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『丁寧な暮らし』のむずがゆさ

『丁寧な暮らし』というワードを最近よく目にする。

この文字を見るたびに私は、むず痒さと嫌悪感に似た感情を抱いた。


1番最初に目にした時はギャグか何かかと思っていたが、何もボケてない真面目な文章にこのハッシュタグがついていたのを見た時、私は世間と自分の価値観のズレのようなものを感じた。


この謎の感情の理由について書き留めておきたい。


まず、世間一般から見た、『丁寧な暮らし』が指す概念と、文字としての『丁寧』な『暮らし』が意味するものについて確認していこう。

『丁寧な暮らし』が指す概念

Instagramでこのワードで検索した。

出てきた画像はなんと、どれも私が好む生活スタイルそのものだった。

お菓子作り、綺麗な家、ノーメイク風の女性、ネイル、、、


ただ、どの画像も好きは好きなのだが、どれも共通した生活スタイルを指している訳ではなく、いよいよ『丁寧な暮らし』が指すものが分からなくなった。

言うなれば、細分化された思考性ではなく、ざっくり分けたクラスタリング結果に対して、とりあえず名前をつけておいた価値観クラスターのような、ごっちゃごっちゃの雑駁な言葉に感じた。


『丁寧』な『暮らし』が指すもの

そもそも言葉通りに捉えると、丁寧な暮らしとは何なのだろうか?

丁寧の意味を改めて調べた。

1 細かいところまで気を配ること。注意深く入念にすること。また、そのさま。「アイロンを―にかける」「壊れやすいので―に扱う」
2 言動が礼儀正しく、配慮が行き届いていること。また、そのさま。丁重 (ていちょう) 。

サイトによって表現に違いがあるものの、だいたい同様の定義であった。

そうなのだ。私が思い描く『丁寧』とは正にこのイメージなのだ。

細かいことまで気配りをすることや、配慮が行き届いている状態であり、日本の『気づきの文化』を象徴する言葉であると考えている。

自ら言わずとも、相手を思う気持ちが仕草や佇まいから感じられる。そして、それに気づくことができる感受性、茶道や華道に精通する精神だと思う。

いわば『丁寧』な『暮らし』の意味としては、

充分に周囲へ気を配り、配慮やもてなしの心が行き届いた生活のありようという解釈ができる。

『丁寧な暮らし』の嫌悪感

さて、この言葉通りの意味合いと、ハッシュタグでの丁寧な暮らしの雑駁な集合概念を共有したところで、私が感じた嫌悪感について説明したい。


冒頭に、『丁寧な暮らし』という言葉に対して、むず痒さ、嫌悪感に似た感情を抱いたと述べた。


何を思ったかと言うと、


①本当に?

ということと、

②手前(自分)で言う?

ということだ。


『どう言う意味?』と思われるかもしれないが、『何となく分かるかもしれない』と感じていただいた方は、おそらく似たような感情を抱いているかもしれない。

また、『丁寧な暮らし』ではなく、あえて『丁寧な暮らしに憧れる』というハッシュタグを選んでいる方も同様かもしれない。


まず、①本当に?という話だが、

丁寧な暮らしを、言葉通りに受け取ると、

これぞ、自分の生活は気配りが出来ている生活でござい!

と言われているような気がしてしまい、ただの趣味の画像なんかが出てくると、いささか名前負け、いや、ハッシュタグ負けするような、拍子抜けした感じがしてしまう。


②手前で言う?については、

先に述べたように、配慮や気配りについて、気づきの文化が染み付いているからだろうか、

自分自身で、自らの暮らしの丁寧さを述べるということが不自然な感じがしてしまう。

第三者評価を自ら行なっているように見えて、何故自分でその名を冠するのだろう?と感じたのだ。


そして、なぜ自らそんなことを言わなければいけないのか?ルサンチマンに似た感情を感じてしまったのだ。


『丁寧な暮らし』の効果

では、丁寧な暮らし、は言葉通りの意味合い以外で使うな、ということか?

いや、そうではない。丁寧な暮らしには、言葉以上の効果があるとも言える。

ハッシュタグでこの言葉を使っている人は、自らの暮らしぶりを形容して、丁寧な暮らしとつけているのだろうか?


おそらく80%近くは違うのではないだろうか?


丁寧な暮らしという言葉が、SNSで大勢の方から市民権を得た現在、

言葉の意味ではなく、効果そのものを利用しているのではないだろうか?


先程、私はこのように述べた。

細分化された思考性ではなく、ざっくり分けたクラスタリング結果に対して、とりあえず名前をつけておいた価値観クラスターのような、ごっちゃごっちゃの雑駁な言葉に感じた。

そう。これこそが、この言葉を利用する者の真の意図であるのではないだろうか?


ありさまを指す意味としての言葉ではなく、
同じ価値観でゆるく繋がるための共通キーワードでしかない。もはやおまじないレベルの効果なのだ。
言葉の意味を考えることよりも、大勢の方からハッシュタグとして支持を得ている以上、もはやこのワードを使うのが一番効率的だから利用しているのではないだろうか。


最後に

最初に私は、丁寧な暮らしという言葉に嫌悪感を抱いたと述べた。

しかし、今現在、特に何の感情も抱かなくなった。むしろ、積極的にこのハッシュタグを使おうとすら思った。

嫌悪感のもとには、必ず自分なりの価値観があるはずだ。相手にそれをぶつける前に、まず何故そのように感じるのか?相手は本当に自分と同じ価値観で言動しているのか?それらを自分なりに考えてみることはとても楽しいし、他者肯定感が生まれ有意義な感情へと変わる。








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