見出し画像

ある日、夫は会社に行けなくなりました。


はじめに


このストーリーは、昨年うちの夫がメンタル不調になり、会社を休職することになったときのエピソードを綴ったノンフィクションです。

当時リアルタイムでは書くことができなかったのですが、今となってはこの経験も私たち夫婦にとって大切な宝物になりました。

いつか何かの機会に書き残しておきたいと思いながら書けずにいたので、今回の「創作大賞」の「エッセイ部門」応募作品として世に送り出したいと思います。






プロローグ


30代のほとんどを過ごした北海道での生活にピリオドを打ち、わたしは大都会東京へと向かっていた。

それは夫が望んだ転勤で、本来なら喜ばしいといわれる栄転だった。

「希望が叶ってよかったね。」
「前から行きたいって言ってた部署だよね。」
「一度は東京に住んでみたいって話してたから、夢叶ったね!」

なんて祝福しながら、意気揚々と東京に引っ越してきた。

大自然にかこまれた北海道での生活も最高に楽しかったのだが、都会の刺激的な生活にも憧れていた私たちは、心躍らせながら新生活をスタートした。

しかし転勤してすぐに夫は、まだ新しい部署で右も左もわからない状況のなか、すでに進行しているプロジェクトの一員としてその中に放り込まれたようだった。

新しい仕事を覚えながら、それと同時に激務にも追われる毎日。
いつも帰宅するのは夜22時をまわっていた。

転勤して早々から大変だなとは思っていたが、その頃はわたしもわたしで新しい環境での生活になじむことで精一杯だった。

だから正直なところ、あまり彼のことを気にかけてあげる余裕がなかった気がする。

「北海道が恋しい」
「わたしだってしんどい…」
「あなたが希望した部署なんだから、きっとやれるよね。」

なんて心の底では思っていた。


一 若葉のころに


草木が青々と生い茂る季節。
激務がつづいていた夫は、気がつくと5キロ以上体重が落ちて激痩せしていた。

それでも家では気丈にふるまう夫に、わたしは完全に甘えていたように思う。

「夫はそんな弱い人じゃない」と言い聞かせていたのかもしれないし、夫も自分自身に「俺はそんな弱くない」と言い聞かせていたのだろう。

高校時代から彼のことを知っている。

正直で誠実で、自分をしっかり持っている。
気づけば20年近くも今の会社に勤めているが、まわりに合わせたり、長いものに巻かれるようなタイプでもない。
体力もあるし、メンタルも強い。
すごくタフな人だ。

そんな彼が、まさかメンタルの不調に陥るなんて、このときはにわかに想像もできなかった。

しかし、いよいよ朝起きたときの不安感がどうにもしんどいと言いだした夫は、夏の足音が近づいてきたころに自ら心療内科を受診した。


二 臨界点

そこから半年ほど、不安をやわらげる薬の投薬で、夫はだましだましなんとか勤務をつづけていた。

わたしもそのあいだに、大自然の北海道から大都会の東京という180度ガラッと変わったライフスタイルになんとか適応し、それなりに東京生活を楽しみはじめていた。

しかし、だんだんと夫の様子がおかしくなっていくことに気づき、わたしも次第に不安を覚えるようになっていった。

薬を飲んでいても、あきらかに朝起きるのがつらそうなのだ。

「仕事休んでもいいんだよ。」
「無理して行かなくていいんじゃない?」

何度もわたしはそう声をかけていたように思うが、責任感の強い夫は、それでもなんとか勤務をつづけていた。

まだ東京勤務1年目だしね…
新しい職場や仕事に慣れたら少しは改善するかもしれない。

楽観的にそんな淡い期待をしていたが、状況は改善するどころかどんどん悪化していった。

いつしか、以前なら一緒に爆笑しているであろうお笑い番組を観ても、彼はまったく笑わなくなった。

何に対しても、無感情で無反応になった。
感情豊かな彼にはありえない状況だった。

生きているのがつらいとも言うようになった。
わたしもいよいよ心配になってきた。

決定的にこれは危ないと思ったのは、

「朝、家を出て駅に向かう途中、なぜだか涙が出てくる。」

と夫が正直に話してくれたときだった。

転勤して早々の激務や、同僚や上司との関係性がうまくいかないという悩みも重なって、もうとっくの昔に彼の臨界点は超えていたのだ。

でも、彼自身もわたしも、そのことをなかなか認められなかったのだと思う。

最終的には、上司のまったく夫の心に寄り添ってくれていないひとことが引き金になって、夫のなかで張り詰めていた糸がぷつんと切れたようだった。

「今すぐ休もう!休職しよう!」

そう言って、夫に休職させることを決めた。


三 人生の夏休み

「休職」というと、まじめで責任感の強い人ほど後ろめたく申し訳ないと感じてしまうと思う。

だけど、「休職」は会社員である人に与えられている権利だ。
病気、ケガ、やむを得ない事情があったら取得して良い当然の権利。
なにも後ろめたく思うことはないとわたしは思う。

