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【コンプレックス女子たちの行進】第1話ー敏感肌女子 ヨリコの場合ー

あらすじ

みなコンプレックスを大なり小なり抱えている。そしてそのコンプレックスは恋愛観や人生観に影響を与える。アラサー女子たちがそれぞれのコンプレックスを抱えながら進む連作小説。肌荒れが気になり容姿に自信がもてない女子。飯がまずいと婚約者に振られた女子。仕事以上に面白い恋愛になかなか出会えない女子。ダンディ年上大好き夢見がちな自分探し女子。実らない恋をするワンナイト女子。片付け下手を許された妻。下手な字を克服しようとするプレ花嫁。コンプレックスが恋愛と人生を邪魔することもあれば、乗り越える強さを獲得するきっかけになる。わかるわかるの共感から前向きになる恋愛小説。


第1話 敏感肌女子 ヨリコの場合

蒸し暑く寝苦しい夜だった。
浅い眠りと覚醒の際を行き来しているときに、おもむろに右手で左腕を掻きむしっていた。その手の動きでヨリコは眠りの浅瀬から引き揚げられた。

「う~ん」
一度目が覚めてしまうと、痒い腕が気になって眠れない。
痒みは掻けば掻くほど激しくなり、痒いエリアが広がっていく。
左腕をこれ以上搔きむしらないように、右手を胸元に避けてみたけれど、今度はその右手の先にある首筋がなんだかむずむずするようで、ポリポリと掻きはじめる。首筋はじんわり汗で湿っていた。

きりがない。
と思って、ヨリコはベッドから起き上がり、洗面所向かった。
栓をひねり、蛇口から流れ出した水に左腕を差し出した。
かきむしってかゆみだけでなく熱を帯びていた患部にひんやりとした水が当たる。左腕を冷やしたあとは、濡らした右手を汗で湿っている首筋にあてた。
水で濡らして冷やしたあと、タオルで拭いた。
洗面台の戸棚を開けて取り出したチューブ。指で挟み押して、出そうとするも出てこず、チューブをぐるぐる巻いて、やっとの思いで奥から塗り薬がちょびっと出た。
ひねり出した塗り薬を左腕と首筋のかゆみの部分に塗る。それから、別の蓋つきのプラスチックの容器も取り出し、クリームを指先にすくって塗った。
薬とクリームを塗っても、まだ患部のかゆみが完全に収まったわけではない。掻きたくなる衝動を抑えるために、違う動作で紛らわそうと、キッチンに移動して冷蔵庫で冷やしていた麦茶を飲んだ。
そしてやっと、少しばかり、掻きむしりたい欲求が緩和されたような気がした。

「くすりもらいに行かなきゃ」
部屋の時計をみるとまだ午前4時を少し回ったところだった。今日は学生時代からの友達、アキコとランチをする予定だ。アキコとの予定の前に、皮膚科に行こう。
午前の診察枠なら間に合うだろう、うん、でも、あそこの病院待たされるかあなぁ。朝一番に行ってなるべく早く診察してもらおうか。
などといろいろ考えて、もう一度ひと眠りしようとベッドに戻った。
カーテンとカーテンの隙間から薄明りが差し込んでいて、もうすぐ日がのぼろうとしている。
今日は仕事はないし、なるべくゆっくり寝たい。病院に早く行くのは億劫だなぁと思いつつ、目を閉じた。
まだ左腕と首筋のかゆみはむずむずしているような気がしたけれど、我慢できなくもない。
少し眠ったあと、再び目覚めたヨリコは身支度をして、家を出て皮膚科に向かった。

診察開始時間ちょうどに来たのだけれど、ヨリコより少し前に到着していた患者が数人いた。待合室で待っている間、一緒にランチする予定のアキコに待ち合わせ時間にぎりぎりか少し遅れるかもしれないという連絡を入れた。「病院に寄ってるから少し遅れるかも」とメッセージを入れると、
「え、体調不良?延期する?」と返ってきたから
「いやいや、皮膚科にきて薬もらいに来ただけだから、へーき」と返した。アキコに連絡し終えると、診察室に呼ばれるまで、やることがなく、ヨリコはとりとめのない考え事をしていた。
住む場所が変わるたびに、通う先は変わるのだけども、何かと皮膚科に通院すること10年以上。
肌トラブルに悩まされ続けた人生だった。

