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自分が「核共有の議論」に反対する理由。


大好きなアニメ『キングダム』4期が
来月からスタートする。
思い返せば、3期は2020年4月、
新型コロナウイルスの影響で
すぐに途中で延期となった。
続きは翌年の2021年4月になってから
ようやく放映された。
今年の4月には予定どおり4期が始まる。
他のアニメも滞りなくやっているし
今回はもう延期はなさそうだ。
最近までは、ただ単純にそう思っていた。
でも、ロシアのウクライナ侵攻によって
誰もが思い知らされたはずだ。
次の瞬間には何が起こるかわからないし
コロナ禍でさえまだどうなるか
先のことは誰にもわからないのだと。

戦禍に巻きこまれたウクライナの人々は
今この瞬間も恐ろしいおもいや
つらいおもいを味わっているはずだ。
ウクライナの現状は悲惨だ。
事態は刻一刻とひどくなる一方だ。
いろんな事情で避難が遅れている人々は
無事に脱出できるかどうかもわからない。
アニメの続きを楽しみに待っているような
そんなのんきな心境にあるわけがない。
プーチンに抗議して戦争反対を訴えている
何も悪くない一般のロシアの人々も
みんな「ロシアへの制裁」にさらされる。
コロナ禍の時もそうだったけれど
誰がそんな未来を予測できただろうか?

ロシアによるウクライナ侵略の報道は
2月末からずっと続いている。
でも、この国でのいつもどおりの日常も
その間もずっと続いていた。
独裁者プーチンのやり方は許しがたいし
ニュースを話半分に聞いたとしても
激しい憤りをおぼえている。
だからといって
四六時中そのことを考えてはいなかった。
コロナ禍でのもろもろに加えて
多忙をきわめる年度末と来ている。
正直なところ
遠い国の戦禍の被害者に同情はしても
それはそれ、これはこれだと
どこかしら他人ごとだったのは否めない。

でも、たとえばもしも今、
日本が激しい地震に見舞われて
自分も避難所生活を余儀なくされたら?
誰しも自分の立場に置き換えて
はじめてわかることがある。
腎臓病を患う自分は
長引く避難所生活で飲料水が不足すれば
脱水によって持病が悪化するだろう。
インスタント食品や菓子パン、
缶詰などの塩分の多い食事がつづけば
遠からず、確実に体調不良に陥る。
そんな生活は持病のある自分には
そう長くは耐えられないだろう。
ウクライナは今、
災害にも等しい戦禍に見舞われている。
かれらが余儀なくされているのは
いつミサイルが飛んでくるかわからない
戦時下での過酷な避難生活だ。
それがウクライナの人々の現状なんだ。

目の前で起きている日常の崩壊。
敵の侵攻と砲撃によって頻発する被害。
凍てつく夜道を凍えながら
砲弾の攻撃に怯えながら
徒歩で避難しなければならなかったら?
自分のように持病をかかえていながら
住む家を失い、満足に食事もとれず
薬も容易に入手できない人々は
一体この先どうすればいいのか?
想像するうちにいたたまれなくなった。
戦争などするべきではないんだ!

自分が住んでいるのは日本で
コロナ禍にはあっても
戦時下にはない平和な国だ。
だからアニメを楽しみに待つのだって
別に間違ってはいないと思う。
でも、
間違っていなければそれでいいのか?
日本にいたって
東日本大震災のような事態は起こり得る。
突然のコロナ禍で仕事や住む家を失って
困窮している人々も存在する。
自分はたまたま運がよくて
住む家や生活費に困るようなはめには
ならずにすんでいる。
でも、もしもそうでなかったら?
この先で自分も同じ立場になったら?
家賃も払えず、食べるものもなく
仕事も収入も絶たれ
腎臓病の治療も受けられず
路上へ出てゆくほかなかったら…?
安心も安全も安定した日常も…
絶対なんてものはどこにもないんだ。
東日本大震災の被災者たちも
ウクライナ侵攻の犠牲者たちも
戦争に反対するロシアの一般市民や
戦いたくないのに駆り出されている
ロシア軍の最前線の兵士たちだって
まさかこんな事態になるなんて
想像もできなかったはずだ。

この事態を
ある程度予測できた者がいるとするなら
関係各国の首脳陣ぐらいだろう。
プーチンとその取り巻きは言わずもがな
甘い見通しで勢力バランスを崩した
アメリカも当事者に含めていいはずだ。

ロシアによるウクライナ侵攻は
昨年末、アメリカのバイデン大統領が
ウクライナ不介入の方針を公言した結果…
そういう見方がある。
たしか昨年のアフガニスタンでも
米軍の撤退に乗じて
タリバンがあの国を制圧したはずだ。
正直いって
中東のイラクやアフガニスタンでも
アメリカが余計な首と武器を突っ込んで
戦争を長引かせてきたイメージがある。
そもそも戦争しても何の得もないのなら
海の向こうのアメリカが
多額の予算をつぎ込んでまで
他国の紛争に介入した理由がわからない。
しかも、何年もやりたい放題した挙句、
事情が変わったのか
都合が悪くなったからなのか
最後には撤退や不介入と言い出して
途中で放りだしたようにも見える。
いわゆる「損切り」のつもりで
判断を誤ったと見る意見だけど
自分も似たようなことを考えていた。

そういう見方をするからか
「日本でも核共有について議論すべきだ」
「核はダメだけど議論は必要だ」
この種の主張は、自分には不信感しかない
こうした論法は
いずれ「議論するだけではダメだ」とか
「抑止力としての核は容認すべきだ」
みたいな方向へ向かいがちだからだ。

こんなことは考えたくないし
絶対にそうなってほしくないけど
もしも追いつめられたプーチンが
本当に核を使ってしまったらどうなる?
それを考えるとき
だから軍備拡張が必要だという人もいるが
自分は「核の議論が必要だ」とは
やはり思わない。
持っているから使おうとするのであり
それを使えば大惨事は避けられない。

そうなったら
ささやかな軍拡だの核の共有だのなんて
ほとんど意味をなさないどころか
それを口実に標的にされるのが関の山だ。
実際プーチンはその論法を使っている。

核の共有があろうとなかろうと
議論が必要だと言いだす輩は
今後も必ず出てくるだろう。
がしかし
無いものはどうしようもないけれど
共有ないし配備していれば
「どう活用できるか」という話にもなる。
つまるところ「核共有の議論」とは
最後にはそういう方向へ誘導するための
議論の前提となる条件を整え
次の段階に進めるためのものではないかと
自分は考えるのだ。

A倍氏やそのご同類の皆さんは
お得意の火事場泥棒のようなやり方で
煽られやすい国民を洗脳しようとするのは
そろそろやめてくれませんか?