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紀行文|小特集『ひみつの旅』❹〜❻

「モーツァルトに逢いたくて」 文・平祥 (931字)

 モーツァルト、といっても、あの有名な天才作曲家のモーツァルトではない。連続テレビ小説『虎に翼』で戦前の法服が話題になったが、私の中で法服といえば英国法廷で着用される伝統的なガウンとモーツァルトみたいなカツラだ。
 
 このモーツァルトな方々に遭遇したくて、ロンドンに行くたびにひそかに立ち寄るところがある。それが、法曹院があるテンプル。
 観光スポットでもなんでもない地区だが、ここにはキリストの聖杯やら十字軍やらその周辺の逸話が好きな方にはたまらないテンプル教会がある。そう、テンプル騎士団が眠る墓があるのだ。

 映画『ダ・ヴィンチ・コード』にも登場する場所で、かくいう私も「映画のロケ地になったテンプル騎士団のお墓にちょっと行ってみようかな」というミーハーな動機からテンプルを訪れた。
 
 そしてテンプル地区に足を踏み入れると、空気が変わった。やたら空気が厳粛な感じに。古い建物が立ち並び、ガチ伝統モードだ。
「ま、まずい、ここはお気楽なよそ者が来たらいけない場所なのではないか」と、不安というか、変なのが来てごめんなさいという申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいに。

 だが、広い芝生の庭に目をやると、そこに5人のモーツァルト集団がいるではないか! しかもベンチに座って楽しげにサンドイッチを食べている。
 恥なんか吹き飛ぶ衝撃だった。
 タイムスリップしたのかと思うほどの超非日常が目の前で展開していた。
 英国法廷劇を好きになるきっかけとなったアガサ・クリスティの古典的名作『検察側の証人』や『Silk 王室弁護士マーサ・コステロ』の世界がそこにあった。(ちなみにビリー・ワイルダー脚本・監督の映画は『情婦』という原題から程遠い、マレーネ・ディートリヒの妖艶な魅力を前面売りにした邦題になっている)
 
 ただ弁護士たちが楽しくランチしていただけなのだが、歴史とはこういうことなのかもしれないと、よくわからない悟りを感じた。変わる社会、変わらない役割、そしていつだって天気がいい日は外でサンドイッチを食べるんだという、日常を尊く感じるワンシーンだった。

  以来、ロンドンに行くと、ぶらりテンプルへ歴史との遭遇を求め、足を運んでいる。
 

❺  「山男」 文・ヤマシタ (1136字)

このままでは、家が山に還ってしまう。(AI生成画像)

 山男に初めて会った時「あっ」と声が出た。山男は、山にしか現れないと思っていたからだ。こんな中途半端に山と田畑がある地方都市に、のそのそと出てくることがあるんだと驚いた。それから、私は、町なかで不意に出会った山男とかれこれ一ヶ月半ほど共に暮らした。

 山男は身体のほとんどが伸びかけの草や小枝で覆われていて、よく目を凝らすと得体の知れない虫が草の間を這っているが、それらの虫が山男の身体から外へ出てくることはないようだ。名も知らぬ植物や虫に覆われた山のようでもあり、それ自体で一つの生命体として完結していた。

 山男は決して話さなかった。しかし部屋の隅に佇む山男を見つめていると、彼の人間であった頃の記憶が、まるで古い映画のように自然と私の脳裏に映り込むことがよくあった。

 山男は、かつて血の通った人間であった。しかし、村八分にされ、ある時から山に一人で暮らし始めた。子供の頃は言葉を覚えていたようだが、やがて忘れてしまった。気が遠くなる季節を一人で過ごし、山男は、自分がかつて人間であったことを忘れてしまった。やがて人間として死ぬ時期が来ても死ぬことができず、いつのまにか山男になっていた。

 かつて山男が生まれ育った山は、すでに切り崩され住宅街になっている。住み家を失った山男は、それから彷徨い続け、街中で出会った私の家に住み着いた。しかし山男にこのまま住み続けられては困る。山男が来てからフローリングの隙間や壁板の継ぎ目、部屋の至るところから草が生えてくるようになった。このままでは、家が山に還ってしまう。

 私は山男を車に乗せ、遠くの山へ連れて行った。車を降りると、そのまま山男が着いて歩いて来る。頂上まで登りきると、少しづつ山男と距離を置き、そのまま急いで下山した。途中で何度も転びかけながらも、何とか車に乗り込み震える手でキーを回し発進させた。バックミラー越しに山男が追いかけて来やしないかと緊張していたが、山男はそれから二度と姿を表さなかった。木々に囲まれて一人立ち尽くす小さな森のような背中が、最後に見た山男の姿だった。

 一人で家に帰ると、部屋に生えた草を全て引き抜き、空気を入れ替える。窓を開けるとベランダの植木鉢が茜色に照らし出されていた。そこには、山男の身体から生えていたものと同じ枝の苗が芽吹いている。部屋に生えた雑草と同じように引き抜こうとしたが、なかなかしぶとく、引き抜くのは諦め、逡巡したが、赤子を抱えるようにして植木鉢ごと抱き上げた。

 不意に、いつかこの植物が語り出しそうな予感がした。もし言葉を介せても、きっと驚きはしないだろう。不思議とその時を待ち望んでいる自分がいることに気が付いた。無口な植物は、ただ黙って暮れ行く町並みを静かな眼差しで見つめている。

❻ 「ローマ動物園」 文・キミシマフミタカ (828字)

雨上がりの午後、ボルゲーゼ公園内にある動物園に迷い込んだ。

 ひみつの旅は、もちろん自分にとってひみつではない。しっかりとした目的があり、入念に考え抜かれた計画がある。なので、わたしがフィレンツェを訪れたのは決して気まぐれではなかった。正確にいえば、落ち合うまでの時間調整の旅だった。アルノ川に面したホテルにチェックインして、ウフィツィ美術館を一巡りしたあと、ヴェッキオ橋を渡ってミケランジェロ広場のある丘に登ったのは、あらかじめ考えていた旅のスケジュールだった。
 
 けれど、フィレンツェの街並みを一望する広場に立ったとき、計算ちがいに気づいた。広場の階段には、欧州各地からやってきたカップルたちが抱擁しながら、ルネッサンス時代から変わらない煉瓦色のドゥオーモの円蓋を見下ろしていた。なぜわたしは一人でこの丘の上に来てしまったのか。ローマではなくフィレンツェで待ち合わせるべきだったのではないか。取り返しのつかない失敗に思えて、わたしは打ちひしがれてしまった。
 
 結局、わたしたちは計画通りローマで落ち合うことになる。もちろんローマだって、ひみつの旅をするのに過不足のない街である。わたしたちはボルゲーゼ公園の近くのフランス系のホテルに投宿し、ローマの街を目的もなくほっつき歩いた。ほっつき歩いたのは、もともとそのように計画していたからだ。ジェラートを食べながら流浪する。そんなわたしたちは雨上がりの午後、ボルゲーゼ公園内にある動物園に迷い込んだ。
 
 その動物園で、わたしたちはサル山を発見した。日本の動物園にあるようなサル山で、猿たちは、日本から連れてこられたニホンザルだった。わたしたちは思わぬ邂逅に喜んで、猿たちをじっと眺めた。そこの猿たちの振る舞いは、日本の動物園の猿たちとさしたる違いはなかった。わたしたちは満足して動物園を後にした。ミケランジェロ広場で覚えた取り返しのつかなさは、サル山のおかげで回復されたように思えた。いま振り返ると、その奇跡的な回復の仕方は、わたしたちのその後の人生の道標となっていた。



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