見出し画像

サッカーシューズを8年で1000足寄贈。渡邉卓矢選手が社会貢献活動を続ける理由

サッカーはワールドワイドなスポーツです。世界中のほとんどの国にリーグがあり、そのなかの多くの国に、プロの選手がいます。

そんなサッカーを取り巻く環境は、国によってさまざまです。カンボジアでは、子どもたちが裸足でサッカーをプレーする姿があります。

「サッカーをするうえで、シューズは自分の1つの武器になります。自分も子どもの頃、靴を買ってもらえると凄く興奮したし、喜びがありました。」

そう語るのは、渡邉卓矢選手。カンボジアを皮切りにモンゴル、ネパール、タイ、ラオスと、東南アジアを中心としたアジア圏で活躍してきたプロサッカー選手です。

渡邉選手は、かれこれ8年に渡り、サッカーシューズを寄贈する活動を行っています。寄贈したシューズの数は累計で1,000足を超えました。サッカー選手が社会貢献活動を実施するケースはままあるものの、これだけの期間続けている例は多くありません。

寄贈するサッカーシューズ

渡邉選手は、なぜそこまでこの活動に力を入れているのでしょうか。お話を詳しくうかがいました。

カンボジアの子どもたちとの出会い

なぜ渡邉選手は長年にわたって、サッカーシューズの寄贈を続けているのでしょうか。そこには、渡邉選手の「プロサッカー選手」としての定義が影響しています。

『プロサッカー選手=夢を与える存在、かっこいい憧れの存在』です。サッカー選手には夢を与えられる、憧れられる存在としての責任があると感じています。絶対的な実力があれば憧れを与えられますが、自分がサッカー選手でいるのであれば、この活動を続けなければいけないと思っています。」

サッカーシューズの寄贈を始めたきっかけは、孤児院での慈善活動を経験したことからです。当時、カンボジアでプロサッカー選手として活動していた渡邉選手は、現地に住む日本人の知人から依頼を受けたのです。

「子どもたちが喜んでくれるから、孤児院に訪問してくれないかという依頼でした。ぼくはJリーガーになれなかった選手だったんですけど……。」

渡邉選手がプロサッカー選手としてプレーする地にカンボジアを選んだ理由は、日本でプロになれなかったから。

「カンボジアでプロにはなれたけれど、それは『自己満足』でしかないと思っていました」

Jリーガーになれなかった劣等感。自分は子どもたちに喜んでもらえる存在なのだろうか。しかし、実際に子どもたちに会ってみると、反応は想像を大きく超えるものでした。

「子どもたちはぼくを『プロサッカー選手』として受け入れてくれて、とっても喜んでくれたんです。『お兄ちゃん凄いね』『身体大きいね』『サッカーしようよ』『やっぱり上手いね』って。」

子供たちとサッカーをする渡邉選手

そんな子どもたちの反応を見た渡邉選手は、子どもの頃に見た地元・千葉県柏市のヒーローである柏レイソルの選手たちの姿を思い出しました。

「僕にとって、柏レイソルの選手は夢を与えてくれた存在です。僕の中で、サッカー選手とはただサッカーが上手い人ではなくて、夢を与えてくれる人だと再定義されたんです。」

渡邉選手は、たしかにカンボジアの地で、プロサッカー選手になったのです。

プロサッカー選手になった今、カンボジアの子どもたちの前で劣等感を感じている場合ではありません。

「子どもたちに夢を与えたり憧れたりしてもらえるような存在になりたい。」

そんな渡邉選手の思いが、力強い社会貢献活動へと突き動かしているのです。

子供たちとの1枚

寄贈活動への細やかなこだわり

渡邉選手は、寄贈したサッカーシューズのカウントを続けています。「8年目で1,000足」という、具体的な数字を明示するのは、周囲の信用を得るためです。

ただ、実際には数字以上に大切なものもあると考えています。

「1,000足寄贈したから偉いわけではありません。どちらかといえば、シューズをもらえたことが子供たちのきっかけとなって頑張ってプロ選手になったり、浮いたお金で英語を勉強して話せるようになったり、そういったことが大事だと考えています」

ここ数年、シューズの寄贈をする際にただ渡すのではなく、一定のルールを設けるようになりました。それは、必ず明確に「靴のサイズを聞く」ということです。

「『誰が何cmの靴を求めているのか、リストに書いてください。また、現地までの輸送費は協力してください』と伝えています。」

実際にサッカーシューズが寄贈されても、サイズが合わなくて使えなかったという事例が多いのだそう。

「リストを見たらどの子に何cmの靴が渡っているのか分かるようにしています。僕としても、誰に届いているのか分かる今のほうが、喜びは大きいです」

一足一足の靴は、職人さんが手間暇かけて作ったものです。そのどれもが無駄にならないように、細心の注意を払っているのです。

必要な人に適切なサイズが渡るよう徹底している

きっかけはレイソルの優勝。渡邉選手のサッカー人生

渡邉選手のサッカー人生は、平坦なものではありませんでした。

現在35歳の渡邉選手は、千葉県柏市出身です。子どもの頃から身近にあったのが、柏レイソル(J1リーグ所属)でした。「当たり前のように柏にあるもの」であり、サッカー選手を目指すなかでの憧れや目標でもありました。