だから、夫にもマイナスに思ってほしくなくて、

「(嵐の)大野くんの夏休み」ならぬ「夫くんの夏休み」と題して、一緒に過ごせる時間を楽しもうと伝えていた。

夫の場合は、ストレスの原因もはっきり分かっていたし、まだ客観的に自分の状態を判断できるときに休職を決断できたからだろうか。

幸いなことに、仕事を休んだことでわりとすんなり症状は回復していった。

朝なかなか起きれない、不安感があるといった症状はあったものの、朝起きてしまえばいたって元気に過ごせる感じだった。

なのでせっかくの人生の夏休みだからと、ひとまず都会生活の疲れを癒すため、大自然に囲まれた実家へと帰ることにした。


四 2月21日 雪


夫が休職したタイミングは2月の後半のことだった。

真っ白に雪化粧をして悠然とそびえ立つ北アルプスの山々は、いつもと変わらずわたしたちをやさしく出迎えてくれた。

最近はめっきり雪が少なくなったとはいえ、雪国である故郷はウィンタースポーツも楽しめる土地だ。

気分転換になればと思い、久しぶりに地元のスキー場へスノーボードに出かけることにした。

北海道ほどの雪質は期待できなかったが、この日はわたしたちを歓迎するかのように、ふわふわした大きなぼたん雪が果てしなく降りつづいていた。

平日でほぼ人のいないスキー場。
二人で貸切状態のゲレンデを思うぞんぶん楽しめる幸せをかみしめた。

なによりも、水を得た魚のように、自由自在にスイスイと雪上を楽しそうに滑っていく夫の姿を見られたことが幸せだった。

今日も生きててくれてよかった。
笑顔がみれてよかった。
ありがとう。


五 3月1日 快晴


「思いっきりストレス発散しよう!」

そんなわけでこの日やってきたのは遊園地だった。

大学生のころ、2人ではじめて旅行した思い出の場所でもある。
ふたりとも大の絶叫マシン好きなのだ。

今回は、実家から義両親の車でいっしょに出かけることにした。

義父も義母も、まさかタフな息子がメンタルを病むなんてまったく想像もつかなかっただろうと思う。

離れて暮らしているから、どんな様子かを知る由もない。
きっとわたし以上に息子のことが心配だったに違いない。

だけど、本人に多くのことは聞かなかった。

義母はこっそり夫のいないときにわたしに対して、

「ごめんね。わたしたちは何もしてあげられなくて。」
「なにか困ってることない?」
「まいちゃんに当たったりしてない?」

と心配して声をかけてくれた。

息子のことが心配でしかたないはずなのに、わたしがしんどい思いをしていないかと気にかけてくれる義母のやさしさが身に沁みた。

お義母さん、大丈夫だよ。
あなたの息子は、ちゃんと自分で自分のことを大切にできる人だよ。
そして、わたしのことも大切にしてくれる最高の旦那さんだよ。
彼を産んでくれてありがとう。

改めてそう伝えたくなった。

でも面と向かってだと恥ずかしくて言えなかったわたしは、後日義母に手紙を書いたのだった。



六 小さな青い花に宇宙を見る


ずっと行ってみたいと思っていた場所に行くことが叶った。

今では全国的に有名になったが、広大な丘を覆い尽くすように一面に咲いたネモフィラの花がみられる海沿いの公園だ。

カメラが趣味の夫が、撮影を楽しめるかなと思って誘ってみた。

まさに青い絨毯。
圧巻の光景だった。

ネモフィラの花のひとつひとつはとても小さくて儚い可憐な花だ。
花の背丈に近づくように身体を小さくしてしゃがみ、そこから真っ青な絨毯を見渡してみると、まるで海の中にいるような不思議な気分になった。

