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君たちはどう生きるかー現代の時間感覚への問い。号泣して慌てた鳥島

映画の終盤からエンドロール、私は号泣した。
その理由は以下。

現代の時間感覚への気づきと警鐘。
過去、現在、未来が一直線の時間感覚が当たり前とされる社会で、私たちは常に未来志向が半ば強制的にもてはやされる。子供のお受験、就活、保険加入、積立預金…将来のための、より良い未来のための。(くず気味の父がいたな)
過去を置き去りに未来ばかり見る私たちは、
歴史を蔑ろにし古代から続く営みを軽視し、自然を破壊し戦争を起こす。貨幣経済の利便性を享受する代わりに規則正しく刻まれる時間に追われ、自然と共に生きる価値を見失い、疎外され虚無感すら抱く。

時間の持つ3つの側面、時間は創造し、時間は保存し、時間は破壊する。(ピエールジャネ)
未来の先には必ず死があり、直線的に流れる時間の中で現実は次々と無になってゆく。遠い未来から現在を見る時間感覚は、生きることの虚しさを呼び起こす。

古代エジプトではアオサギは蘇る命の象徴とされていたという。再生の象徴のアオサギの導きで、アニメを通して私たちは重層的な時間を羽ばたき体感する。

地下の世界は現在の時間感覚へのアンチテーゼ。地下のキリコは殺生をしない者たちへ獲物を分け与える。彼らの働きはわらわらのエネルギーとなり新しい命の誕生へとつながる。必然的な役割がいつからなのか、恐らくそれはいつまでも続くのだろう。信仰心を持ち自然の流動に合わせ生活するさまは、今を懸命にかつ充足して生きるかつての人の営みのようでもある。
福島県昭和村で受け継がれている、からむしという繊維を作る植物がある。村全体で季節の移ろいに合わせてからむしに関わる暮らしぶりが思い起こされる。

もうひとつ思い出すものがある。ハンセン病患者と接してきた精神科医の神谷美恵子の「生きがい」とは、疎外された人にとって求められていることは、自分の存在は誰かのために何かのために必要だということを強く感じさせるものなのだ。生きがいに目覚める体験を「変革体験」と言い、それは過ぎゆく「時間」の中で生きている私たちを「永遠」という過ぎゆかないものに導くことだという。生きがいを感じるとは、計測できない「時」つまりは永遠性とのつながりを回復することだと。そして生きがいは「いかにいして生きるか」から「いかに生かされているか」への転換が起こるときに静かに表れるのだと。眞人は異世界での体験を通して、自分のなかの悪を認めることで自分を許し、心の底から湧き上がる生きる力のようなものを得たのかもしれない。

宮沢賢治のよだかが悲しくも美しく燃え続けたように、さそりが燃えて星になるように、眞人の母もずっと彼を照らすだろう。
亡くなった母の存在、老婆の若い頃、大叔父…過去とのつながりを自己の内に現在させ、他者や自然と共鳴し自らの感受性を解き放つことが、よりよく生きるヒントだと教えてくれているようだ。

社会との関係性に困難を覚える我が子たちが、いかに安心して充足する日々を送るのかを模索している。しばらくの間思考し続けていた真木悠介「時間の比較社会学」に展開される思想哲学が映像として表れていて震えながら感涙した次第です。

今回の映画はコロナ禍の中、監督自身が明確なゴール設定をせず制作が続いた。先はどうなるかわからないが、今目の前のできることをやろというその姿勢そのものがこの映画の一つのテーマでもあったように思う。

監督とスタッフに敬意を込めて。

欲望の時代の哲学2023でマルクスガブリエルが語っていること。君たちはどう生きるかの哲学を見事にを言語化していると思う。


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