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きらきら輝いている人に嫉妬してしまう

 Instagram、そこはきらきらで溢れている。

黒のブーツを履いて、かわいいリングをつけて、コーヒーを持っている写真。

おしゃれなカフェを背景に横を向いて笑っている写真。

イギリス貴族のティータイムのようにテーブルいっぱいのスイーツと、カップを持って微笑んでいる写真。

どれもきらきらしてて、その人物が身近であればあるほどいいなぁと思ってしまう。


SNSの投稿はどうしても自分との比較材料になってしまう。自分が暇な時にパッと Instagramを開くと、楽しそうにしてる友人たちが見えてしまう。

見なければいい。

もちろんそれができたら苦労しない。しかし今ではSNSは重要なコミュニケーションの場となっているのだ。そう簡単にはいかない。それはおそらく若ければ若いほど。


自分が何か目指している、努力していることがあるとする。しかしそれが思うようにいかなかったり、あるいは将来が見えづらい不安定なことだったりすると、この道が正解なのかわからなくなってしまう。

そんな時に他人が同じような分野で成功し、きらきらしている姿を見てしまうと、羨ましく思ってしまう。


「他人と比べてしまう」


自分が満たされていなかったり、不安定な時ほど比べてしまう。

友人に相談し、心配してもらっても、解決にはならない。

自分が変わるしかない。

というかこれはチャンスではないだろうか。


追い込まれている時だからこそ、自分自身の変化の時かもしれない。


過去の自分とならまだしも、他人と比べることに意味はない。

上には上がいる。当たり前である。

それに近ければ近い存在ほど、自分もそうなれる可能性を感じたり、その人が成功する過程を知っているから悔しいと思ってしまう。


わかっている。わかっているのだ。そうである、そうゆうことでしかないと知っていても落ちてしまうのだ。


一旦、その無意識に敵視してしまっている争いから降りて、解放されてみる。

人がたくさんいるところ、広い場所、自分がちっぽけだと思える場所に行ってみる。

それは想像でもいい。宇宙から自分の住所までをいってみるのだ。      「宇宙の中の地球の中の日本の中の東京の中の渋谷の中の、、、、2丁目の○○アパートの101号室のベットの上にいる私、」




「ちっさ」


そう思えるまで。

その一言はまだまだいけるってことだから。








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