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10年先を見据えて -PROJECT ATAMI Ep.3-

PROJECT ATAMIは発足にあたり、アーティスト・イン・レジデンスやグラントを通して、10年後には500点の作品を熱海に残したいというヴィジョンを掲げている。ACAO ART RESIDENCEが5組x4シーズンで年間20組、ATAMI ART GRANTが年間30組で1年に50作品が街中に残されたとして10年で500作品という計画だ。
一過性ではなく、少なくとも10年は継続してアート作品で熱海の街に彩りを与え、アーティストの感性を通して市民が見過ごしがちな熱海の魅力を発掘し、地域を活性化していきたいという先を見据えた取り組みであるという決意の表れのようにも受け取れる。

コロナ禍においてホテルという場所で何ができるのか?という現状の課題に向き合い、使用されなくなったホテルの空間や空き部屋を活用し、アーティストがゆとりある環境で長期間滞在して時間をかけて熱海をリサーチすることのできる滞在型プログラムが作られた。崖の上に立つ広大な敷地のリゾートホテル、海を見下ろす温泉など主催者は既にあるものを提供している訳だが、アーティストにとってそれは一般のアーティスト・イン・レジデンスにはない魅力的な要素だ。非日常的な空間は創作意欲を刺激する。

トリエンナーレやビエンナーレといった数年に一度の一過性の大型イベントではなく、公募型の単発イベント(フェスティバル)と年4回アーティストが1~2ヶ月滞在するレジデンスプログラムで年間を通してアーティストが熱海に滞在し、恒常的にアートが日常にある環境を生み出すことを目指している。

ホテル内にも作品があり、エントランスの広々としたスペースを活用してギャラリーが設置されている。いわゆるホワイトキューブのギャラリーとは異なり、装飾過多なリゾートホテルで鑑賞するアート作品はここでしか体感できない不思議なマリアージュだ。フランスの世界遺産ベルサイユ宮殿では、2008年より今をときめく著名アーティストによる現代美術展が開催されるようになったが、宮殿内は様々な制約があり美術館やギャラリーのように作品主体では展示が難しい。ACAO SPA & RESORTの展示では、ニューアカオ館はもちろん、現在もホテルとして稼働している空間においても至るところに作品が設置されており、ホテル側の度量の深さとアートに対するリスペクトが感じられる。

レジデンスプログラムではキャリアのあるアーティストも参加しているが、公募型フェスティバルでは結果的に若い世代のアーティストの展示プランが多く採択されており、有り余るようなエネルギーやここにかける意気込みを感じさせる展示もあった。世界的に著名なアーティストや日本初展示となる新進気鋭のアーティストを目玉とするアートフェスティバルが多い中、PROJECT ATAMIでは若手日本人作家が全体の過半数を占めていたのも特徴的だ。コロナ禍で海外から外国人の入国が難しくほぼ鎖国状態であること、また予算的な理由もあるが、ネームバリューやブランド力に頼らずアートイベントを成立できることは商業主義から一線を隠し、健全といえるのかもしれない。アートの専門家や愛好家(もしくは投機目的)以外はそもそも著名であろうと現代美術作家に興味のある人は少ない。多くの人々にとって、著名な現代美術作家の展示よりも、入場無料の方が訴求力があるだろう。無料だからという理由でなんとなく展示に訪れてみて、偶然にも心に響く作品に出会い、それをきっかけにアートに興味を持つ。熱海の思いがけない一面に気づき、また熱海に訪れる。誰にでもアクセスのしやすい環境を作ることは、現代美術に興味のない人々や経済的に余裕のない人々に対しても、このようなシンプルでポジティブな循環を生み出すことが期待できる。

行政や大企業が主導しているわけではないPROJECT ATAMIは、大規模なアートプロジェクトと比較すると予算もスタッフも格段に小規模だ。できることは限られているが、小回りがきくメリットもある。目の行き届く小さな組織だからこそ臨機応変に判断し、迅速に実行に移すことができる。また一人ひとりの裁量権が大きいため、スタッフ間が信頼関係を築かざるを得ない。特にキャリアの浅いスタッフにとって、それは責任感を養い大きな自信にもつながるだろう。予算もスタッフ数もコンパクト、できないことは潔くカットし、できる範囲でより良い形を模索しているPROJECT ATAMIは、持続可能な新しい地域再生型アートのモデルケースとして、ひとつのかたちを提示しているのかもしれない。

2021年11月に開催されたアートフェスティバル、ATAMI ART GRANTには、若者から年配の方まで幅広い世代の人々が訪れた。最終週には1日の来場者数が1000名を超え、オープン前からメイン会場であるホテルの前には長蛇の列ができた。ちょうどコロナ感染者数が減少し、県外への移動制限が緩和されたこともあり、多くの人々が我慢していた旅への欲求を発散させるかのように日本各地に観光客が戻りだした時期であり、開催のタイミングとしても良かった。若者はSNS映えするスポットを求めて訪れては、撮影した写真をSNSに投稿し、それを見た若者が興味を持ち、また新たな来訪者へとつながる。一方、かつてホテルが全盛期だった頃、ニューアカオ館を宿泊客として利用していた世代には、2021年秋に惜しまれつつ宿泊営業を終了したニューアカオ館のファンが多い。もう宿泊することは叶わないが、再び館内を見て回る機会を得られ、度々宿泊した思い出の場所を見て回り、当時に想いを馳せることができる。

