見出し画像

SNS活用冴えてない側の話

これだけSNSが溢れていて、
それをうまく活用している人が多いと、
どううまく活用すればいいかというノウハウや考え方が溢れていると思う。

検索すればたくさん出てくる。

ということは、小説家志望の天邪鬼な私としては冴えてない側の話を書いたらどうだろうということで、この文章を書いている。

そもそもSNSとは?
ということで、ググってウィキペディア見る。

SNSソーシャル・ネットワーキング・サービス広義には、WEB上で社会的ネットワークを構築可能にするサービス。協議には、人と人とのつながりを促進・サポートする「コミュニティ型の会員制サービス」

だそうです。

ということは、うまく活用するには二つの要素が必要だ言えると思う。
・WEB上のサービスを、便利に使いこなす技術。ITリテラシー。
・社会的ネットワークをうまく構築する要素。何かの目的を達成するために社会的なつながりを求める姿勢。

ひとつめの、WEBサービスを便利に利用するという点に関して、もはや慣れなどがあると思う。日常でどれだけそれに接しているか、トライアンドエラーの数で身につけていく。これは若い世代ほど、どんどん進化していく技術やサービスに晒されることが多いから自然に慣れていく。

ふたつめの、社会的なつながりを求める姿勢とあるが、これは目的があるからこそつながりを積極的に求めていくんだと思う。
つながりを持つことでメリットが生じる場合など。
その人が広告塔であるのならば、多くの人に知ってもらうのに活用できる。また何か告知をしたり、仕事を売り込んだりするのにも活用できる。

では、その目的がない場合、
社会的なつながりを求める、それもWEB上で、
その理由はなんだろう? 

と、ここで
SNS使い方冴えていないひとりとして、私のSNS遍歴を。

■mixi
大学に入って、しばらくして始める。始めるのに招待が必要だったこと、みんながやっているから、やりたいと素直にしばらく言えなかったこと(ここもあまのじゃくだが)
しかし、はじめてしまえば、日記が書けて、呟けて、写真がアップできて、超個人的なことを、そこにアップして、どこか、自分のお部屋感があったのが楽しかった。
またそして、友達の誰が自分のページを閲覧したか(足あと機能)見えたのも面白かった。気になるあの人が来客してくれたキャッみたいなこともあった。好きな人にプライベートな空間を見られたときのうれしさと気恥ずかしさがあった。反対に自分が訪問したことも知られる。それは、こそばゆいけど、なんだか楽しい。
そんな感じで
web上のつながりといえども、リアルな友人関係の延長で。
今のSNSでの様子に比べると、自然体というか、ほんとくだらないことをたれ流せる安心感があった。今思えば、黒歴史としたいような恥ずかしい文章を書き流していたと思う。
とはいえ、SNSサービスがつぎつぎとリリースされる時代で、
大学生生活四年間の間にどんどんと飽きられていった。(たしか足あと機能がなくなったときのブーイングがすごかった記憶がある)
今や、ログインするための登録メールアドレス(たぶんスマホの前のガラケー時代のメールアドレスだった)も、パスワードさえもわからない。

