見出し画像

共存する2つの自由

自由について

あなたは自由と聞いてどんなイメージがある?

何にも縛られずに気ままに生きる
好きなことだけをして生きる
やりたくないことは排除する
自分がいいならそれでいい
私利私欲に生きること
など

人によってそれぞれのイメージや捉え方があるけれど実は自由には二つの概念がある。

ふたつの自由

一つは
『西洋的な自由』

何かを手放すことで得られる自由。
制限や枠から外れていくことでの自由。
イメージするなら、カゴから解放された鳥。

二つは
『東洋的な自由』

制限や枠の中での自由。
不自由の中でも自由な心。
ヨガや禅的な概念。
例えて言うならカゴの中にいる鳥。


ヨガに惹かれた理由は自由になりたかったから

思い返せば
20代の頃、私がヨガに惹かれた理由は
自由になりたかったからだった。
どちらの自由かといえば、東洋の自由。
柔軟な心であり、自由自在な心。
禅やヨガで目指すところでもあるから惹かれたのだろう。

あれから、16年。この心の自由については
職場、人間関係、家庭環境の中で、なんとなく腑に落ちること、その状態に少しでも触れることができ始めたと思っている。

しかし、それからウェルビーイングや脳科学などを学んでいくと、あることに直面した。

私たち人間は、そもそも制限はなく自由であり、制限の中で生き続けるのは、本来の生きる意味、使命を失っている状態。
人生は制限の中で自由自在な心であることも素晴らしいが、それだけの人生は、同時に欲を滅することが、成長を止めていることなのでは?と。

間違った欲と自由の解釈

私はつい数年前まで欲望を持つことはよくないことだと思いこんでいた。

お金を沢山使ってはいけない。
物欲は良くない。
贅沢は良くない。
みたいに。

だけれど、

人間は欲からは逃れられない生き物。

欲があるから、成長でき
欲があるから、健康になりたいと思い
欲があるから、美味しいものを食べ
欲があるから、恋愛をして
欲があるから、綺麗になりたいと思う

_私たちは欲があるから
人生の豊かさを手に入れられる_

注意:ここで言う欲とは、成長や幸福の拡大、利他的な欲。自己破壊、自己中心的な欲のことではありません。

しかし、これまで、古来からのヨガの経典を読み進めていくと、修行者に向けた教典でもあるし、口伝により訳され方により様々な解釈、本質からズレている言い回しが多いように思う…

例えば、
ヨガの教えの中で
”欲をなくすこと”とある。

欲を持ってはいけない。
欲は手放すべき。
欲は解脱から遠ざける。

これを聞いてあなたは、苦しくなりませんか?

欲を持ってはいけないんだ。
物欲はよくなんだ。
”欲=ダメなこと”
そんな思考に囚われ、お金をいただくことにブロックをかけてしまっている、ヨガ指導者って実はめちゃくちゃ多いんです。昔の私がまさにそうでした。

でもころ解釈にはカラクリがあることに後に気づいた。それは、

欲には2種類の欲がある。
利他的な欲。 これは幸福の拡大に繋がっていく欲。
利己的な欲。 これは自己中心的で破壊的な欲です。


当時の私は、どちらの欲も滅そうとしていた。
なるべく質素に贅沢しずに、欲を抑えて、コントロールしようとしていた。
利他的な欲も滅することは、もしかしたら、霊性さ(スピリチュアリティ)は高まるかもしれないけれど、現実世界、生きる力が弱くなり、社会からは離脱していく生き方だと思っていて。ヨガの経典を鵜呑みにするのは非常に危険かもしれない。なぜなら、前にも書いてますが、解脱を目指す修行者に向けた解釈でもあるから。

ヨガをしているのに、(教えている立場なのに)生きにくくなるということは、調和する生き方、本質とずれていく、幸せな状態からはかけ離れていく生き方になりかねないと、わたし自身、ある時気付きました。

理想的な自由の概念

これらのことから、
欲があるから私達は、幸せを感じることができると考えます。

制限の中での心の自由も
制限を外した物理的自由も
どちらかだけではなく、両方が大切。

私が思うもっとも理想的な自由は

『二つの自由が共存しながら拡大させていくこと』

これが私の出した答え
”理想的な自由な生き方”です。


今この現状を受け入れながら、満足しながらも

常にこうなりたい未来の欲を持ち、不必要になったものは手放し、常にアップデートし続ける思考や行動。

その中でも常に、現状を受け入れている状態。満足または、この瞬間に幸せを抽出できる心。マインドフルな心の状態(東洋的な自由)

これらの自由な状態が共存しながら、拡大していくこと。これが幸せの拡大。理想的なのだろうと私の中で答えに行きつきました。


しかし、きっと中には、自由に幸せそうに生きている人を見ると、羨ましく思ったりなんてことはないですか?

私は、あります。
こんな生き方がしたい!
こんな生き方があるんだ!とワクワクします。

それが例え嫉妬であっても、
羨ましいと思えるってことは、そうなれる可能性が私たちにはあるのだと思うのです。

こうなければならないと、思い込んで、自分に制限をかけすぎていないだろうか?
ほんとは自由になりたいのに、自分で自分を相手を縛り付けてはいないだろうか?


多くの私達は無意識に、自由ということへのブロックと否定的な解釈をしているのもしれない。

自由になりたいはずなのに、自由を制限している。

まずは制限の中で、心の自由を育むこと。
そして、現実の制限を少しづつ外していくことで、周りと社会と調和しながらより良い自分へ、本当の自由な生き方へ。

これは私の自由に対する考えと、目指したい生き方。皆さんの考えや気づいたことをお聞かせくださいね!読んでいただきありがとうございます。

感謝

まい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?