのかもしれない。

そんな家族で過ごす時間や行事ごとこそ写真に残しておきたい。そんな思いからお声がけいただいたのかもしれない。

写真は時間を閉じ込められるタイムカプセルのようなもの。

目まぐるしく過ぎ去ってゆく時間を一瞬だけ、形に残せるのだからすごいものだと関心する。そこに写ったものから記憶が呼び起こされて、その頃の記憶が鮮明に浮かび上がってくるのだ。人の記憶は曖昧なものですぐに忘れる。忘れていなくとも時間経過とともに記憶が薄れていく。悲しいけれどそれが現実。

しかし、写真に残っていることでその記憶を繋ぎ止められる。むしろ写真がなければその記憶は忘れてしまう可能性が高くなるということ。それは少し寂しさもあり恐怖すら感じる。だからこそ、今を写真という形に残したくて多くの人が写真を撮るのだと思う。

さらに写真は形に残ることで、未来へと受け継がれてゆく。未来から過去を俯瞰することができる。特に幼少期の頃の記憶は曖昧そのものだ。3才となればそれなりに物心もつき記憶が定着し始める。しかし、今思い出そうとすると案外ふんわりしている。だが、アルバムの写真を見返すと何となく思い出すものだ。さらに周囲の大人たちの姿・表情が写っていることで、どんな視線を送られていたのか一目瞭然。自分自身が思う以上に愛情を注がれていたのだと大人になってから感じるのも少なく無い。

そんな写真を未来へ残したい。

いつか大きくなったときに見返して、何を思うのだろうか?父や母の若い姿に驚きを感じるかもしれない。それ以上に感じて欲しいことは家族からの愛情。それを写真に写し込むことは難しいかもしれない。けれど、それを写すことが写真を残す者に与えられた試練であると考えている。

そんな未来への贈り物をより良い形で残せるよう日々向き合っていきたい。


SUBARU(マカベ スバル)
鳥取県在住 / なにげない日常をテーマに写真を撮っている / 出張撮影 / 写真イベント企画 / 鳥取のPR活動も行なっている。


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