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悩みをもたらす子どもたち

こうもりあそびばにときどき現れる、関わり方に悩んでしまう子どもたちには、ある共通性がある。
もっとも、子どもは一人ひとり違うものだし、あまりひとくくりにしたくないとは思っている。

そうした共通点は、一人ひとりに異なる特性のなかでも、単に私が苦手とする側面とも言える。
子どもに属する特性というよりは、私が意識してしまう部分ということ。


それらは、次の2つの側面を併せ持っているということ。

1つ目は、言葉や態度にトゲがあるという点。
たとえば、他愛のない意見を伝えるときにさえ、人格否定から入る。「おまえばっかだなぁ。それはこうしろよ」みたいな言い方をする。
「こうしろよ」の内容もどうかと思う場合が多いけれど、妥当な場合でも、そんな言い方をされれば傷つく。
とは言え、ただそれだけだったら、そこまで悩んだりしない。

2つ目は、その子自身はとてもナイーヴだという点。
ゲームに登場するモンスターなら、攻撃力が高ければ防御力も高い場合が多いけれど、このタイプの子は、高い攻撃力に反して防御力が極めて低いのだ。
口調がきついので、つい一言言い返したら、たちまち傷ついてしまう。
というか、言い返すつもりもなく、ただこちらの意見を説明しているつもりなのだけれど、そうした子は自分を否定されていると感じてしまうようなのだ。

だから、こちらの思いを伝えたくても、話し合いたくても、それを攻撃ととられてしまうので、まともに受け止めてもらえない。伝えたいと思えば思うほど、火に油を注いでしまう。とても難しい。
できるだけ寛大でいたいけれど、こちらも人間なので、受け止めきれない気分のときもある。あまりひどいことを言われると傷つくし、苛立ちもする。

そんな共通点を持った子が、こうもりあそびばにはときどき訪れる。
特定の一人というわけではない。

どうしたらいいのかわからない。
そうした子ほど頻繁に来るようになるので、この場を必要としているのだろうとは思う。

きつい態度はきっと、その子に身近な誰かが、その子に対してそのような態度で接していたことを反映しているのではないかと心配になる。
杞憂であればいいけれど。

実際その子たちも、根は優しいと感じることが多い。
ただ、優しさの表し方が少しズレていたり、人の優しさに気づけなかったりする。本人が一番しんどいかもしれない。

そうした子たちの居場所になりうる場は、地域にはたしてどのくらいあるのだろう。

小さなこの場でできること、できないこと。
小さな私にできること、できないこと。

私も、私が壊れない範囲でいなければいけない。
疲れてきたら、私も休む。

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熟成下書き

こうもりあそびばは自己資金で平日の夕方に毎日開けていましたが、子育てが中心になってきて、現在はほぼ休止状態。今後のサポートは、執筆活動の諸費用(取材の費用、冊子『小さな脱線』の制作など)に充てます。少額でも非常にうれしく、助かります。