また、ATAMI ART GRANTはフェスティバル型のアートイベントでありながら、全プログラムを入場無料としたことは英断だ。美術関連だけでなく、オペラ、バレエ、コンサート、映画など日本の文化芸術関連イベントの多くは、おしなべて料金設定が高い。もちろん美術館や博物館の入場料をはじめ、無料もしくはリーズナブルな料金で文化芸術イベントが日常的に数多く開催されるヨーロッパでも、例えば富裕層が世界各地からそれを目当てに来訪する世界的に名の知れた国際芸術祭の入場料などは高額に設定されている。しかし一般料金とは別に学生対象にはかなりリーズナブルな料金が別途設定されていたり、無料で入場できるエリアも多く、誰でも「なんとなく見てみるか」と思わせる気軽さを残している。もちろん改善の余地はあるものの、貧困層や特別アートに関心のない層が気軽にアートに触れられる仕組みや環境が日本よりは格段に整備されており、間口が広く設定されている。

また、ヨーロッパでは日々開催されるコンサートやギャラリー、ミュージアムも無料や安価な料金で入場でき、金銭的に余裕のない層でも日常的に良質な文化芸術に誰もが触れることのできる環境が整備されている。誰もが気軽に質の高い文化芸術に触れられる環境は想像力や創造力を醸成し、物事を多面的に捉えることにもつながる。柔軟な思考は日常生活を豊かにする。寄付文化の根づいていない日本で、民の力で始めたPROJECT ATAMIのように小規模で実験的なアートイベントが、誰にでもアクセスしやすい入場無料というシステムを選択したことは、素晴らしい試みだ。今後アートプロジェクトを継続していくためにはチケット制を導入することもあるのかもしれないが、チケット収入に頼らず誰にでもアクセスできるかたちを模索し、今後も継続していくことを願いたい。

専門家やアート愛好家から見れば既視感のある作家や作品だとしても、美術館やギャラリーなどニュートラルなホワイトキューブを離れ、商店街や市街地の飲食店やホテルなど現状使用されている建物の屋内外、廃墟など、特徴的な空間で展示されていると、また異なる表情が見える。
ベネツィア・ビエンナーレがかつての船製工場を展示会場として再活用しているように、廃屋や廃墟を展示会場とすることはもはやスタンダードともいえる。とはいえ、PROJECT ATAMIで作品が展示されているニューアカオ館の持つ場の力は圧倒的だ。ホテルの全盛期、高度成長期の日本の流行が見て取れるかつては最先端だった折衷的で過剰ともいえる装飾は、強烈な魅力を放っている。そしてミニマルな建築物やインテリアに慣れ親しむ若い世代にはそれが新鮮に映る。ホテルの空間自体がある種作品かのように印象に強く刻まれる。増築を繰り返した結果、現在地が分からなくなるような構造となった不可思議なホテルはまるでラビリンスだ。伝統的でも先端的でもない独特な魅力に溢れるユニークなホテルに、今度は宿泊してみたいと思う人も少なくないだろう。


南仏では夏のバカンスシーズンになるとそれぞれの街で(住民100人程度の小さな村も含め)独自色の強いアートイベントを開催している。そしてアルル国際写真祭、アヴィニョン演劇祭、エクサン・プロヴァンス音楽祭など世界でも名だたるフェスティバルだ。気候が良く、世界遺産や中世の街並みが残る風光明媚な景観、観光地としての魅力とアートプログラム自体の魅力が共存している。しかし世界各地から多くの人々が来訪するのには他にも理由がある。数々のフェスティバルが同時期に開催しているため、各都市を回遊しながら多くのプログラムを楽しむことができるのも魅力だ。そして何より、フェスティバルに参加する専門家やアーティスト、観光客、そして地域の人々、それぞれが緩やかに交流し楽しむ姿勢が街のムードを作り上げている。

昔ながらのリゾート地といったイメージもある熱海近郊、箱根や伊豆には、実は魅力的な文化施設が点在している。箱根にはポーラ美術館や箱根彫刻の森美術館、そして伊豆には杉本博司が考案した江之浦測候所がある。首都圏からは車や電車で2時間ほどのエリアに集まるこれらの文化施設と連携し、日本の新しいアートの拠点の一つとしてアートによりどのような形で地域を活性化することができるのか。また、ノスタルジックな雰囲気と広さとユニークさを併せ持つ展示会場を活かして、都心では不可能な、熱海だからこそ実現できるアートのかたちを発信していくことができるのではないだろうか。

Special Thanks: 伊藤悠(PROJECT ATAMI ディレクター)
Text & Photos: Riko

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