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北鎌倉と金継ぎあれこれ 

 金継ぎがなかなか人気のようです。
 金継ぎとは、割れた器を漆と金粉等を使って修復する伝統的な技法のことです。

 昨年春、金継ぎをテーマにした本『金をつなぐ』を出しました。舞台は北鎌倉。北鎌倉は、わたしにとって格別に思い入れがある地なのです。デビュー作である『花咲かす君』も、北鎌倉を舞台にしています。
 金継ぎと北鎌倉。今回は、このふたつについてお話しさせていただきたいと思います。


北鎌倉について

 北鎌倉は、横須賀線の鎌倉駅のひとつ手前の駅。鎌倉駅と違い、駅舎はとても小さく、いい意味でひなびた雰囲気があります。円覚寺、建長寺、明月院など、鎌倉五山の中でも重要な寺院が、徒歩圏内に多くあるため、小さな駅に観光客が溢れていることも。特に円覚寺はほぼ駅の目の前です。横須賀線の線路が、この円覚寺の敷地内を通っているのです。また、少し歩けばカフェや雑貨店など、おしゃれなお店もたくさんあります。

北鎌倉の主な寺院

  • 円覚寺


  • 建長寺


  • 明月院

 わたしは高校時代、この北鎌倉駅から徒歩で通学していました。学校は山の上にあり、駅から線路沿いにしばらく歩いて、途中から細くて急な山道を登ります。リスが普通に頭上を走っていて、遅刻しそうなときはリスと競争するように山道を駆け上がっていました。
 ちなみに校舎を建てるときには、人骨がたくさん出てきたそうです。鎌倉時代の戦で命を落とした武士の骨だとか。そのため、学校は比較的新しいのに、中庭に武士の霊が出ると言われていました。

 部活がない日の放課後は、友達と、北鎌倉駅前の老舗和菓子屋「御菓子司おかしどころこまき」さんに制服のまま寄り道しました。月のお小遣いが3000円くらいだったので、そんなに頻繁には行けませんでしたが。

 お店は小さく、和菓子は日に一種類のみです。そのお菓子がとにかく美しく、上品な甘さで、おいしい。店内にはただただ、静かな時間が流れています。一番奥の大きな窓からは、円覚寺の白鷺池が間近に見えます。そのすぐ脇を横須賀線が走ってゆく様子さえ、一枚の絵画のよう。心身が柔らかく調うのを感じます。北鎌倉にお出かけの際には、ぜひ立ち寄ってみてください。

 本の出版に前後して、担当編集者さんの紹介で、円覚寺のご住職ともお話しさせていただく機会を得ました。わたしは無宗教ですが、こちらのご住職は本当に福々しいというか、お顔を拝見するだけで有り難い気持ちになります。自分の中で滞っていたものが、すっと浄化されるような気がいたしました。「こまき」の店主はご住職の長年のお知り合いであり、今でもお寺でお茶会などの催しがあるときには、和菓子を注文するそうです。


金継ぎについて

『金をつなぐ』は、四人の登場人物を中心に描いた物語です。
 みんな、それぞれ、身のうちに「欠け」を抱いて生きています。
 小説の執筆にあたっては、以下の書籍を参考資料のひとつにさせていただきました。著者は漆芸修復師の清川廣樹氏です。

清川氏は本の中でこう書かれています。
「私は『かたちあるものはいつか壊れる宿命にある」と考え、『壊れること』を悪いこととは捉えません。昨今、壊れた器に自らの人生を投影し、傷ついたことや失敗したことを否定せず受け入れ、『未来をもう一度つくりなおす』という考えが、金継ぎ修復に重ねられています。世界的にも金継ぎ文化が注目され、大量生産、大量消費が加速する時代の中でモノを大切にする精神の大事さ、学校での情操教育や国際紛争解決の例えにも、その精神性が引用されるようになっています」
(『継 金継ぎの美と心The Spirituality of Kintsugi』清川廣樹著「はじめに」より引用)

 まさに小説では、主人公たちがそれぞれの「欠け」に向き合い、受け入れるまでを描いています。「欠け」を隠したり不完全なものを排除するのではなく、修復し、受け入れることができれば、人も器もさらに強くなれるのかもしれません。
 
 金継ぎの起源は諸説ありますが、縄文時代にはすでに、漆で器を修復していたようです。時代が下って、ごく普通の農村でも、漆の樹液と釜に残ったご飯粒を混ぜて糊とし、割れた茶碗をくっつけるのに使うようになりました。竹や金属を「かすがい」にして継いだ器も多く残されています。