■Facebook
私がFBに登録したのは、まだあまり日本で、はやっていない時期だった。日本に上陸はしていたが、あまり活用していた人が多くない時期だったと思う。
大学のサークル活動で、留学生と交流するイベントをつくっていたこともあり、留学生と交流するために、外国版mixiみたいなイメージで確か登録した。当初仲良くなったら、「mixiやってる? 友達になろうよ」みたいな日本人同志のコミュニケーションが、対留学生だと「facebookやってる?友達申請してよ」みたいなコミュニケーションだった。
だから、最初のころは、対留学生向けの投稿で、英語で書いてみたりしていた。留学生が本国に帰っても、お互いの様子がわかるようになるといいみたいな感じの利用を想定していたのだが・・・
これが、もはや、だんだんと飽きられてきたmixiにかわり、次のSNSとして日本でもはやることになる。
対留学生向けの投稿ではなくなってしまう。
mixiは個人のお部屋感、プライベート感が強かったが、facebookは実名で登録するパターンが多くなったので少し、外向きのオフィシャルな色合いが出てくる。オフィシャルな色合いが出てくるからこそ、しょーもない投稿とか、黒歴史になりそうな文章とかは上げなくなる。
かわりに、友人と楽しく遊んでいる姿、集合写真、海外旅行先の写真とか、いま、楽しい、めっちゃ充実してますって見えるような写真とかを上げだすようになる。
ここらへんから、SNS上で盛って演出する空気感がでてきたような気がする。
そうやって、他人の友達多いです。充実してます。楽しいです。ていう空気感に流され、みんなキラキラした瞬間を上げだすようになる。
楽しいときはまあ、いいけれど。(実際、社会人になるまえの、遊びほうけていた大学時代の楽しいアルバムでもある。)
みんなが楽しそう幸せそうに見える光景を日常的に見えるようになると、落ち込んでいるときとか、暗い心情のときは、よりしんどくなる。
いわゆる、SNS疲れっていうのが、現代人の慢性病としてはやりだす。
登録した当初の目的は海外の友達との交流だったはずなのに、自己演出に夢中になってるだけだなと思って、その熱は冷めて、大学の卒業とともに、投稿の数が減った。そして今や、投稿だけじゃなくて、タイムラインを見ることすらもあまりなくなった。
リアルな交流がない、ただFB上だけの友人の結婚報告、子ども生まれました報告は何かをあおるだけだ。


■Twitter
Twitter社自身はSNSとは言っていないそうだ。広い意味でははSNSと解釈されるので、ここに挙げておく。
私がTwitterをはじめたきっかけは、大学のサークルの代表になってから、学生の団体の代表とはいかんぞやとか、みんながついてくるリーダーとはなんぞやなんて、意識高い系(死語?)なことを考えていたとき、
先輩から、Twitterはじめたら、世界が広がるみたいなことを聞いて、やってみたというわけだ。
mixiやfacebookは友達という概念であくまでリアルな交友関係の延長線上だが、Twitterはフォローする、フォローされる。知り合いだろうが知り合いでなかろうが関係なく、気軽にそのアカウントの情報を追うことができる。一国の大統領のつぶやきだって見れるわけだし、普通だったら接点のない人の情報(正しいか正しくないかはおいといて)にアクセスできる。
はじめた当初は同じような学生の団体のリーダーの様子や何かイベントつくる系の学生の動向が知りたくて、そういう人ばかりフォローしていた。実際にTwitter経由で参加したイベントで、学外に知り合いや友人ができた。
なるほど、確かに世界が広がったように感じる。
また限られた文字数っていうのも、気軽に独り言をつぶやくようにできていて、たぶん、投稿数という意味では数が多くなりやすい。
フォローする数が増えれば増えるほど、情報が膨大に流れていく。
しかし、流れるスピードが速すぎて、追いきれない。
情報を収集しているようで、手にもっているのがボウルのつもりが、それは実はザルでザーザーと情報の水が流れて消えていくようにも感じる。
”今”を消費する感覚が強い。
実名アカウントもあるが、匿名アカウント多数。匿名性が帯びるから、発言が過激になりやすい。炎上案件発生しやすい。
とはいえ、投稿できる情報が短い分、過激で炎上しやすいかもしれないが、はっと、するような格言的なものを目の当たりにもしやすい。
facebookのきれいごとで飾られるというより、負の部分も見えるというところはなんか、正直なツールで面白いと思って、実際今まで私が活用してきたSNSの中で一番歴が長く今でも利用している。
とはいえ、facebookやmixiのようにリアルの交友関係でつながりはじめた、学生時代からのアカウントは、フォロー数が多すぎて、情報を追うのに疲れてしまったのと、リアルの交友関係だと自由に呟けない事案がでてきたため、そのアカウントは現在あまり活用せず、別のアカウントをつくった。
こちらは、このnoteと連携していて、一小説家志望会社員としての本音を綴っていこうという活用の仕方で細々と、このnoteと同じタイミングで始めた。