しかし、18歳の時にJリーガーになることは難しいということを思い知らされます。そこで目を付けたのが海外でした。

「当時は若かったので『日本では自分の良さを分かってくれないのかもしれない』『日本という小さな国で上手くいかなかったからと諦めたらもったいない』と思ったんです」

渡邉選手はサッカー雑誌に載っていたサッカー留学を希望し、アルゼンチンに行くことになりました。自分を評価してくれる人がいるのでは、という期待を抱いて海を渡ったものの、南米の選手たちの競争心は日本では体験したことのないものでした。

アルゼンチン時代の渡邉選手

「競争心が強い選手ばかりでした。南米大陸のいろいろな場所から集まった彼らにとって、サッカーは生きる手段。合格しないと、家族がご飯を食べられない。僕みたいな『上手くなりたい』という気持ちとは、懸けているものが全然違いました」

カルチャーショックを受ける一方で、技術的には通用する部分もあると感じていました。その後、日本に戻って社会人サッカーで競技を続けていた時期、ターニングポイントが訪れます。憧れであり続けていた柏レイソルが、J1リーグで優勝したのです。

「レイソルの優勝を観たときに、喜びの気持ちと同時に、僕にとってサッカーは見るものじゃなくするもので、ピッチから観客が喜んでいる姿を見たいと感じました。」

渡邉選手は、プロサッカー選手になれそうな国を調べました。すると、タイを筆頭に東南アジアで日本人の需要があることが分かったのです。

そんな中、渡邉選手が目をつけた「カンボジア」で、プロサッカー選手のキャリアをスタートすることになったのです。

念願のプロとしてプレーする姿

プロサッカー選手として夢を与え続けるために

渡邉選手は、今年の3月下旬に交通事故によって脛骨と腓骨を骨折。手術をしたものの骨の付き具合が良くなく、半年以上プレーできない状況が続いています。現在は日本で再手術を受け、骨が完全に付くのを待っている状況です。
今後は少しずつボールを蹴り、コンディションを戻していくことになります。

おもにセンターバックやサイドバック、ボランチと守備的なポジションでプレーしてきた渡邉選手。35歳での大怪我からの復帰は容易ではありませんが、懸命に努力を続けています。

ベテランと呼ばれる年齢で不運な怪我を負ってしまいましたが、競技への意欲は衰えていません。

モチベーションは、ピッチの中から観客が喜んでいる姿を、再び見ること。そして、プロサッカー選手として子供たちに夢を与え続けることです。

再びピッチから満員の客席を見られるよう、努力を続けている

渡邉卓矢選手への15の質問

1.生年月日:1988年4月11日
2.出身地:千葉県柏市
3.身長:179cm
4.趣味・特技:映画鑑賞と読書、語学。言語はコミュニケーションを取るときのツールとなるため、現地の言葉が喋れるとコミュニケーションが円滑に進み、仲良くなりやすい
5.苦手なこと:苦手なのは怪我。手術にはあまり恐怖心はないものの、交通事故から6か月経っているため、体力・筋力低下への不安がある
6.1番好きな食べ物:スイカ。東南アジアはスイカが安く、1/4が100円で買えることも
7.1番嫌いな食べ物:基本的にないが、強いて言えば大豆
8.好きな音楽:Mr.Children、優里、ONE OK ROCKなど
9.ドラマ・漫画・本・アニメで好きな作品:海外では全くテレビを観ないため最近はないが、学生時代はドラマ『世界の中心で愛を叫ぶ』が好きだった
10.長所:チャレンジ精神。何事もとりあえずやってみる
11.短所:計画的で調べすぎてしまう。例えば、怪我すると情報を集め過ぎて不安になってしまう
12.行ってみたい国:あまりないが、最近インドネシアのサッカーが熱くなっているため行ってみたい
13.休日の過ごし方:サッカーが大好きで、怪我をするまではオンでもオフでもサッカーをしていた。オンのサッカーは競技としてのサッカーで、オフのときは生涯スポーツとしてのサッカー。同じサッカーでも違うもので、休日に子どもから大人までみんなと一緒にサッカーを楽しむことが好き
14.尊敬している人:サッカー選手だと2人おり、中田英寿さんとファン・セバスチャン・ベロン(元アルゼンチン代表)。アルゼンチンへ行っていた際にトップチームにベロンがおり、サッカー選手としてだけではなく人間として、しなければならない事や伝えないといけない事などに取り組んでおり、凄く人格者だと感じた
15.何でも願いが叶うなら:1つ叶うなら、Jリーグで、柏レイソルでプレーしてみたい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?