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#010 理系が罠にハマる根本原因は何ですか?--理系各員に捧ぐ

本シリーズは、①勉強頑張ったら選択肢が増える、②理系かつ高成績の方が選択肢は多い、③選択肢が多いと良い会社に入れて幸せになれるというよくあるお話の②まで必死で頑張ったものの、③は半分嘘である。ということに気付いて四苦八苦した私が、理系が気付かぬうちに罠にハマらないために、考えて損のないだろうトピックを書いていくものである。

今回は#010ということで、根本的な内容に立ち返り、理系の罠、よく起こる不幸など本シリーズのトピックを考えることで回避したい対象が起こる原因とその対策を考えたい。

私は今日まで、前向きでない理由で大学を辞める人や、不要な休学をして無為に時間を過ごした人、理系で過ごしてはいるが、全く向いていない自覚もありながら頑張ったものの報われず卒業した人など、様々な理系の罠にかかった人を見てきた。この人たちが、不幸だと言っているのではない。この経験を生かして人生を豊にする可能性がある。ただ、人生は短い。せっかくなら、自分の人生計画の上で、生かせる可能性の高い体験に人生の時間を使った方が有意義なのは明らかである。

人生計画を正確に作るには、まず自分の現状を知る必要がある。そのためにまず、理系各員みんな経験したことがあるはずの、成績順位という概念に関して述べていこう。

成績順位が誤認させる社会

成績順位。大学に入った頃には、当然のように意識するようになっている順位だ。そしてこいつが、厄介な概念である。

学校社会で等しく全員を測る唯一の尺度が、学業成績だ。習い事や部活などで、別の評価軸を持っている人もいるかもしれないが、全員を測るものは他にはそうそうない。必然、この成績をとることは目指すべきこととなる。

成績が良ければ、先生の態度も優しい。親も優しい。友人も頼ってくれる。進路も周りが羨む進路を選ぶことができる。いいこと尽くめだ。

大学に入っても成績は重要だ。就活で成績証明を出すこともあるようだし、進学という選択肢を選ぶにも成績は役に立つ。奨学金のチャンスもあるかもしれないし、友人たちの信頼だって得られる。

社会人。成績はごく狭い中で、横の部署とは全く別の評価軸でつけられる。成績が良かったから昇給。でもその額はしれている。成績優秀ということで仕事は降ってくるし、でも横の成績どべのあいつと給料はさほど変わらない。

成績はおもちゃの勲章のようなものだ。それでトップを取ったからと言って、人生が良くなるわけではない。学校の成績が厄介なのは、学力のみの1評価軸だからである。競争の方向を1方向に狭め、その中でのみ学生に優劣を意識させる。したがって、競争の結果、成績でトップを取ることに対する喜びが非常に大きくなる。

しかし実際の社会は、無限に近い評価の軸がある。その無限の軸の中で、自分が何をするのかを選び取り、冷静に競争原理を利用して自分を伸ばすこと、周囲と比較した相対評価ではなく自分の中の絶対評価を喜ぶことが、豊な人生には欠かせない。成績トップはそれほど大きなことではないと知り、その会社で学ぶことが尽きたなら次のキャリアを考えれば良い。

成績という物差しは、大学を出るあたりまでは進路を決めるにもどんな時にも使える万能の尺度だが、一歩引いてメタ的にみれば、成績は大学までの人員配置をスムーズに行うためのシステムに過ぎない。学校という枠組みを出たら、それは価値を持たないハリボテだ。

あなたは自分の周囲の10人に比べて何が得意なのか

成績は学校というシステムの中では、大きな影響力を持つ。この影響力が実体を持ってこの世に現れたものが、大学だ。世に知られる大学の序列は、成績の概念と強く結びついている。

世の中で認められた大学に入った学生は、自分の全体的な価値について、自分の実力以上の認識を持つ可能性が高い。大学の名前が、自己認識を高める鎧になっている。「○○大学にいるんだから、□□大の奴らよりは優秀なはずだ」こういう思考は、簡単に自己の価値を認めることができるので、よく使われる。これは以下の言説によく似ている。「私は日本生まれなので、○○の人より優れている」

自分の属性を自分が優位な理由にした時、その人の成長は止まる。

自分の認識と、自分の現実とのズレが多くの理系がハマる罠の原因になる。就活がうまくいかない場合も、先生の指摘が自覚を避けていた実力不足の自分を自覚させるもので精神的に参る場合も、文系の方が向いているのにできるなら理系の方がいいよなどと世間が言うから理系に来てしまった場合も、すべて自分の認知と自分の現実とのズレが問題になっている。

だから定期的に自分に問う必要がある。

今ふと頭に浮かぶ10人の友人知人家族に比べて、自分が得意なことはなんだろう?

この質問の答えこそ、あなたが存在する価値だ。価値は、周囲との差から生まれるものである。成績や大学の評価はあなたの価値ではない。これが人生計画を立てる際の、自分の現状を認識する最初の一歩になる。

自分の現実を自覚した時、初めて地に足がつき、歩き始める

自分の現実の認知には、以前紹介したメタ認知の考え方が必須である。現実の自分が小さ過ぎて、参ってしまうこともあるかもしれない。でも、心配しないで欲しい。自分の現実を見つめる勇気を出せた時点で、そこから先はプラスな事しか起こらない。

世界中の多くの大人が、自分の現実を直視できずに怒って暴れている。人種差別は、自分の現実を直視できない人間が、生まれながらに持っている自分の性質を使って、自己優位性を高めることがそもそもの原因だろう。

そんな大人がたくさんいるこの世界で、自分の現実を自覚したあなたはここから世界を豊かにできる人間になる。どれだけ今小さくても、自分が周囲の10人よりすこしでも得意な事、好きな事、時間をかけられることから始めれば、必ず世の中に必要な人間になる。

はじめの一歩さえ踏み出せば、あとは早い。

まとめ

理系がハマる罠は、自分の認知と自分の現実がズレているために発生することを紹介してきた。そのため、成績というハリボテの鎧を捨て、「今ふと頭に浮かぶ10人の友人知人家族に比べて、自分が得意なことはなんだろう?」という問いかけを自分にして、自分の現実の認知の第一歩を踏み出すことが重要だった。このことに気づくと#006で書いた、自分の第2軸という話がさらにわかるようになる。

自分の現実をさらに深掘りして分析するために必要な、メタ認知という発想に関しては#003で紹介しているので参照して欲しい。

ではまた次回も、よろしくお願いします。

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