ネモフィラを育てたことのある友人によれば、水をあげすぎても、あげなさすぎてもすぐダメになってしまう繊細な花らしい。

そんな繊細で小さな花たちを、こんな広大な丘で育てて、いっせいに花咲かせるために、いったいどれほどの人員と労力と時間がかかっているんだろう。

そんなことを話しながら、夫と愛犬と一緒にこの景色を見られることに感謝がとまらなかった。

地球って美しい。
自然って美しい。
そして、この景色をつくりだせる人の手も美しい。

今日も生きてるからこそ、それを感じられるんだよね。

夫が笑ってる。
愛犬も楽しそう。

幸せだな。


七 遠き日の夢


人混みも、長蛇の列に並ぶのも苦手なわたしたち。
ここにはもう「人生の夏休み」くらいでしか行けないんじゃないかと思い、本当にひさしぶりに「夢の国」へ行った。

大学生のころ、夫と夜行バスで遊びにきた思い出の地でもある。

当時、地元から東京までは高速バスで約6時間。
深夜バスに乗って早朝に夢の国に到着し、丸1日遊んで、また深夜バスで帰るという強行スケジュール。

大学生という若さだったからできた技だった。

あれからはや20年。

確実に年は重ねているし、精神的にも成長しているはずだ。
でも、2人の関係性はあのころと全然変わっていない。

どうでもいいことではしゃいで笑って、どうでもいいことで口げんかして。
高校生の頃のノリと何も変わってない。

同級生で、永遠のライバルで、この世で最も愛する人。

今日も彼は一眼レフを首からぶら下げてパシャパシャと撮影を楽しんでいた。

純粋に2人の時間を楽しんでいたあのころに戻れてよかった。
子どもの頃のように、時間を忘れて遊べてよかった。

大人になると忘れてしまうけど、人生のよろこびやしあわせって、本当はこういうことを言うんだよね。


八 神さまの謎解き


7月は、わたしたち二人の誕生日と付き合いはじめた記念日がある特別な月だ。
夫の誕生日には、高層階のオシャレなレストランでのディナーを予約した。

コロナ禍に入ってから専業主婦だったが、こうして文章を書くことと発信することを仕事にして、また自分でお金を生み出すことが少しずつできるようになってきていた。

まだまだ駆け出しだが、自分で稼げたお金でほんの少しでも夫に何かしてあげたい。
そう思って食事をプレゼントすることにしたのだ。

わたしたちの誕生日は13日と31日で、数字が逆さまで覚えやすい。
ちなみに、夫の名字を逆さまにするとわたしの旧姓になる。

夫と出会った高校2年の春。
わりと校則が厳しい進学校だったにも関わらず、髪を茶色に染めたちょっとヤンチャな彼を見たときのわたしの第一印象は

「この人、怖そう…」

だった。

同じクラスにいても、きっと一年間話すことはないだろうと思っていたのだが…
文化祭のとき、このあべこべな名字のネタでおおいに盛り上がり、すっかり意気投合して仲良くなれたのだった。

その後、同じ誕生月で誕生日の数字も逆さまで、しかも生まれた病院もいっしょだったことを知った。
きっと母親のお腹にいるときにも、病院内ですれ違ったこともあったかもしれない。

これは、神様がくれた壮大な人生の謎解きだったのか?

きっとわたしたちの魂は、今世でまた一緒になることを約束して生まれてきたとしか思えない。
だから、出会ったときにちゃんと分かるように「目印」みたいなものをつけて生まれてきたんじゃないかな?

なんの根拠もないけど、わたしはそれを確信している。

シンプルで分かりやすい謎解きにしておいてよかったね。
もし複雑だったら、一回も会話しないまま高校を卒業していたかもしれないから。

生まれる前のわたしたち、グッジョブ。

そして約束どおりの日に生まれて、約束どおり出会えた奇跡に、心からありがとう。


九 蝉しぐれ


だんだんと元気が回復してきた夫は、このごろ

「仕事をしていないと暇だな」
「会社に勤めていること、働いて給料もらえるって幸せなことなんだな」

などと言うようになった。

あれだけ「会社に行きたくない、やめたい。」と言っていたのに、ものすごい変化と回復力だ。

たしかに夫は、けっして会社や仕事自体が嫌いというわけじゃなかった。
会社勤めが向いていないわけでもない。
なんといっても既に20年近く大手の会社に勤めているのだ。