■Instagram
インスタを始めたのはひょんなきっかけ。たまたまだが、インスタがはやりはじめるよりだいぶ前に始めた。はじめた当初はSNSとして認知せず,、アプリをダウンロードした。
Twitterをアクティブに使っていたとき、たまたまタイムライン上に流れてきたオシャレな写真を見つけ、その写真がInstagramから加工されていたのを見て、興味を持った。当初はSNSというより、カメラアプリ。またなんとなく洒落た写真をストックしておくためのアルバムみたいな認識だった。その当初はfacebookでもtwitterでも写真をそこで加工して投稿できる機能がなかったから、インスタで写真にエフェクトをかけて加工し、それをTwitterやFacebookに投稿する形で活用していた。写真映え(のちに、それはインスタ映えと呼ばれるようになる)だけを意識して活用していた。
日本でインスタが流行りだしたのは、私が大学を卒業してからで、SNSで充実した何か投稿するようなことも飽きていたので、カメラで加工するみたいなことをしなくなっていた。昔は単純にオシャレな写真を撮る自己満の楽しみでやっていたのだが、そのオシャレな写真で映えを自慢しあうようなムードになってから、そもそもオシャレな写真を撮りたいという気分もなくなった。オシャレな写真を撮るのも、オシャレな自分の見栄をはるためという目的にすりかわりつつあるのでなんだが、冷めてしまったのだ。

とまあ、ここまで各SNSの個人的な遍歴と感想を書いてきたのだけど。

SNSをうまく活用できる人、面白いと思う人がいる一方で
面倒だなとか、気分害すことが多いなと感じる人もいるわけで
向き不向きがあるなと。
そんなことを思う。

たとえば、芸能人やなにかをPRするような立場にいる人は、大いに映えさせて憧れのライフスタイルを提示したり、狙いたいブランディングをしていけばいい。
また、何かカリスマ性があって、自分そのものを売りたい、目立ちたいと思う人にもあっているだろう。

しかし、私がSNS活用冴えてないひとりとして思うのは
自分(本名の)というものをそのまま切り売りしたり、アピールするタイプの人種でもないのだと。

それよりも、自分そのものというよりも、
自分が創る物語や文章を読んだ人が興味深いなあ、もっと続きを読みたいなと思われたい。
自分そのものよりも、作品にスポットライトがあたるようになりたいななんてことを思うのである。

だから、noteをはじめた。

このnoteもそうだし、連携しているTwitterもそうだけど、このアカウントにブランドなんてない。(著名人だ、何かの第一人者だ、フォローされている数が多い、ファンが多いとか)

そういうノーブランドにもかかわらず、知り合いというわけでもないのにかかわらず、
ふと、たまたま、私のnoteを読んでくれて、たびたび他の記事を読んでくれたりする存在がいるのだと思うと、やはり嬉しいし
(スキしてくれたり、たびたび読んでくれてありがとうございます)
素直に書いている文章を面白いだとか、他も読みたいと思ってくださったわけで、それはつまり、作品を褒められたり、興味を持ってくださったというわけであり、作品や文章の書き手としてこれほど嬉しいこともないわけです。
これからも物語ったり、文章を書き続けていきたいなと思うわけです。

そして、少しずつでも、私の書く文章や物語に刺さる人が増えていけばいいなと思うわけです。

SNS活用冴えてない側のつらつらした脳内垂れ流し。


この記事が参加している募集

はじめてのインターネット

いいなあと思ったらぜひポチっとしていただけると喜びます。更新の励みになります。また今後も読んでいただけるとうれしいです。