中学二年生のころ、好きな男の子に「肌がきたないおブスちゃん」って言われたことをずっと覚えている。苦々しい思い出だ。
ちょうどそのころは顔にできるニキビに悩まされていたころだった。鏡を見るのもイヤで仕方がなかった。
おしゃれに目覚め、メイクをするも、頬にあるニキビがおしゃれにじゃまをした。
ニキビの数が減ってくる大人になっても、さまざまな肌トラブルに悩まされた。自分の髪の毛がチクチクあったって頬が赤くなったり、服の繊維に敏感に反応してかゆみが発生し、背中が赤くなったり。紫外線に反応したアレルギー反応で足全体に小さな発疹の集合体が広くに出て猛烈なかゆみに悩まされた。
なんらかの肌トラブルに見舞われるたびに、皮膚科に行って、塗り薬などをもらっていた。

「どうぞお入りください」
診察室に入ると、皮膚科医がデスク上のパソコン画面に映ったカルテを見ていた。
「今日はどうされましたか」
眼鏡をかけた若い男性の皮膚科医がヨリコに向き合う。
「……えっと、あの、その、えっと、いつもの、かゆみ止めと塗り薬がなくなってしまって……」
なぜか、この男性皮膚科医と向き合っていると、変な緊張を感じてしまい、どもりがちになってしまう。
どれどれと、皮膚科医は、ヨリコに近づきの左腕と首筋の荒れてしまった患部をじっくり見た。ヨリコに近づいた際、皮膚科医のつるりとした頬がよく見えた。スキンケアがきちんとされていて、美しく、うらやましいなとヨリコは思った。
「あー、結構荒れちゃってますね。だいぶ掻きむしっちゃった?」
「……あの、はい、すみません。眠っているときに無意識に掻きむしってしまってて……」
「なるべく掻きむしらないように注意してくださいね。掻いたところから放射状にかゆみが広がっていってしまうのでね」
「はい、すみません」
「あと、爪は切っといたほうがいいですね。ついつい掻いてしまったときに、肌を傷つけやすくなりますからね」
「……はい」
淡々と事実を伝えているだけなのに、どうしてか、ヨリコには皮膚科医の言葉が必要以上に冷たく聞こえてしまう。
「塗り薬と痒み止めのクリーム出しときますからね」
皮膚科医はきいっと椅子をまわし、カルテの映る画面に向き合って、タイピングをし入力をする。入力を終えるとこれまでの診察の内容を見た。
その皮膚科医の横顔を見て、はっ!と、あることに気づいた。
「……そういえば、背中の発疹の状態はいまどうなってますかね?少し見せてもらえます?」
座っている回転椅子をくるりと回し、皮膚科医に背中をむけ、シャツをめくりあげて患部を見せた。
皮膚科医に背をむけながら、ヨリコは思った。
(やっぱりだ。横顔が似ている。たくやくんに・・・)

たくやとはヨリコが中二のときに片思いしていたクラスメイトだ。
そして、
「なんとかならんもんなの、そのぶつぶつ。化粧しても意味ないじゃん」
とヨリコに言い放ったのだ。
たくや含め、男女数名で放課後、カラオケに行く日だった。
先生に見つからないように気を付けながら、教室で手鏡をみながら、メイクしていたのだ。
そのときに、たくやがヨリコに言い放った一言だった。
周囲に他の男子がいたからだろう、少しからかうように笑いながら、「肌がきたないおブスちゃん」と言い放ったのだ。
そのあとの記憶は定かじゃない。たぶん周囲にいたヨリコの友達がたくやに何かたしなめるようなことを言ったかもしれない。
しかし、そのブスという言葉が、ぶつぶつという言葉が、ヨリコの心を深くえぐった。
中学を卒業してからも、高校大学とスキンケアを頑張り、もちろんトラブルが起これば皮膚科に通った。
それでもしぶとく、肌トラブルはよく発生した。
顔に肌荒れがあるときは目立たないようにファンデでごまかそうとた。
しかし、そのファンデも肌に合うものでなければより肌荒れが悪化するのだった。
しばらくは鏡を直視するのが嫌だった。
どうがんばっても、どうがんばっても、美しくない自分の顔を見るのが嫌だった。
そして美しくない肌を持つ自分が心底嫌いだった。

