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感性人間が考える、解像度を高めるという課題について

中学高校時代だが、私は油絵を描いていた。
美術部だった。
真っ白いキャンバスに、色とりどり、思い思いの自由な発想を、世界観を描くのが好きだった。

それを見た美術の先生が
「シャガールみたいな世界観やな」と褒めつつ、
(そのときシャガールのことをよく知らなかったので、のちに美術展に行ってファンになった)
「ただ、技術がまだまだやな。技術が向上すればもっと魅力的になるな」
と的確に課題を言った。

その隣では
同じ美術部員の友人が
白馬に乗ったナポレオンの絵を模写していた。
あの有名な『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』だ。
その模写のクオリティの高さ、
今にもキャンバスからナポレオンが飛び出してきそうな躍動感を忠実に描ける友人の画力の高さに嫉妬した。
友人は
「私は忠実に真似ることしかできないから、そうやって自由な発想できるのがうらやましい」
と言うものの、
「絵」の完成度という意味では、友人に敵わなかった。

つまり、私は
それを第三者が見て、完成されていると納得させることができるほどの、クオリティにまで仕上げる技術がなかった。

出来上がった絵を見ても
本人の頭の中でできあがっている完成図からは程遠かった。
ぼんやりしていて、曖昧だった。
下手だった。

私はダリみたいな絵に憧れていた。
『記憶の固執』の溶けている時計など、しびれるほどに好きだ。
世界観は不思議でも、描かれている対象は写実的技法によって、リアリティを感じる。
そんな絵を描きたかったけど
先生の言う通り、技術力がなかった。

ならば、パッとみた印象で、美しさを感じてもらえるように
色使いの工夫をした。
配色だけは褒められたことがあった。

ディティールを見られると恥ずかしかった。

写実的なのが苦手ならば、
抽象的であってもそこに、秘められたメッセージがあることに意義を見出し、自分の描くものを正当化した。

わかりずらいものを好んだ。
芸術ってものもそうだ。一見してわからないけれど、わからないからこそ面白い。

芸術的なもの、感性というものの曖昧さを好んだ。
解像度の低いものへの正当性を感じるようになっていたのかもしれない。
曖昧なものが理解できない人がいてもいい。
理解できる人の称賛が得られるのならば。

根底にこんな思考があるのだろうと思う。

高校を卒業し、油絵を描かなくなってから、
表現方法として、言葉を選んだ。文章を書くようになった。

最初に着手したのは詩だった。
言葉のリズム、呼吸、そういうものに魅了された。

それから小説を書くようになった。
そこで描きたいと思ったのは、人間の感情だった。観念的で幻想的な描写も好きだ。
感情は曖昧で論理的ではない。
感情の機微、そのプロセス自体に意義を見出していた。
何か明確な答えがあるわけではない、その問題提起だけで満足した。

小説とは問題提起だという。

その言葉に感銘を受けた。
それは、ある種、曖昧さへの肯定。


ここで、中学生時代に受けた適性診断の結果を思い出す。
将来の進路の参考にと、あなたはこういう特性があり、こういう特性の持ち主はこういう分野の職業の人が多いですよ。と診断してくるものだ。
一番強い特性はこれで、二番目に強い特性はこれでと解説がついている。

それで私が診断されたのは
「一番目、あなたは感性が強いです。芸術家や作家などに多いタイプです。」と書かれてあった。

そのころには、私は小説家になりたいと思っていたから、その結果がうれしかった。それを友人に報告した。

友人はこう言った。
「芸術家タイプが一番って出てくる奴、社会不適合者やで。だって、芸術家で食べていけるやつほんの一握りやもん。それより、もっと社会に役立てる能力つけなあかんってことやで」

正論だ。たしかに。
でも思春期の私は傷ついた。それから小説家になりたいなんて言えなくなった。
小説家になりたいと今では言えているが、
いちおう、会社員になれて、一社会人としての防御力を備えたからこそ、
社会不適合者やでという烙印を押されないと思ったからこそ、
言えるようになった側面がある。

小説を本格的に書くようになったのも、実は社会人になってからだ。


芸術とビジネスは相容れない部分がある。
芸術は曖昧さを肯定する、問題提起をよしとする、感性を表現する。
ビジネスは明確な答えを要求する、解決方法を求める、論理性を追求する。

感性や芸術的な部分は趣味に留めて、
一会社員として、必要な能力をつけようとしてきた。

それでも、どうやらその感性が強すぎて、
解像度が低くてもいいやと思いがちな部分がどうやら思考の癖としてある。
それはビジネスでは通用しない。

今、仕事そのものを見直していて、
いろんな仕事人と相対して、突きつけられるたびに反省する。

私はいま、
解像度を高めるという課題を与えられているのだなと
一ビジネスマンとして思う。

仕事人として、何ができるのか、何を差し出せるのか、その根拠は何か。
どう相手を説得させるか。

これまでは、人当たりとか、空気や感情の機微を読み取ることでカバーしてきた部分以外を見つめなおさないなと思う今日この頃だ。



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