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旅の記憶。ストロベリーフィールズ

旅が人生の中心だ。
旅してないと私はじわじわダメになる。
だから、記しておこう、あの日、あの時の旅の記憶を。

ストロベリーフィールズ 2013.NYC

ニューヨーク最終日、貴重なオフ日。朝早くから街にでた。
まずは、ホテルのすぐ近くにある、セントラルパークへ散歩した。
これからとても寒い冬を迎えるニューヨーク。
この日は、秋らしい風がとても心地よく、最高の時期に大好きなこの街にいられるのは、幸せ以外の何ものでもない。

しばらく、ただぼーっと、気持ちよく散歩していた。
でも、足は、確実にある場所を目指していた。
セントラルパークの中にある「ストロベリーフィールズ・メモリアル」

ジョン・レノンの死の5年後、ジョンを偲び、
愛と平和への願いを込めてニューヨーク市とヨーコさんによって作られた場所。

実は、ロケの最終日、偶然にこの場所を通り過ぎた。
ニューヨーク3回目だけど、その時が始めてだった。
そのときに、NY在住のカメラマンさんが教えてくれた。
「昔は、あそこのダコタアパートの二人の部屋からこの場所がよく見えたらしい。
 ここで、息子と遊ぶジョンの姿をヨーコさんは見守っていたんだって」
「へぇ。。。」私は、想像の泉の中に一気に引き込まれそうになった。

子供と遊ぶ二人を見つめる一人の女性の姿がはっきりとイメージできた。
それは、かの世界的なアーティストでもなく、歌手でもない、普通の家族。
毎日愛する二人を見つめ、そして、愛する人が突然永遠にいなくなった後、
その風景を同じ部屋から彼女はどんな風に眺めただろう。
そして、どうして、自分のかけがえのない風景を世界中の人に解放できたんだろう。その勇気と強さは、どんな気持ちに後押しされていたんだろう?私だったら、自分の想い出の場所は自分だけのものにしておきたい。
さまざまな疑問や熱い気持ちがどわっと襲って来た。
このままでは想像の泉の中で溺れそうなので、一旦その思いに鍵をかけて、
一人でまたじっとり、じっくり訪れた。というわけだ。

この日のストロベリーフィールズは、少しの観光客がいただけで、
とても静かだった。
二人の愛の物語を知らなければ、なんてことのない何気ない公園の一画の風景。
ただのモザイクの石の模様の中に「IMAGINE」と書かれているだけのシンプルな場所。みんな、写真をとったり、イマジンを口ずさんだりして思い思いに楽しんでいた。私も、写真を撮りながら、イヤホンで「IMAGINE」をヘビーローテーションで流しながら、口ずさみながら、ただ、その場所をみながら、感じながら、曲を聞いた。
Imagine all the people sharing all the world…..
You may say I’m a dream, but I’m nothing only one….

「IMAGINE」は私にとってとても大事な曲。自分の中のリセットソングなのだ。
心がけばけばした時や、やる気がなくなってしまったとき、悲しいときなど、心の時計が止まったとき、私は「IMAGINE」を聞いてそして口ずさむ。そうすると「そうだ、私はひとりじゃないんだ」という納得の仕方で、落ち着いてまた時計の針が少しずつ動き出す。そんな力が、この曲と歌詞とメロディーにはある。

そんな大事な音楽と、それを作った人が存在していた場所と、
その人を愛した人が作ったこの場所で、感動したというより、
すっかり、心が空っぽになった。
そして、「そうだ、人をちゃんと愛していこう」という声が深いところから聞こえて来た。
愛するとは、いわゆる”愛”だけでなく、全てに対しての。仕事でも、友達や家族、人間関係やすべての行動の基本にしていこう。基本に愛がきちんとあれば、いろんな困難も必ず乗り越えられる。もう、頭ではわかっていたこどだけど、そのことを、さらに強く確認した。

私にとって、愛とは。
情熱、誠意、衝動、絆。そういうたぐいの感情や行動を構成する主成分のようなもの。自分の中からでてくるどうしようもない熱いもの、核、マグマみたいなもの。ただし、そのベクトルは自分に対してではなく相手や周りに対してでていくようなあり方のもの。相手に受け止めてもらえるようなあり方のもの。そして、その存在によって自分と相手の対話が生まれる様なもの。そして、いつか、なにかがお互いの対話によって、よりよく変わっていく様なもの。そして、いつか周りに伝わっていくようなもの。そういう響き合いが生まれていく交流の核になるものに、「愛」という言葉が、ふさわしい。

そんな大事な事を確認して、私は軽やかに歩き出した。
そして、「ストロベリーフィールズ」を後にした。
私の中に、大切な風景、戻れる場所がまたできた。

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