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モネと龍之介


初めて印象派の絵画を観たのはモネの「印象・日の出」でした。
日本人は印象派が好きです。
種を明かせばなんということもなく、印象派と言われる作家達は日本の浮世絵などに影響されてあたらしい画題に挑みました。親和性があります。サロンに入選しなければ、画家としてみとめらないのが当時の常識でした。落選続きの野心溢れる作家たちは古色蒼然とした画壇に見切りをつけようとチームを組んであたらしい展覧会を開催したのが印象派となり、モネの「印象、日の出」が、その代表的な絵画となりました。
定説というか流布する話しでは酷評だったということになっていますが、必ずしも評価がなかったわけではなく、あたらしい画法はある程度認めていた、というのが本来のところだったようです。
私もご多分にもれず印象派は好きです。
幼いころ、印象派に限らず連れられて行った展覧会は、楽しみのひとつでした。日本ではどこかで印象派の展覧会が開かれていると揶揄されるくらい人気です。
モネは、睡蓮の画家と言われます。
彼はある時期から風景画しか描かなくなりました。若い頃はモデルを使い人物を描いています。
後に妻となる、カミーユです。彼女がモデルの作品は多く、その中のひとつが「日傘の女」です。
長男ジャンとカミーユがモネを見下ろす構図、顔にかかった薄いベール越しに微笑むカミーユ、誰もが1度は観たことがある絵画です。
この頃にはひなげし畑にジャンとカミーユが歩いている絵も描かれています。一見すると4人いるように描かれていますが、モネはこの頃、動きのある絵画に挑戦していて今で言うアニメのようなものを1枚で表現しようとしていました。刻々と変わっていく動きあるものを描きたかったのだといいます。何となく同一人物かな、というのはわかりますが、もどかしさが伝わります。表現したいのに描く事が出来ないジレンマと戦うことが表現者です。挑戦の意図は分かりますが困難ですね。
この頃が1番モネにとってもカミーユにとっても幸せな時期でした。
カミーユは所謂、糟糠の妻です。
苦労ばかりの生活でした。出会った頃から貧しいのに、さらに貧しくなって、田舎に越していきます。2人目の妊娠の頃には愛人とその子ども達が押しかけて居候を始めます。どれだけストレスだったことでしょうか。尋常ではない境遇に、カミーユは次男を産んで亡くなってしまいます。
命が尽きた妻、死の床の妻をモネは一心不乱に描きました。刻々とその色彩を変えていく最も愛した女性の死に顔を必死に描きとめようとする夫、後に、
モネは「深い愛着を覚えていた顔立ちを描きとめようという考えが浮かぶ前に、まず色彩のショックに対して体が自ずとざわめき始めました。そして私の意思に反して、自分でも無意識のうちに描いていた。描かずにはいられなかった」と言っています。
この時の絵「死の床のカミーユ」は生涯手放さなかった。画家の狂気という人もいます。
このエピソードを知った当時、真っ先に思い浮かんだのが、芥川龍之介中期の作品『地獄変』でした。

あらすじ
平安時代、評判の絵師だった良秀は大殿から地獄変の屏風を描くよう命じられる。見たものしか描けない良秀はある依頼をする。一方で大殿は良秀の美しい娘を望んでいたが、良秀も娘もそれを固辞していた。ある夜、大殿から依頼のものを用意したと呼び出された、そこに居たのは牛車に閉じ込められた良秀の娘、火を付けられ生きたまま焼かれる娘を良秀は恍惚の表情で描き続けるのだった。

