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それが好きなわけを説明する言葉を持ち続けること

新卒の頃、某百貨店の紳士部に勤めていた。3か月間の研修時は、地下の食品から催事会場のお中元まであらゆるフロアの様々な売り場で働いた。研修期間が終わると、修学旅行以来訪れたというほぼ初めての土地の店舗の紳士部に配属となり、そこから別の店舗の立ち上げで異動した後も紳士部、辞めるまでずっと紳士部だった。

幼い頃からミリタリーやユニフォーム(制服、スポーツウェア)の機能とシルエットとテイストが混ざった加減が好きで、おそらくそれは名護の出身である母親に連れられ年1-2回訪れていた沖縄の軍払い下げ品を扱うショップにある洋服が、外国の匂いと共に妙なかっこよさを発信していたことと、それらを着られるサイズに成長した際、初めて羽織ったカバーオールのしっくりくる具合がこれまで知っていた洋服とは段違いだったことによる。古着を「良き時代の価値あるもの」としてインプットしてくれたmc sisterを経てのオリーブ少女時代を過ごしたことも大きいし、神戸のモトコーや心斎橋アメ村の初期など、(本物かどうかは怪しいが)ミリタリーやユニフォームの古着が豊富な場所へ気軽に行ける所で暮らしていた恩恵もある。
もっと古い記憶だと、父親がサンダーバード の(再?)放送を観ている時に、あの独特の人形の顔が怖すぎて台所の陰に潜みながらもチラ見を繰り返すうち、くすんだブルーの制服が妙によく見えてきて、幼稚園の制服が同じ色で内心嬉しかったということもある。

だからなのか、自分なりの変な黄金律というか服装に対する単なるこだわりを強く持つようになるのにそう時間はかからなかった(中学のどうしようもないセーラー服やジャージでさえも、探れば黄金律があるのを多くの人はご存知のはずだ)。主にそれはパンツの丈(と靴のバランス)であったり、上着の長さとパンツの丈や太さとのバランスであったり、全身の色の配分であったり、つまりは全体と局所のバランスに関するのものだ。それが「いい」と自分が思える日はご機嫌に過ごせ、ふとした時に見える足元でやる気が出て、会う人がたまに「なんか今日いい感じ」とほめてくれる。
という自己満足の日々を送って成長してしまったものだから、他人のそういうバランスも気になって仕方がなくなり、「なぜミラノのメンズみたいに紺茶をやる日本人が少ないのだろう」という疑問をふと新卒歓迎会か何かで人事の前で話したところ、その後紳士部がずっとついて回ることになった。
いざやってみると布も革も大変に面白く、それにオーダースーツ、帽子屋、靴屋、シャツ屋、それぞれに(付き合いにくさも含めて)個性的だけど商品知識から歴史までべらぼうに詳しいおじさま方から学ぶことは膨大で、かつ審美眼とまではいかないまでも、クラシックとして定規にすべきものを仕事で(お金をもらいながら)叩き込まれたことは最大の財産である。

叩き込まれたからこその弊害で、自分が扱っていたものも含めて世の中にあふれた着るものたちの、言葉を選ばずに言えば欺瞞というか目くらましのような実情が少し哀しくもあった。
そしてそれは年齢を経るほどに強くなり、ただそれなりにちゃんとした格好で行く場所も増え、そんな時に場の景色の一部となるような、特に熱を入れて好きとも言えないものを着て過ごすことが増えた。新しい季節になったから何となく着るものを探すけれど、これといったものはいつもなくて、仕事着の5アイテムのどれかがくたびれたら買い換える(人はこれだけでも生きていけるのだ、特に楽しくはないけれど)。

1. スラックス夏冬それぞれ(グレー濃淡1本ずつ、紺、黒、時々柄)
2. シャツ(白、ブルー、柄)
3. ニット(グレー、紺、黒、白、ベージュ)
4. ジャケット(黒、コードレーン)
5. 靴(黒のオックスフォードとストラップ、茶のローファー)

それだけのサイクルを淡々とこなすシーズンがいくつも通り過ぎて10周くらいした頃、ふと面白そうな人を雑誌で見つけた。彼のやっている洋服屋が敷居は高そうだが面白そうだったので、家から3つ隣の駅にあるビルの地下に続く階段を恐る恐る降りていった。階段のコンクリート壁には結構なアーティストのサインがかなりの量描かれており、なかなかの緊張を煽ってくる。
階段を降りた先には洋服屋としては暗めの空間が広がり、眼鏡の男性が奥の椅子から立ち上がって迎えてくれた(えっあの椅子はイームズのラウンジチェアじゃないの)。どうやって話を始めたかもはやお互い覚えていないが、その日初めて来たことと、ここがどういう店かはわからないけど最近欲しくなる洋服がないことに悩んでる、ところでその椅子イームズですよねというような話から始めたと思う。

完全なる一見さんをちょろちょろ観察しつつも、眼鏡の男性は今オーダーを受け付けているアイテムの説明を始める。その説明が、久しぶりに着るものに対してわくわくする気持ちを形容するどんぴしゃのものだった。

国勢あり映画あり音楽あり建築あり食あり軍あり史実あり。

本来着るものはそうでなくてはならないと私が長い間勝手に思っていること。紳士部のおじさま方が詳しかったこと。人の生活のほぼすべての時を着るものは共に過ごすわけで、つまり生活を取り巻くあらゆることを繋げて考えるだけで途端に面白くなる、特に昔の服は。
記録フィルムに刻まれた軍服、心に残る映画の着こなし、テレビで生歌を披露するアーティストのギラギラ衣装、建築家のポートレート、食堂に集う人々の足元。
かつての人々の装いの何が、どこが好きなのかを、何となく記憶にあるシーンを掘り起こして言葉にしつつ、そこに幼稚園の制服のような記憶が絡んでいく。そのとりとめもない連想を言葉に置き換えて、だから私はこのテイストが好きなのだと言いながら自覚する。好きと言うよりもはや感性に刻まれた理由を、冒頭の百貨店勤務やサンダーバードのようにさまざまな角度と理由で言葉にして誰かに伝えることを久しぶりにした。

その同じ作業を、今までのどんな人やどんな本よりも的確な言葉を紡いで、言葉が溢れてきてしょうがないという勢いと正確さで話す眼鏡の男性。こちらが話すことをまたいい言葉で置き換えてくれる。壁打ち、と呼ばれる対話のように、相手に言葉を投げかけることで自らの言葉を整理していく流れがこのお店にはあり、打っていくものを自分がまだ持っていたことに気づかされる。
着るものを話すのにここの店主ほどたくさんの言葉を使う人はいないんじゃないかと今でも思っているが、溢れ出る言葉を聞きながら、あぁこの人がいればもう一度着るものを楽しめる、着ることが好きだと説明できる言葉を持ち続けられると思った。 こういう人とごくたまに会って前に進めるから、私たちは好きである愉しみという感情を持ち、それを伝えようとする言葉を探して生きるのだと思う。言い換えれば、会ってよかったと思える人と出会うには、自分がそれなりの言葉を発しないと結果が出せないということだ。

写真や映像を引用し、キャプションに「すき」と書けばたいていの人には伝わる。ただそれだけでは、同じことを同じくらい好きな人となかなか会えないし、会っても壁打ちできず、お互いがそうだと知らずにすれ違ってしまうんだと思う。
生きている間に、あとどれだけ好きなことを言葉に変換できるのか、誰かに紡いだ言葉を打てるのか。

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