Kodak PORTRA160/#267
かれこれ3年間、フィルムが好きで撮り続けている。この間にフィルムは値上げを続けて今では気軽にとは言えない趣味になってきた。特に今からフィルムを始めようとする人にとっては障壁が高い状況だ。フィルムの良さを知りながらも経済的理由から撮影頻度を減らしたり、デジタルへ移行したりとそれなりに変化を続ける人もいる。
僕自身も正直なところお財布は厳しい。メインで使っているPORTRA 400はフィルム一本あたり¥2,000を超えるのだから無理もない。はたしていつまで撮り続けられるのだろうと思う。けれど今と向き合い今しか撮れない写真を撮り続けることが最大限できることだと信じている。
今後再び値下がりする未来にはそう期待できない。むしろ値上げが続くと考える方が妥当だろう。そうなれば今が最も安く撮れるとも捉えられる。だから我慢するよりも可能な範囲で今まで通り撮りたい瞬間を逃さずに向き合うことが大切だと考えている。
さて、先日撮影したPORTRA160が山本写真機店さんから返ってきた。フィルムはどこか肩の力が抜けていて、自分の視界を素通しで見ているような感覚。素直に良いなとか好きだなと思った純粋な感情が動いた時にシャッターを切っている。PORTRA 160について以前解説しているのでご参考に。
それでは作例の一部をどうぞご覧ください。
やはりどれも好きで尊い瞬間ばかりが写っていた。覚えているものもあれば、少し忘れていたものもある。フィルムは写真を確認するまでにタイムラグがある。少し間が空くことで熟成期間のようなものだと考えている。その期間で記憶を寝かせることで記憶の濃度が増すように感じる。フィルムを見返す行為はその記憶へのアクセスとなる。今の時代は毎日情報に追われ過去を振り返るよりも、今の情報をインプットしたり未来に向けて思考を巡らせることに多くの時間を割いている。だからこそ、アナログなフィルムのうような存在が必要なのかもしれない。
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