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QS世界大学ランキング(Art and Design)10年連続トップ1のRoyal College of Artでの教養について

今年の1月8日から、QS世界大学ランキング、アート&デザイン部門で10年連続トップ1をとり続けている(2024年時点)、Royal College of Art(RCA)のGraduate Diploma(Graddip)に入学しました。今回は、もうすぐ三ヶ月がたとうとしているRCAについて書こうと思います。

約15年ほど、グラフィックデザイナー&アートディレクターとして、現在も日本のお仕事をさせてもらっていますが、2018年に独立した頃をきっかけに徐々にデザインのジャンル以外の活動に魅力を感じ、苦手すぎる英語もなんとかギリギリクリアして現在RCAのGraduate diplomaというコースのFine Artの専攻で通っています。


Royal College of Artとは

ロイヤル・カレッジ・オブ・アートは、ロンドンに所在するイギリスの国立大学。修士号(MAおよびMPhil)と博士号(PhD)を授与する世界唯一の美術系大学院大学です。(出典:Wiki

卒業生には、ヘンリー・ムーア(彫刻家)、リドリー・スコット(映画監督)、デイヴィッド・ホックニー(画家)、ブラザーズ・クエイ(映像作家)、ジャスパー・モリソン(デザイナー)、チャップマン・ブラザース(アーティスト)、トレイシー・エミン(アーティスト)など他にも数えきれないほどたくさんの人が卒業しています。

Graduate diplomaとは、イギリスにおいては学士から修士で専攻を変える人用のコースであり、資格でもある。 なお資格としてはレベル5の学士とレベル7の修士の間であるレベル6になります。(出典:Wiki )


RCAの教養について

まず、私がここで「教養」という言葉を使っていることはとても大きな意味をもちます。今、このコースに通っていて自分自身「教養」を受けているという感覚がとても強いのです。それは、先生からなにかを教えてもらい記憶するのではなく、自分で興味のあることを調べ、それについての知識を身につけるという感覚です。
大学院は大学よりも、より高度で専門的な知識・能力を身につけ、自立した研究遂行能力が求められる場です。私はGraddipなので、正確には大学院を目指している立場で、まだ大学院生ではありません。
院に通っている人に話を聞くと、内容はコースによって全く違うようです。授業が多めにある科もあれば、基本的にほとんど授業はなく、自分自身で研究を進めることがメインの科もあります。(他の大学はわかりません)
また、日本の美大が作品のクオリティを重要視することに対し、こちらでは作品の文脈や成り立ちに重きをおいています。現代アートの世界では、作品のクオリティはもちろんのこと、なによりも文脈(Context)が大事なので、世界で最もクリエイティブな都市の 1つ、ロンドンでそれを学べることは、日本でアートの勉強を独学で行っていたときよりも大きな価値と進歩を感じています。

おそらく私は同学年の中でも最下位くらいに英語が拙いです。クラスメイトのほとんどは母国語が英語の人か、もしくは学生の時から英語圏に移り住んで過ごしてきた人が大半をしめているため、生徒同士の日常会話(特にグループでの会話)に入ることはとても難しいです。ちなみに年齢は本当にバラバラで、30代が一番多いんじゃないかな…?と思っています。しかし幸いなことにクラスメイトは本当に優しくて、英語が苦手な私を気遣ってくれる人が多く、本当に涙がでるほど恵まれた環境だなと感じています。
また、個人的には先生の態度がとても魅力的です。どの先生からも、それぞれの哲学や美意識を感じる振る舞いや発言が多く、こういう振る舞いや態度ができる人間になりたいな、と思わせてくれる人が多くいます。

そんな中、授業の中で多くの気づきと発見を得ています。一つのトピックについて1日、もしくは数日かけて先生の話を聞いたり、生徒同士でディスカッションをしたり、そのトピックに関する制作物を作ってみたりリサーチをすることで、机上だけでは理解しずらい感覚的な部分にとても響いていることを感じます。

例えば私は、美術における「批判」ということの意味について、日本で少しだけ調べてみた時期がありましたが、正直どういうものかよくわかりませんでした。
おそらく「批判」という単語自体に含まれている潜在的なイメージが先行して、美術の文脈における「批判」(日本語にあてはめてみた場合批判という単語が選ばれた)の意味を受け取ることができていなかったのではないかと思います。
今「批判」とはなにか?と聞かれたら、端的に答えることはまだ難しいですが、それでも身体感覚として想起してくる感覚を掴むことがこの2ヶ月程でできたことは大きな発見です。

西洋における美学とは、哲学の一領域です。「感性的なもの」と「学問」という語が省略された語義の「感性学」になります。
「美学」の意味を調べると、18世紀に成立した哲学の一領域。美の本質や構造を、その現象としての自然・芸術およびそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探求する。とありますが、この経験的かつ形而上学的に探求する、というあたりをまさに今、導いてもらっているような気がしています。
感覚的なことをきちんと認識して、それを学問として研究するという姿勢が、私にとっては驚きでした。もちろん普段デザインを行なっている中で、感覚的な部分へのアプローチは意識して行なっていますが、それ以上に形而上学的な意味で探求をするということを、授業を通じて経験している気がしています。


研究するという事について

ちょうど明日の朝、はじめてのエッセイの草案を提出する予定です。私はこのエッセイで、現在はドイツに拠点を持つ韓国出身のアーティスト、Haegue Yangを取り上げました。日本語で検索してもあまりヒットしないので、おそらく日本ではまだそこまで知名度はないと思うのですが、彼女は毎年ArtReview誌が発表している、アート界で最も影響力のある人物を選出する年次ランキングPower 100の中に今回選ばれています。

彼女を基軸にエッセイをかくにあたり、ヘルシンキまで彼女のエキシビジョンを見に行ったり、著書はもちろんのこと、彼女がインスピレーションを得ている様々なことに関する文献を何冊も読みました。
私はこれまで、エッセイや論文など書いたことがなかったので、一つの事柄に対して様々な視点からリサーチをして、自分の仮説を照らし合わせてみたり、証明してみたりすることがこんなに面白いことなのかという感覚を味わいました。
思い返せば小学生や中学生だった頃、私はもともと小説を読むのが大好きだったのですが(もちろん漫画も大好きでした)、お気に入りの本や作家さんが使っている単語を自分の手帳にメモして、お気に入りの単語辞典を作っていたことを思い出しました。お気に入りの単語帳を作ると、それを開いた時に自分にとってキラキラした、魅力的な言葉ばかりが並んでいるので、わくわくして眺めていた経験をエッセイを書いている間で思い出したのです。今はまだ草案の段階なので、これからどんな指摘が先生から入るのかドキドキしているタイミングではあるのですが、興味のある事柄を深くほっていく楽しみを、なんだか久しぶりに味わっています。

ヘルシンキで見たHaegue Yangの作品


具体的な内容はあまりありませんでしたが、身体的に感じている感覚を少しでも伝えられたら嬉しいです。
次noteを書くときには、またこの感覚が少し変わって進歩していることを願って。


インスタグラムではイギリスでの様子を投稿しています。


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