見出し画像

美しい人を褒める

鈍感力とはよく言ったものだ。

類似で、知らぬが仏。知らない方がいいこともある。鈍い。とか。

case by caseだと思う。器用に部分的に鈍感になれたらベストだろうけど。その前に鈍感力という言葉の使い方とか意味合いとか思考を理解できていないから大きなことを言えないけど。

些細なことでも私は気づきたい。

洞察力は、幼少期からやっていたスポーツと飲食店での接客経験から養われたように思う。これは私の財産だ。全部気づけるわけではなくて、私の持つスペックの中では、ある方の分類ということだ。

誰もやらないことをちゃんとやっている人がいる、いつも笑顔の人がいる、いつも小さなことでも準備をしてくれていたり、整理整頓をしてくれていたり。口に出さなくても、気づかれなくても気持で誰かの為に動く人は美しい。気づいてしまうだけなんです、と謙遜するかもしれないけどその心と行動のすべてが美しい。

勿論本人の言う通り、気づいて欲しくてやっているわけではないかもしれない。でも、知ってるってことを伝えるのは、感謝しているって伝えるのは、その人にとって気づかなかったいいところかもしれない。当たり前だと思っていた本人からしたら?

あなたは素敵なことをしていると私は知っていて感謝しています。

私はひねくれているところもあるから、たまに「なんで私だけ」なんて思うこともある。そんな時に、そう声をかけられたら私は素直に嬉しい。別に褒めて欲しくてじゃなくても、気づいてくれる人がいるかいないかって結構大事な気がする。

だから、私はそう言う意味では敏感に洞察力を養い続けたい。

何にも気づかない、何を言われても響かない、ある意味幸せだけどとてもかわいそうだと思う。感情が動いて、初めて人の気持ちも考えることができる。たとえそれが推測で自己満で予想外で的外れだったとしても。人のことを考えられる人になりたい。

休み中、ずーーーーーっと自分のことばかり考えていた。

もう飽きてしまった。

もう私のことは嫌だってほど考えて知ったから、今度は自分じゃない誰かを見たい。沢山の人にまた会いたい。

明日は朝ヨガ!いけるかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?