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家族をフィルムで撮る理由

写真を撮るようになってからずいぶん月日が経った。
はじめた頃はここまで写真の世界にドップリ浸かるなんてあの頃の自分は思いもしなかっただろう。
そしていつの日か僕はフィルムで家族を撮るようになっていた...

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家族の姿だけでなく、20年以上見続けている光景も記憶に刻でいる。
何千回と出入りしたことか、そのひとつひとつのエピソードはふんわり。
ただ、あの頃は父や母より小さな靴だったのに気づけば自分の方が大きな靴を履いている。知らず知らずのうちに時計の針は進み、髭を剃る自分の顔を鏡ごしに大人になったのかなと思う。

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気づいていないようで確実に針は時を刻み続ける。
あの頃から可愛がってくれて、最期まで僕の将来を心配してくれたおじいちゃんの居場所は額の中になった。その微笑みかける目を見ながら手を合わせる日々は数える程しかカレンダーをめくっていない。
その頃からか空を見上げる回数が増えた気がする。

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季節は移りゆく。

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撮り始めた頃はおじいちゃんとおばあちゃんを撮っていた。
吸い込まれるようにファインダーを覗き、カメラが瞬きをする。
その記憶を見返すと語りかけてくる何かがある。

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ただ、その行為を見守るように大きな目が瞬きを繰り返す。
自分でもなぜそこまでしているのか言葉ではうまく説明できない。
そんな時、日常は突如として崩れることを知った。

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あれは珍しく目覚ましよりフライングして起きた日だった。

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誰かに起こされたかのようにパッと目が覚めた。
そこにおばあちゃんは眠るようにいた。けれど違った。
胸がざわつく、何もできない自分、真っ白になりながらも側にいるしかなかった。
あんなに自分が無力だと感じたのは人生で2回目だ。
普段聞き慣れた音が聞こえるまで、気の遠くなるような時間だった。

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静寂。

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あの日々は当たり前ではないのだと、改めて痛感した。

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幸い発見が早いことが功を奏した。
僕はあの朝、おじいちゃんの声が聞こえた。
だからパッと目が覚めた。

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「ありがとう」、顔の前を煙がちらつくなか手を合わせた。

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僕たちの日常は決して当たり前のものではないんだ。そう感じた。

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それからというもの家族みんなの記憶を残し続けるようになった。

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だけど困ったことにうちの家族はみんな恥ずかしがり屋さん。
だから、影からひっそり見守るように小さな穴を覗きこみ記録している。

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自分自身もカメラ越しに向かい合うのは照れ臭いからひっそり物陰から。
家族を記録するのは、どこか恥ずかしい。

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その一瞬一瞬を閉じ込めながら日々を過ごす。

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それを続けていくために僕がフィルムを選んだ理由。
それは「不便」だから、ピントもシャッター速度もマニュアル、ISOは固定、写真も確認できない。
けれど、だからこそ1枚にかける想いが強く記憶として頭に焼き付けられる。
現像された写真と僕の記憶とが結びつくことでそれは息をする。
そんな感覚なんです。

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ひとつまたひとつと想いを閉じ込め、祈るように瞬きをする。

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今を大切に。家族と過ごす記憶を今日も頭に刻み続けています。

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SUBARU(マカベ スバル)
鳥取県在住 / 日々の日常と友人や恋人を中心に写真を撮っている / 出張撮影 / 写真イベント企画 / 地元のPR活動を行なっている。
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