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ちょっと普通じゃない連休の、普通の日記〜「自粛疲れ」にツッコミを入れた日。

 ほぼ確実になった緊急事態宣言、1ヶ月程度延長。いろんな人が、いろんな正義で、いろんな立場で、怒ったり困ったりしている。

 ふと、誰かに聞いたこんな話を思い出した。たとえば待ち合わせで、「ごめん5分遅れる!」と言って、ちょい遅れの「7分遅れ」で来た人がいたとする。一方「ごめん15分遅れる!」と言って「10分遅れ」で来た人がいたとする。心理学的には、後者のほうが「時間的には多めに遅れて来た」にも関わらず、好意度が高いらしい。つまり、被害を最初に大きめに伝えておいて結局小さく抑えたほうが、人のこころには心地よいということか。これを考えると、最初に伝えた期間より長引く「自粛期間の延長」というのは、人の心理的にとてもきついことなんだろうなぁと、ニュースのインタビューやネットのコメントなんかを見ながらぼんやり思っている。

 さて、すっかり生活の一部になったこの「自粛」だが、この事態が始まってから続々と登場する「自粛」「コロナ」関連のパワーワードに着目しつづけてきた。まず初期に現れたワードが「自粛ムード」だ。ムード。このどことなくレトロな昭和感とゆるさを醸すワードが「自粛」に組み込まれることで、なんだか全く深刻じゃないことが妙に気になった。「渋谷の街は自粛ムードに包まれています」。そもそも、自粛は「ムード」では駄目じゃないか?自粛を「雰囲気」で語ってはいけないのではないか?私が違和感を抱いた最初の自粛関連ワードだ。そして、今まさにまた再燃しそうなワードが、おなじみの「自粛疲れ」だ。

 私はコピーライター養成講座などの広告系レクチャーで「ネーミング」の講義をすることがある。テーマは「人が動くネーミング」。つまり、ただの「愛称」ではなく、購買や参加などの「行動」につながるネーミング、コミュニケーションで機能するネーミングがテーマだ。その中の一つで、世間の気分や潜在的に漂う雰囲気=「事象」にネーミングをすることで、ひとつのムーブメントや、新しい社会の価値を生むことができる、という話をすることがある。たとえば分かりやすい例は「おひとりさま」だ。一昔前は、一人で食事をすることは少し恥ずかしい感じがしたものだ。でも、「一人で食べる」という事象に「おひとりさま」というネーミングを付けることで、「一人で食べること」が普通になり、社会の新しい潮流になった。このように、ネーミングは、短くて簡単な言葉で、意外と世の中の行動を促したりしているのだ。このような「言葉のちから」は、もちろん前向きにも働くし、使いようによっては、扇動や望まぬ方向に働くこともあるのは周知のとおりだと思う。「自粛疲れ」は、ザンネンながら、思いっきり後者の部類の言葉だ。

 「自粛疲れ」。この子供からおじいちゃんおばあちゃんにまでスッと入り込むシンプルなワードは、実にやっかいだ。毎日のようにテレビやネットで目にし、刷り込まれることで、逆に、「そうだ、おいらは自粛で疲れてるんだ!自粛コノヤロウ!政府コノヤロウ!」と、自粛へ疲れているという自覚を大きくし、自粛への嫌悪を増してしまっていると思う。「コロナ慣れ」「コロナ帰省」というワードなんかもそうだ。

「ああ、わたし、『自粛疲れ』だから、ちょっと出かけて気分転換してくるわ」

「もう日本は『コロナ慣れ』してるから、自分一人だけ気をつけたって意味ないさ」

「『コロナ帰省』?そうか、今のうちに帰省したほうがよさそうだな!」

こんなふうに、マイナスの行動を生み出す可能性が大いにあると思うのだ。世の中に生み出された、ザンネンな言葉たち。ニュースを見るたびに、そんな言葉たちに独りつっこみを入れている毎日だ。コピーライターとして、勝手に責任感と仕事への意欲を燃やしているので、私はおかげさまで全く「自粛疲れ」なんてしてません。

 ちなみに、世の中に時流を生み出してきた歴代のネーミングを語る上では、「ちょいワルおやじ」は欠かせないだろう。ただのギラギラおじさんが、ファッションの時流になった瞬間だ。そのようなチャーミングなコピーライティングを目指し、この日々を精進しようと思う。

#コラム #エッセイ #言葉 #コピーライティング #コロナ #STAYATHOME




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