はじめて、この皮膚科で診察されたときから、この皮膚科医のことをなぜか苦手だなとヨリコは思っていた。
それは、膚科医の顔を見ていると、たくやのこと無意識下で当時の気持ちを思い出したからかもしれない。
眼鏡をかけているし、パッと見では似ていないから、しばらく気が付かなかったのだが、醸し出す雰囲気はたくやにとても似ていた。
そして、皮膚科医のつるつると綺麗な肌は、何の肌トラブルもない当時のたくやと同じだった。
原因を究明して薬を処方してくれるのはありがたいけれどもなぜか、自分の肌の至らない部分を指摘されるのは、当時たくやが「ぶつぶつ、ブス」と言った言葉とどこかでつながっているようにヨリコが感じてしまっていたからだった。
診察とはいえ、どこかたくやに笑われた過去を思い出しているのかもしれなかった。

皮膚科医がヨリコの背中の患部に触れて言った。
「おぉ、綺麗になってますね」
「…えっ!?」
予想外の言葉に驚いて、シャツをもとに戻してから皮膚科医に振り向いた。
聞き間違いではないのか。
「ほんとですか?」
「本当です。このまえの背中の発疹の塗り薬がうまく作用したんでしょうね。つるつるになってます」
「赤みもなく?」
「そうですね!」
「ああ、本当によかった」
肌のことになると何もかも自信がなくなってしまう。だからこそ、皮膚科医に褒められたのは嬉しいことだった。
「……わたし、学生のころに、友達に、肌が汚いって言われてずっとトラウマだったんです」
気付けばヨリコはそんなことを皮膚科医に話し始めていた。
皮膚科医はヨリコが話すのを黙って聞いている。
「にきびも、掻きむしってボロボロになった肌も、突如現れて広がる疱疹も、すべて、見える部分に現れると、だれかに何か言われたんです。心配の声もあったけれど、バカにする嘲笑の声も。そのたびに自分の肌が……、いや自分自身が、嫌になってしまったんです。おしゃれをしたら、ブスがそんな悪あがきをするなと言う風に」
黙って聞いていた皮膚科医は、少し言葉を選んでいるのか少し間をとってから
「少しでも人生を前向きに生きるためにも、治せる疾患は治していきましょう」
「……そうですね。だから病院にきているんですもんね」
「体質的にどうしても完全に治らない場合があるとしても、緩和させることはできます」
「ずっと付き合っていかなければならないんですね」
皮膚科医は頷いた。
「僕のほうからは薬の処方はできます。だけども四六時中付き合っていくのはあなたなので、あなた自身で労わって大切にしてくださいね」
「はい」
「肌は外側だけの問題でもないので、食生活など生活習慣を整えること、ストレス要因を少なくすること、あとなるべく掻きむしらないようにすることなど、あなたの努力次第でできることもあります」
「そうですね……」
「お大事にしてください」
「すみません。皮膚の相談だけじゃなく、メンタル的な相談をしてしまって……」
「いえいえ、肌トラブルを抱えてらっしゃる患者さんの多くはいろいろ悩まれてますからね。疾患だけでなく、生活や人間関係の中で」
診察が一通りおわって、診察室から出ようとすると
皮膚科医が言った。
「自分自身を労り大切にしていくうちに、内側から綺麗になっていきますよ」
その皮膚科医の言葉は抽象的だったが、どこか核心にせまるようで、予言めいていた。

