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コラム 「医師にとって一番大切なものは何か」

こんにちは、緩和ケア医のDr. Toshです。緩和ケアの本流へようこそ。

私は、現在大学病院に勤務している医師です。緩和ケアと心療内科を専門としています。

私のYouTubeチャンネルについて

以前からご覧になられている方はご存知かも知れませんが、今月からYouToubeを始めました。

緩和ケアについての様々な話題、情報、知識を、患者さん向け、ご家族向け、医療者向けの3方向に分けて解説するチャンネルです。是非とも登録してご視聴ください。

緩和ケアは、まだまだ多くの方に知られておりません。情報発信されていてとしても、間違った情報のほうが発信されていることのほうが多いように思います。

今現在、がんになり治療している人、そしてそのご家族の方たちに、正しいがん治療、緩和ケアを知っていただき、がんになってもより良い生活が過ごせるようになってほしい、という思いから、YouToubeを発信しています。

もちろん健康な人たちも、今のうちに緩和ケアの知識を知っていただくことも、これからの人生にとって非常に重要と思いますので、是非ともご視聴ください。

「医師にとって一番大切なものは何か」

さて、この投稿はいつものものとは少し違い、コラムとして発信しています。これから月1回、大体月末辺りに公開しますのでよろしくお願いいたします。

私の勤めている病院は大学病院ですので、私のところにも研修医の先生方が順番に回ってきます。彼らに私は「医師にとって一番大切なものは何か」という質問をします。

豊富な医学的知識、確実な技術、より多くの経験、コミュニケ―ション能力、等など、彼らは色々考えて彼らなりの「医師にとって、一番大切なものは何か」を話してくれます。

一番最近に回ってきた女性の研修医が「患者さんに対する思いやり」だと思います、と言ってくれました。彼女と話した後、自分なりに医療における思いやりとは何だろうと考えてみました。

思いやりとは、自分と出会った患者さんを大事に思い、大切に扱うこと、真心で接すること。

医療者にとって一番大切なもの

そんなことを考えていると、ある知り合いの看護師から聞いた話を思いだしました。

彼女は一般病棟で師長をしているのですが、患者さんとうまくコミュニケーションが取れない若い看護師たちが多く、どうしたらよいかを考えたそうです。

彼女は看護師たちが病室に行った際、必ず患者さんのスリッパを揃えるように指導したそうです。そうすると、患者さんから看護師のケアに対する感謝の言葉が明らかに増えたそうです。


思いやりとは、実はほんの些細なことかもしれません。しかし、これら些細な思いやりがないと、いくら知識や技術があっても医療者としては2流だろうと私は思います。

思いやりを違う言葉に言いかえると、それは「愛」だと思います。

医療者にとって一番大切なものは「愛」です。そして「愛」を与える行為が医療です。愛を患者さんに与えると、感謝という返事が患者さんから返ってくるのだと思います。

現代医療においても難病といわれるものは非常に多くあります。がんがその代表だです。がん、とりわけ進行がんを治すことはほとんどできません。がん患者さんを癒すことも常にはできません。

しかし、愛する気持ちをもって側にいることは、その気になればいつでもできることだと思います。そしてそれこそが医療者にとって一番大切なことだと思っています。

緩和ケアの神髄

"Not doing , But being"
 

私のチャンネルの中の「緩和ケアの神髄」の動画でも取り上げた、近代ホスピス運動の母、シシリー・ソンダース先生の言葉です。

「やれることがなくなったとしても、いつもそばにいてあげること」そのようにソンダース先生は言われました。これも緩和ケアの神髄だと私は思います。

「緩和ケアの神髄」とソンダース先生の記事はこちらです。

また、ソンダース先生は生前「緩和ケアとは色々なところに橋を架けることである」と言われました。

「架け橋としての緩和ケア」の7つの架け橋
(1)「聴く」という橋をかける,
(2)痛みの基礎研究に橋をかける,
(3)地域に橋をかける,
(4)家族に橋をかける,
(5)急性期医療に橋をかける,
(6)スピリチュアル的側面に橋をかける,
(7)喪失を乗り越えて成長するための橋をかける,

私もYouToubeを通して、多くの方たちと患者さん、その家族、そして医療者との愛の懸け橋になれたらと思います。これからもよろしくお願いします。

最後に 〜Travessia

最後に、ミルトン・ナシメントというブラジルのシンガーソングライタ―のTravessiaという曲を紹介したいと思います。

Travessiaとはポルトガル語でつながりを意味する言葉だそうです。ミルトンはこれを自身で英訳するときに、Bridgeと表現したようです。

1970年代に作られた曲ですが、今でも多くの人たちにカバーされています。

Bridges (Travessia) / Milton Nascimento
I have crossed a thousand bridges
In my search for something real
There were great suspension brigdes
Made like spider webs of steel
There were tiny wooden trestles
And there were bridges made of stone
I have always been a stranger
And I've always been alone
There's a bridge to tomorrow
There's a bridge from the past
There's a bridge made of sorrow
That I pray will not last
There's a bridge made of colors
In the sky high above
And I think that there must be
Bridges made out of love
I can see her in the distance
On the river's other shore
And her hands reach out longing
As my own have done before
And I call across to tell her
Where I believe the bridge must lie
And I'll find it, yes I'll find it
If I search until I die
When the bridge is between us
We'll have nothing to say
We will run through the sun light
And I'll meet her halfway
There's a bridge made of colors
In the sky high above
And I'm certain that somewhere
There's a bridge made of love
TRAVESSIA(橋)歌詞意訳 四宮敏章
確かな何かを求めて
僕は幾千もの橋を渡ってきた。
鉄線を蜘蛛の巣のように
張り巡らしてある吊り橋もあった。
小さな板きれの橋もあった。
固い石でできている橋もあった。
僕はどこでも理解されず
いつでもひとりきりだと思っていた。
未来につながる橋もある。
過去につながる橋もある。
つらく悲しみの思いが
つながってできている橋もある。
大空高く続く虹のような
輝く色でできた橋もある。
僕は祈る。
世界中のすべての橋が
愛で作られるようになることを。
川の向こう岸に誰かがいる。
遠く離れたところだけど
昔の僕のように何かを求め
その人は手を伸ばしている。
僕は大声でその人に呼びかける。
「その橋はきっとあるよ。
君は見つけられる。
そうさ 必ず見つかる。
探し続けることをあきらめたりしなければね。」
僕たちをつなぐ橋さえあれば
恐れることなど何もない。
太陽の光に向かって歩んでゆけば
僕たちは橋の上で会えるのだから。
大空高く続く虹のような
輝く色でできた愛という名の橋を 
僕たちは世界中に架けてゆこう。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

私は、緩和ケアをすべての人に知って欲しいと思っています。
このnoteでは緩和ケアを皆様の身近なものにして、より良い人生を生きて欲しいと思い、患者さん、ご家族、医療者向けに発信をしています。

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愛の架け橋を皆様と。

また次回お会いしましょう。

さようなら。

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