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オペラにおいて、なぜおぢさんはいぢめられるのか?

オペラにおいて、なぜ「おじさん」がいじめられる作品があるのか。

この前のフィガロを見てから思考が止まらなくて。

「フィガロの結婚」については「どうしようもないエロじじいのたわけ」と書きましたけど、思い出したのはこの作品は元々貴族の痛烈な批判であったということ!つまり、貴族がエロじじいで、それに対して庶民が逆らう話。貴族あるあるネタをぶっ込んで、本来ならばこうしてやるべきという考えを入れた話、ということになりませんか?

フィガロの場合、貴族VS庶民という構図がはっきりしてますが、そういえばオペラって他にも金持ちおじさんが若い女の人と結婚しようとしてできない話あったよな・・と思い出したので書いてみました。

ドン・パスクワーレ・・金持ちのおじさんが若い女の人と結婚として老人の身の程知らずと歌われる
セビリアの理髪師・・・金持ちのおじさんが若い女の人と結婚しようとしてだまされる
フィガロの結婚・・・貴族のおじさんが他人の彼女に手を出そうとしてだまされる
こうもり・・・金持ちのおじさんが美人なお姉さんを口説こうとしてだまされる(こうもりはちょっと方向性が違うような気がしますがネタは一緒です)
ファルスタッフ・・・騎士のおじさんが女の人をだまそうとして逆に町の皆にだまされて池にぼちゃんと落とされる
※浅学なので、今まで見たことがあるオペラだけにさせてください。

まあまあ数あるな!

さっきも言ったとおり、あるあるネタをぶっ込んで、本来ならばこうしてやるべきという考えを入れる。貴族、金持ち、老人批判でできてるのですよね=そんな貴族、金持ち、老人ばっかりだったってこと!?

普通の世であるならば、貴族には権力があるから何でもできて、金持ちは金が多いから何でもできて、老人は年の功を使って欲望を実現する。反対に、庶民は権力に従わざるを得なくて、貧乏人は金がないから何もできなくて、若人は老人の言うことに従わないといけない。

現実的にはありえないこと。だからこそ、オペラとか芸術を見て、できないことを舞台の上の人にやってもらってスカッとする。こういうことなんですよね。

さっきのおじさんの話に戻ると、おじさんをいじめるオペラがまあまああるということはつまり、貴族、金持ち、そして老人が若い女の人と結婚する世の中が当たり前だったっちゅうことや・・・はーどうしようもねぇ世の中だったんだな。

上に挙げたオペラ作品ってどれもアンチテーゼだったんですね。

アンチテーゼのテーゼとは、白人男性優位社会のことじゃないですか?おじさんがおじさんを批判しているあたり、ジェンダー的要素までは含まれていないかもしれません。けれども、私はフィガロの最後で、「奥さんの愛」によって浮気も不倫も許されるシーンを見て、結局のところ何でも許してほしいおじさんの願望を見ました。

あーー教養がないとオペラって見られない。非白人若年女性はやっとこのことに気がつきました。

昨今の情勢を見ると、男女平等、人種差別撤廃の世の中になってきています。オペラには「おじさん」目線がたくさん盛り込まれていますよ!!そしてついでに非白人女性が辛い目にあう話が何個かありますよ!!白人男性優位社会にカチンときてる皆さん!!オペラを見よう!!そしてこんな世の中には二度としないようにしよう!!

考えが飛躍するんですが、最近バレエで、白人ダンサーが顔に色を塗って、ブラックフェース、イエローフェースの役をやるのをやめようっていう話がトレンドになっています。でも、あえてそれをやるという流れにするのはどうでしょう?こういった作品が現代まで当たり前のようにのこっていること、そういう差別社会が根強く残っているという訴えになっていると思うんですよね。アンチテーゼのために残しておいた方がいいんじゃないでしょうか?

でもこれからも「女ってクソ」っていう歌には拍手したくありません!!

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