見出し画像

例えばお直しについて

環境問題や人権問題が叫ばれる昨今、ファッション業界はまさに窮地に立たされている。私がこの業界に入った2010年代以降は、まさに暗黒時代だったと感じている。90年代の「作れば売れる」という黄金期を過ごしてきた諸先輩方を上司にもち、そんな華やかな世代に憧れこの世界に入った00年代の私たち、けれど現実の10年代は不景気の真っただ中でファストファッションが台頭し、ファッションの価値観は大きく変わっていった。

「売るため」に「売れない量」の服が作られ、「売れる値段」の為に「作る価値」は軽視されていった。こんな不条理な仕組みが長く続くわけない、続いて良いわけはないと、内側にいる人間は薄々と気づいていた。気づいているけど気づかないフリを出来た者か、それが正しいと信じて突き進んだ者だけが、あの10年を生き延びられたと思う。少しでも迷いが出た者は立ち止まり、あるいは何も気づかず迷った者は容赦なく淘汰されていった。という表現が現実的に正確かわからないけれど、少なくとも私はそう体感していた。

世間から「売れている」と言われているあの企業も、有名人御用達で「人気」のあのブランドも、エコでオーガニックな「良いイメージ」のあのメーカーも、実際どれだけの服を廃棄して成り立っているのか。1900円でジーンズを作るのに、一体どれだけの人間が関わり、その作業価値を値踏みされているのか。心身共に疲れ果てていた当時の私は、もうそんな裏側からしかファッションを見ることができなくなっていた、もれなく立ち止まった者の一人だった。このままではファッションごと嫌いになってしまう、辞めるか進むか考えた時一つだけ確かだったことは「ファッションそのものは決して悪ではないし、嫌いになりたくない」ということだった。

進む方向に、今の仕事(古着屋)を選んだ理由は一つではない。ただ、確実に初動として「まずは自分の好きなものから」という大前提があったと思う。そして好きだからこそ、そこに対して消費者目線の不満や要望があった。これが仕事にしようと思った大きな理由だと思う。

リサイクルされている二次流通品は、それだけでエコだと言われている節があった。けれどもそれはあくまでもたった一つの部分を切り取った評価でしかなく、例えば何の手入れも選別も無く大量に安価に並べられた古着のその先の寿命を想像できるだろうか。おしゃれに選別されそれなりの値が付いているヴィンテージも、その背景は同じだ。

私には、世界を変えるような力は無いし業界に変革を与えたいなんて野望も全く無い。そのような物に影響を与えらる大きな組織の一部となって、きちんとと需要のある「良いこと」に尽力したとしても、表面が大きければ大きいほど裏面も比例するわけで、そこに気持ちを囚われてしまう私には不向きだと思った。(上手く言えないけれど、これは「悪」ではなく「裏面」という言葉がしっくりくる)

ならば私には、この目の届くごく小さな世界でやれることをやろう。表面が小さい分裏面も小さく。

私にできることは、この小さな世界にやってきた服の寿命を少しでも長くすることだと思った。ほつれている縫い目は少しの事で直るし、取れかけた釦は付け直せばいい。直したい時に気軽に持っていける場所があればいい。 かつての人が、サイズが合わなくなれば直し、破れた部分も補強しながら使い続け残してくれたお陰で、それが今ではビンテージやアンティークとして価値が付けられる。面白いなと思う。当店がお直しする理由にそれ以上も以下もない。

こんな風に書くと、いかにも恩着せがましく聞こえるのが本当に嫌だし、服を大事に丁寧に!と伝えたいわけではない。

ファッションは移り変わる物ものだし、「一生物の服」なんてほぼ幻想だと思っている。けれども、その人にとっては人生の一時の服だとしても、服としての一生を長らえること自体に意味はあると、20年代を生きる私は思う。廃棄ゴミの量を減らすという物理的な意味も勿論だけれど、それ以外の感覚的な価値観を更新できるような気がしている。(明確な言葉にするには、私には語彙力も無く、一経営者としても余りに未熟だと思う。)

こうした思いの点を繋げて小さな円になることが、私にとっては仕事であり小さな世界そのものである。そんな小さな円が、各地にぽつぽつと出来ていけばいいなと思うし、大きな組織に属さずにでも生きていける手段だと思う。

この記事でもお分かりいただけたかと思うが、私はかなり「感覚的」に人生を流れている人間だと思う。ついこの前まで、みんなそうだと思っていたし、このような思いは絶対お客様に口にして伝えるべきではないと思っていた。(何故か)感覚的に伝わる事が一番だと思っていた。けれども薄々、そうじゃない感じなんだと思ってきた。。ましてや情報が乱れ舞うこの20年代で、私のささやかな感情の機微を誰に感じ取る余白があるのだろう、と。笑       文章にしたところで、伝わるわけけではないけれど、こうして起業して一年、自分ですら乱立する情報の中にこの気持ちが埋もれてしまいそうなので、一度記しておかなければと思った。


そうして、起業した日がまさかのコロナ禍への入り口であり、新しい苦難の世界の始まりだったというのは、また別のお話。。

fin

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?