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アーユルヴェーダとアルコール依存症 【エッセイ】

インド・スリランカの伝統医学である「アーユルヴェーダ」。
私は今年、4か月をかけてアーユルヴェーダについて学び、その教えに幾度も救われた。
今日もそうだった。


父は恐らくアルコール依存症である。

今朝方急に救急隊から連絡があり、今は離れて暮らす父が、転倒して頭を打っているため病院へ搬送することになったというものであった。

以前にも似たようなことがあり、想定外ではなかったため、落ち着いて支度をして病院へ向かった。

頭の怪我は幸い軽度で済んだものの、肝臓がそもそもの大きな原因と思われることが判明。

そう、お酒の飲み過ぎ。
思い返してみても、一度に大量に飲んでいるわけではなかった。
でも、素面の父と話した時がこの数年であっただろうか?

昔はすごく優しくて温厚だった父。
それが段々と頑固さが増し、お酒の飲み過ぎを指摘すると怒りっぽくなり話を聞かなくなるようになっていた。
耳も遠いこともあり、家族の会話にも積極的に入らなくなり、ボヤッとしているのが常になっていた。
加齢のせいだと思っていた。

急遽アルコール依存症に関する書籍を購入し、自宅に帰る電車の中で開いた。

朝から晩まで、絶え間なく「連続飲酒」する

明らかに飲みすぎているのに、それを「否認」する

出典:監修 樋口 進『健康ライブラリーイラスト版 新版 アルコール依存症から抜け出す本』

これはアルコール依存症の主な症状だった。
今は同居していないとはいえ、気づかなかった自分にも驚いた。

そしてインパクトがあったのがこちら。

アルコール依存症は「否認の病」といわれています。本人は病気であることを、なかなか認められません。

出典:監修 樋口 進『健康ライブラリーイラスト版 新版 アルコール依存症から抜け出す本』

現実を認めることができなくなっている状態にあるということ。

ここで、アーユルヴェーダの学びをふと思い出した。
まずは「気付く」こと。
自分本来の姿を思い出し、同時に今の現実を見据える。
そういったことを学んだのだと。

父だって今は濁って本来の姿が見えにくくなっているだけ。

私たちは生きる中で幾度となく重い現実に晒されている。
身体に良くないと思いながらも甘いものがやめられない、夜更かしがやめられない、子供がいじめを受けている…
重いと言われがちな話題は持ち出すことが敬遠されたり、濁してしまいがち。
それも一つの正しさであると思うから否定はできない。

それでも私は、まず見据えて「受け入れる」ことをしたい。
そうすると先へ進める。

こんな気付きを与えてくれるアーユルヴェーダ。
この先もきっと何度でも私や周りの人々を救ってくれるのだろう。

つくづくその世界の大きさを知り、素晴らしさに涙する。

ありがとう。

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