たまに「メンタルを病んで休職した」という出来事だけを受けとって、安易な考えで

「それはもう会社員を手放せってことじゃない?」

などと言ってくる人がいるのだが、そういう外野からのアドバイスほど不必要なものはない。

それは、人それぞれだとわたしは思っている。

夫の場合、メンタルを病んだ直接の原因は、直属の上司とまったくそりが合わなかったことだ。
それに加えて同僚たちとも気持ちを分かちあうことができず、そのストレスを一人ですべて抱え込んでしまったのだった。

たしかに、会社勤めそれ自体が合わないとか、職場の環境がブラックだとかで、心身を病んでしまう人もいると思う。
そういう場合は、無理せず自分の命を守るために退職するというのもひとつの選択肢だ。

うちの夫の場合には、それが当てはまらなかっただけのこと。
だから、会社員として使える権利を使ってお休みをもらったのだ。

症状が回復して冷静に物事を見れるようになった彼は、会社との面談の際に

「部署異動をして、復職したい。」

という意思を産業医や人事部に伝えたようだった。



エピローグ 

うだるような猛暑が永遠につづくような気がしていた8月。

夫の体調はすっかり回復して、復帰への準備が着々と進められていた。

わたしの心のなかでは、「もっと休んでもいいんだよ」という気持ちと、「そろそろひとり時間がほしいな」という気持ちとが行ったりきたり交錯していた。

夫がメンタル不調に陥ったことは、はたから見れば「不幸なこと」と捉えられるのかもしれない。

だけど夫は、人目や世間体を気にすることよりも、自分を大切にすることを選んだ。

倒れる前に、我慢しないで、自分の命を守るという選択ができた。

それって何より尊くて、カッコいい決断だったとわたしは思う。

結果的に人事異動の希望も叶い、夫はたった6ヶ月で復帰することができた。
メンタル不調からの復帰としては、奇跡的なスピードだと思う。

彼は昔から、自分軸がしっかりある人だ。
好き嫌いもハッキリしている。
まわりに合わせるという概念がない。

だから長いあいだ大きな組織にいても、その色にけっして染まることなく、自分が犠牲になることなく、客観的に判断をくだせたんだと思う。

人生の夏休みがあったからこそ、あらためて夫のことを尊敬するきっかけになった。

そして、生きていくためにお金は必要だし、働くということはとても尊いことだけど…
やっぱり心身ともに元気でいることがなにより大切なのだと身に沁みた。

元気になった夫は今、しみじみとこんな風に語っている。

「今までは、仕事のストレスを発散するために、物を買うことで一時的に心を満たしていた気がする。
物がたくさんあること、車や時計、洋服…リッチなものをたくさん持つことが幸せだと思っていた。

だけど今は、なんでもない日常が幸せだなと思う。
一緒に笑って過ごしたり、「おいしいね」って言いながらごはんを食べたり、近所の銭湯に行ってサウナでととのったり…

海外旅行をしなくても、リッチなものを持ったりしなくても、ただただ日常が幸せだと感じられるようになった。」


そんな気づきを得た彼は、この休み期間中に昔から大好きでしょうがなかった「車」を手放すという大きな決断をしたのだった。

これまで何台も新車を乗り継ぎ、次はあれに乗りたい、次はあれが欲しいと常に車の話をしていたから、この変化には本当に驚いた。

車がなくなって寂しい、また新しい車が欲しい、などと言いだすのではと思っていたが、最近はもはや車に乗りたいとも思わないらしい。

人生の夏休みは、思った以上にわたしたち夫婦のこれからの生き方に大きな影響を与えてくれた。

本当の幸せとは何か、豊かさとは何か、
大切なことを思い出させてくれた。


ここに生きていること。

笑って、泣いて、怒って…心を動かせること。
おいしいね、って気持ちを分かち合えること。
ぐっすり寝て、また翌朝起きられること。
行きたい場所へ行ける元気な身体があること。
愛する人に愛を伝えられること。

そんな当たり前のことが、なにより大切だったんだと身をもって体感させてもらった。


あのとき休むと決断してくれてありがとう。

これからもあなたの笑顔をずっと見ていたいから…
お互いに元気でいようね。

今日も生きていてくれて、ありがとう。


2024年7月 ふたりの誕生月に。


#創作大賞2024
#エッセイ部門




いいなと思ったら応援しよう!