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最近の私(今読んでいる本/感動した詩/ホロスコープ)

まずは創作の近況報告。やる気は復活したけれど、全く進んでいない。今は小説を書くことでどんなことを考えていきたいのか、そんなことを考え中です。

それだけじゃ何も始まらないので、図書館で気になる本を借りて読んでいます。で、すごくすごく良いなぁ!と思って現在読み進めている本がこちら。

『廃園-幻想花詩譚-』井本元義

すっごく好みです。短編集で、それぞれの話に花が登場します。1編1編が濃密なので、少しずつ味わいながら読んでいます。今読んだところまでの全ての物語になんとなく共通してそうなのが「人生の最期」「死」「終焉」。だから私には濃密に感じるのかもしれない。花と絡ませる人生の末期。匂い立つ死。それがとても私の心を打つのです。この本はもっと世間に知られても良いと思う。

そして、今更ながら詩の良さに気づき、真正面から詩を読むことができるようになった私。今は石垣りんさんの詩を読んでいるのですが、すごく感動した、グッときた詩があったので、ひとつ紹介させていただきます。

『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』

それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり

台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿、

炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない

私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、

それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。

中央公論社 現代の詩人5 石垣りん

とても有名だと思うのですが、恥ずかしながら最近まで全く知りませんでした。
石垣りんさんの詩は、読みやすいのですがすごく深みがあって、その言葉の背景・歴史を考えると、ますます心を打たれるものがあります。

それから、最近占いにハマっている私ですが、とうとう自分のホロスコープを読むまでになりました。といってもど素人なので、簡易にホロスコープを出して、星の配置の意味などをネットで調べて満足してるだけなのですが……。笑
夜な夜な自分の適性や内面外面などを調べてはハハーン!と納得してました。普通の星座占いよりも楽しいです。🔮

とまあ、とりとめもなく最近の私について書きましたが、これはちょっと停滞してますよねー。創作、4月後半は少しでも進められるように頑張ります。ではまた*˙︶˙*)ノ"



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