この小説は宇治拾遺物語から題材を取り、芥川龍之介が小説にしました。芸術至上主義と評価される作品です。
生きたまま焼かれるのとは違いますし、フィクションと史実とまた違いますが、没頭してしまうのは同じです。
良秀は大殿の嗜虐心に対して『厳かさ』のある狂気で返しました。娘を犠牲にしても描き続けるとは思わなかった大殿はおののきます。最初は反骨心だったのが、そのうち描くことに没頭して恍惚となる良秀、出来上がった屏風は、娘を犠牲しても描き続けた良秀を悪くいう人も厳かさにうたれてしまいます。地獄変のテーマは、仏教的な因果と芸術の深淵さなのですが、私が捉えられたのは没頭してしまったときの良秀のこころ、モネと良秀の「描かずにはいられなかった」こころです。この場合モネと龍之介なのかもしれません。理性では抑えられない衝動の吸引力とはここまで強く、こうした常軌を逸したものに、人類は弱い。描いていいものだけ描くのではないのが表現の渇望です。凡夫はそれを酷いと思いながら一方で羨望する。人は根底に自らの抑えた狂気を感じ取るからこそ、悪魔的な作品に惹き付けられる。ここまでいかなくとも、我を忘れて夢中になる瞬間は誰でもあります。私も自身の没頭への羨望を自覚しているからこそ、このふたつのエピソードが結びついて囚われたのだと思うのです。
モネは、これ以降ひとの顔が描けなくなってしまいます。おなじ画題、日傘の女はこれ以降、二度描きました。愛人だったアリスの娘をモデルにして。しかし、顔はぼんやりしてみえません。
画家として葛藤し、向き合った結果が死にゆく妻の顔を描いてしまった罪悪感を拭いきれず人の顔が描けなくなることだったのです。
芥川龍之介はどうでしょう。
地獄変以降、台頭する新しい小説表現なども含めた「ぼんやりとした不安」に打ちのめされた結果周知の通り、自殺を選んでしまいます。
地獄変の良秀も、屏風を完成させてから自害します。どうしようもない葛藤と対峙する勇気がなくなってしまった対価として失ったのは生命、伏線のように龍之介は彼岸へ行ってしまいました。
死んでしまっては、龍之介の作品はそこまでです。
対して、モネは、ひとの顔が描けなくなってから風景画に移行します。連作といわれる、積み藁、そして睡蓮です。86歳で亡くなるまで睡蓮を描き続けます。白内障を患って見えなくなっても描き、1部の作品はもう絵として体をなしていません。それでも描くことはやめられなかった。この妄執こそ逸脱者として、表現者として偉大な点です。
ジャポニズムから始まったモネの画家としての原点回帰なのか、東洋的な花、睡蓮を狂ったように描き続けたモネ。そこに込めた比喩は想像しか出来ませんが、祈りが込められているはずです。
モネの全てが込められた一連の睡蓮はモネの代表作となり、人々の心を捉えました。
葛藤を乗り越えた先に、新たな芸術を生むこととなったのです。
睡蓮は揺らいでいるようにもみえます。光の移ろいと動きがあるもの、という自分の画題にも対峙した偉大な逸脱者は葛藤の末に答えを出した。偉大な逸脱者だから出来たことなのでしょうか。今、個人が表現していく時代が来ると言われています。生活という表現もそのひとつとして考えれば、誰しもが表現者、私たちひとりひとりが表現の葛藤に向き合う時が来ている。狂気は今、普通の人に必要なのかもしれません。
モネはひとりの人間として、カミーユに不誠実でした。産後、カミーユを看護したのは愛人のアリスでした。無念の思いは想像するしか有りません。そして、アリスもまた、違う葛藤に煩悶します。モネはアリスをモデルに絵を描きませんでした。綺麗な言葉で飾ろうとカミーユにはなんの得もありませんが、モネにとってカミーユが唯一無二のひと、ミューズであったのは間違いないでしょう。
人間としての不誠実さと逸脱者としての偉大さ、全てを含めてモネの睡蓮たちは今日も世界中で愛される芸術であり続けるのです。

#PLANETSCLUB  #PS2021

参考 


https://plaza.rakuten.co.jp/hoshinokirari/diary/202009130000-amp/

http://www.merci-paris.net/tableau/coquelicots.html

地獄変  芥川龍之介

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