【エッセイ】本はまだ生きていた③
書店が次々閉店していく。
住んでいる地域の書店が閉まる度に残念な気持ちになる。
「もったいないな」と思ってしまうのは、自分本位な感想ではあるのだけれど、
知識の受け皿が街から消えてしまうことで、また一つこの町が社会から遠ざけられた錯覚に陥る。
そして、また一つこの街から知識と教養が消失してしまった錯覚に陥る。
複合型スーパーの書店あとには、次のテナントが入ることもなくぽっかりスペースができていて、そのスペースを誤魔化すように買い物に疲れた人が休憩できるプラスチックの椅子や机が置かれていた。
生き残っている書店は、売れることが保証されている有名作家の新作や、エンタメの賞を受賞した小説など、どこも代わり映えのしない作品ばかりが置かれている。短歌や詩歌、純文学系の新人作家の受賞作が出版されても出回ることは少ない。必ず売れるという保証がないから。
数えるほどしかない文芸誌が棚に無造作に差し込まれている代わりに、官能系の雑誌が平積みされている。表紙に描かれた女性のミニスカートからは白いパンツが見えている。その棚の前ですばるを立ち読みする。どうか知り合いが来ませんようにと祈った。
日帰りで東京に行った。
文学を冠するイベントに客として入った。
溢れかえるほどの人に呑まれた。
溢れかえるほどの人たちが自分の産んだ作品を販売していた。
みんなが文学をしていた。
まだ私の知らぬところで、これだけの本好きがいることが信じられなかった。
誰かが書かねば本は生まれないし、誰かが作らねば本は生まれない。
もちろん読み手がいなければ本が生まれる意味がない。
今この瞬間にも書いている人がいる。
そう思うと、安心する。
生み出している人がいて、それを欲する私がいる限り本は無くならないのだろう。
どこかで生み出されている本がある。
そこでは確かに、本はまだ生きていた。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?