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音楽と記憶①

聴いてる音楽節操ないよね人格分裂してんじゃないの(親しい間柄なので別に悪意はない、はず)と言われることがあり、自分としてはその時聴きたいものや目的に合わせて選んだものを聴いているだけなので、なんで節操ないように見えるんだろうと少し考えた。
おそらく私にとっての音楽は、場面や時間を構成する1パーツなのだ。似た「その時」はあっても、自分の感情や周囲の環境がまったく同じ「その時」はない。水流や夕焼け空の色のようにうつろう。だからそこへフィットする音楽も変化していく。んじゃないか、という仮説を考えたところで、音楽から逆引きしてその曲と強烈に結びつく記憶を掘り起こす実験スタート。

ベートーヴェン 「ピアノ協奏曲第5番 Op.73」

3歳から高3までピアノを習わせてもらい、2人の先生に師事した。小6の終わり、3歳からの先生がジュリアードへ進学(留学?)することになって、その後は別の先生になったのだが、最初の先生はいろいろ個性的だった。
個人とグループ、2つのレッスンを受けていて、年1回は大阪全域対象のコンペティションにそれぞれ出場するのだが、グループは特に選曲や編曲(ピアノは1台、あとはエレクトーンとパーカッション)に先生の色が出る。
他のグループは比較的ポップス寄りのテイストが多く、メドレーのようにインパクトあるメロディラインを繋げてくる戦法が主で、毎年いかに新しい曲を取り入れるかが勝負な感じだったのに対し、私の先生は常にクラシックで挑んだ。特に印象深かったのが、小6の時にやったベートーヴェンのピアコン5番、通称「皇帝」だ。
1台のピアノを連弾スタイルで2人で弾く=右手と左手の担当を分けることにより、子供の手でもあの勇壮かつ繊細な音のうねりを実現し、管、弦、パーカッションをエレクトーンで表現できる編成に変え、さらに制限時間内に収めるためのショートカットと繋ぎの技術。
「皇帝やるよ」と言われて初めて聴いた時に、こんなのどうやってできるんだろう先生無謀すぎるんじゃと不安になったが、配られた手書き譜面の中に、紛れもない「皇帝」が存在していた時の驚きと、それぞれの音がオーケストラとして聴こえる重層的なメロディとして立ちのぼる感じは今でも忘れられない。


Keane " Everybody's Changing "

2006年のサマソニ、来日してたのに土曜の東京公演がドタキャンになって、体調復活したらあるかな?と淡い期待をしつつ日曜の大阪公演に行くも、もちろんキャンセル。この曲を熱唱することがこの夏の目的だったので、東京ドタキャンの一報を聞いた時には、うだるような暑さなのに身体からすべての熱がひいたような、骨と皮だけは存在するけれど自分の中身が抜けてしまったような感触になった。
お盆の灼熱地獄に、2日間も通ってたとか今では考えられないけれど、この年の土曜は確かELLEGARDENの時間にインして、MANDO DIAOとWE ARE SCIENTISTSで汗をかいて1回目の着替え、その後アクモン(ARCTIC MONKEYS)で初回のテンション最高潮に達し、ANDREW W.K.との出会いと学習、MUSEとマッシヴ(ATTACK)で昇天する手前にもう1回、ロスプロ(LOSTPROPHETS)とあと誰かでまた汗をかいて着替えたはず。
日曜は、EDITORSを知って翌週にCD買いに行くほど好きになり、マキシマムザホルモン、PHOENIX、くるり、HOOBASTANKとかの懐かし系を堪能できたのはKEANEのキャンセルのお陰だったかもしれない。最後はDAFT PUNKの三角形の中で週末を終えた年。


スピッツ「君が思い出になる前に」

出席番号が近く理科や家庭科などのグループ作業でいつも一緒になる男子2人がいた。中2のクラスの中心はそのうちの1人で、悪ガキ癖を引きずっているものの人懐っこさと人情の厚さで特に男子から(いくぶん恐れとか従わなかった場合のめんどくささがあっただろうけど)慕われていた。寡黙なもう1人とは対照的だったが2人は仲がよく、彼らは別の市にある野球チームに所属し、私たちが部活を始める時間には帰宅してそちらへ通っていた。
大概のグループ作業の時間は、仕切りたい悪ガキが手順通りにしないことに私がキレて、寡黙がまぁまぁと言いながら妥協策を粛々と進める展開だった。中3で彼らとはクラスが分かれたが、帰りに会えば合流して一緒に帰るくらいの関係性は続き、皆が進路をぼんやりと考える時期になったある日、悪ガキと靴箱で会った。寡黙の野球推薦がほぼ決まりそうで、行き先は徳島らしい。
そっかーすごいなぁ甲子園へ着々やな、みたいなことを白々しく言ったと思う。それに悪ガキが機嫌を悪くして、お前はアホか俺の言ってる意味を考えろ、みたいな説教をされた。寡黙が私を好きで俺もあいつをお前に推す、というのが中2の頃からの悪ガキの主張だったが、寡黙自身が本当にそうなのかはわからないしずっとスルーしていて、この日もやり過ごした。
ただ、進学しても電車やらで会えると思ってた相手が海(まぁ淡路島越えればすぐやけど)を越えると聞くと猛烈に寂しく感じ、結局翌日から寡黙のことを好きになってしまった。という一連の流れの中で何度も聴いていた曲だ。

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思い出の曲

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