待ち合わせ先のお店に到着すると、先にアキコは席についていた。
「ごめんね、待った?」
「いや、さっき来たばかりだから大丈夫だよ。それより病院大丈夫だった」
「うん、薬処方してもらっただけだったから」
ヨリコも席について、オーダーをした。
料理が届くまでの間に、ヨリコは先ほどの皮膚科医とのやりとりの話をした。
話がひと段落したところで、料理が届いて食べ始めた。
「まさかね、その皮膚科医がたくやに似てたなんてね」
アキコはヨリコが学生時代からずっと付き合っている数少ない友人の一人だった。
「そう、なんだかちょっと苦手だなっと思ってたんだけど、どうしてだかわからずに、今日、やっとその謎が解けたの」
アキコはランチプレートで出てきた鶏肉の煮込みを口に運びもぐもぐしながら、ヨリコをじっと眺めた。
「え、なに・・・」
じっと見つめられたのにヨリコは戸惑う。
「思ったんだけどさ、ヨリコ綺麗になったと思うよ、最近」
「いや、また、何をいうか! 肌に悩まされて皮膚科帰りだというのに」
「うん、もちろん、肌トラブルなっちゃっている箇所はともかく、そうでない部分は綺麗になってるよ。最近顔の肌荒れ見なくなったし」
「ほんとに?」
「うん、ほんと!スキンケアだけでなく肌に優しいコスメにしたり、あと、いろいろヨリコ自身が気をつけているからだと思うよ」
「ありがとう」
そして、アキコはそういえばと言って思い出話をする。
「それに、思い出したんだけど、たくやはヨリコのこと好きだったよ」
「嘘だぁ。思い出を美化して私の苦い記憶を上書きしようとしているだけじゃん」
アキコは首を左右に振る。
「中学のときだし、もう時効にしてほしいんだけど、あのカラオケも、企画したのは、私だし、たくやに頼まれたからだよ。親睦深めるチャンスにしようとしてたんだよ。でも、たくやバカだから、あんたを傷つけるようなこと言っちゃったしね。場を和ませるジョークと、人を傷つけちゃうデリカシーのない発言の区別がつかなかったんだよ。私もそれを聞いたときむかついたし。バカだよね。それからヨリコはたくやのことを避けるようになったし。まあ自業自得なんだけど」
今更、その当時のことを聞いたとて、過ぎ去ってしまった時代の話だとしか思わない。
傷付いた過去は変えられないけれど、時間の経過とともに、その出来事をなんとも思わなくなる時が来るような気がした。
皮膚科医との話はヨリコをそんな前向きな気持ちにしていた。


アキコは当時のことを話し終えたあと、ナイフとフォークを置いて、
「もうお腹いっぱい、食べられない」と言った。
アキコのお皿の上にはまだ半分ほど料理が残っていた。
「え、もう食べないの?体調悪い?」
心配になってヨリコは尋ねる。
「うーん、どうも最近ね、食が細くなっちゃって」
「私のことはともかく、アキコのことが心配よ。最近全然食べてないって聞いていたし」
実は、アキコは最近、食が細くなり、憔悴しているということを聞いていた。そしてその理由は婚約破棄したからだった。
今日会うのも話を聞くためだった。
「今日はヨリコと一緒だし、食欲わくかなって思ったんだけどね。そう、うまくはいかないみたい」
しばらくぶり会うアキコは頬が少しやつれていた。前回顔を合わせたときは、婚約したという幸せな報告で、笑顔だったというのに。
「人間関係ってなんでこうも難しいんだろうね」
「……うん、そうだね」
「ヨリコはえらいよ。自分の至らないところを改善しようとしてるんじゃない。昔から傍で見ていたけれど、コンプレックスに悩んで、傷ついたとしても、どうにかしようとしてたからさ。それが今の美しさにつながっているんだもの、これからも、もっともっと綺麗になる。お医者さんが言ってたことも一理あるよ。それに比べ、私は……。自分の至らないところを直せなかったから今の現状があるんだよ」
「……今辛い状態なのに、自分を責めちゃうのはもっと苦しいよ。なにが起こったの?」


それからヨリコはアキコのこれまでの話を聞いた。
アキコの現在置かれている状況は苦しく、友人だからといって、何か直接解決できるようなこともなかった。ただただ話を聞くしかなかった。
アキコの現状は、
ヨリコが真夜中に痒みで目覚め、掻きむしってもがけばもがくほど自分が傷ついてしまうイメージに似ていた。
アキコのつらい現状が少しでも緩和するような塗り薬って何なのだろう?アキコの話を聞きながら、ヨリコは考えるけれども、何か答えがでるわけではなかった。


……「敏感肌女子 ヨリコの場合」のお話はここまで。
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第7話(最終話)


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