 現在の伝統工芸としての金継ぎは、安土桃山時代、茶の湯の文化とともに発展しました。有名な千利休が茶の道で追求した「侘び」は、無駄を削ぎ落とし、割れた茶碗でも大切にし、欠けそのものを美として捉える、という金継ぎの精神世界にも大きな影響を与えています。江戸時代になると、金継ぎは庶民の間にも広まりました。庶民用の陶磁器は高価な茶器に比べると安価でしたが、それでも大切に扱われいたのです。

 現在、金継ぎは日本だけでなく、世界中で注目されています。日本の美意識や文化を体現する芸術として評価されているのでしょう。また外国人観光客の増加に伴い、ワークショップへの参加も盛んなようです。

 わたしは取材時に、「金継ぎ暮らし」という教室で金継ぎの体験をさせてもらいました。「金継ぎ暮らし」は東京を中心に体験教室や、金継ぎにかかわるさまざまな企画を行っている会社です。

 それまでは、割れた茶碗や皿などは、もったいないなと思いながらも廃棄していました。金継ぎという手法があることは知っていましたが、自分がそれを行うなんて考えもしなかったんです。そのため、体験教室の日は、担当編集者さんが保管していた割れた花瓶を提供してもらいました。不器用なわたしでも、講師の先生に優しく教えてもらい、なんとか金継ぎができました。下手くそでも、それがかえって味になり、ひび割れに施した金がしっとりと輝く様子は、とても素敵です。

 金継ぎの作業のあいだは、とにかく無心になれます。ワークショップや体験教室は昨今の金継ぎブームで増えているようなので、興味がある方はぜひ参加してみてください。きっと、なにか感じるものがあるでしょう。

普遍的なものを大事にしながら、変化も受け入れる

 わたしは日々、慌ただしく生活しています。細々と文章を書いていますが、ふたりの子供の母親でもあります。一人は中学生なので、お弁当作りのため六時前には起床、学校行事にも可能な限り参加します。そのほかに、掃除洗濯などの細かな家事、地域の活動、買い物に夕食の準備など、やることは多岐にわたります。犬一匹と猫二匹のお世話もあります。時間そのものよりも、意識や気持ちを割かねばならない先が多いので、時々、精神的な余裕がなくなってるな、と感じることがあります。せっかく家でくつろいでいても、頭の中は常に忙しく、次にやるべきことの段取りを考えている……というような状況。

 そんな中、本当に久しぶりに北鎌倉を訪れたのです。実家はすでに鎌倉になく、引っ越しており、わたしも結婚後はずっと千葉県に住んでいます。

 まず、観光客がものすごく増えていて驚きました。しかし、まったく変わっていないことの方が多く、そちらの方が、驚きでした。「こまき」から見える白鷺池、線路沿いの少し埃っぽい小道。すぐそこに屹立する岩壁や、藍色に煙る山々。四季折々の花に、遠く近く響く小鳥の声。円覚寺の静謐な伽藍、建長寺の荘厳な山門。

 一瞬で、高校生だった頃の自分を思い出しました。

 仲の良かった子と、源氏山公園に思いつきで出かけ、一緒に桜の花びらを拾い集めたこと。それを辞書の間に挟んで、大事に取ってあること。細い山道の登下校時に、好きな人の話や、将来の夢の話をしたこと。
 それらの記憶は、普段まったく思い出すことなどないのに、わたしの中に確かに根付いていて、一瞬で蘇ってきました。それも鮮やかに、においまで伴って。

「あそこは時を止めたままでも許される街なんだ」と、拙作の中で主人公の父親が言います。そして、傷ついた息子を北鎌倉の実家に預けるのです。

 慌ただしい日々や、目まぐるしい変化に、人が上手に対応できるのは、根っこの部分に変わらないものがあるからかもしれません。普遍的なものを大事にしているから、変化も柔軟に受け入れられる。働き盛りはとくに、余裕を無くすことも多いでしょう。そんなとき、わたしは目を閉じて、北鎌倉の地を思い浮かべます。季節の花を模した美しい和菓子や、円覚寺のご住職の佇まい。変わらぬ山々の色合いを。自分の中の欠けが少しだけ修復され、気持ちが穏やかになるのを感じるのです。

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