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似ていると言われる有名人が朝青龍から広末涼子になったけど

昨日、友人にヨガを教えるところを配信するインスタライブを行った。
その最中、閲覧者の方たちがいろいろコメントをくださったのだけど、中に目を疑うものがあった。それがこちらです。

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(まいちゃんは私のことです)

広末・・・・

涼子・・・・・・・・・・・・・・・・


驚きすぎて、その場ではほぼリアクションできなかった。


というのも、私は大学生時代今より3〜8kgほど太っていて、常にむくんでいて、笑うと細く釣り気味になる目、余白多めの顔をしているので、すっぴんで前髪をちょんまげにしているとよく友人から「朝青龍やん」といじられていた。(実際自分でも似ていると思っていたし、関西の大学に行っていたのでこういういじりは日常茶飯事で、むしろおいしいと感じていた。)

それから色々あって、今ではヨガのインストラクターとして、インストラクター然とした風貌になれている。いつしかすっぴんでも朝青龍に似ていると思うことはなくなった。


その上での、昨日の「広末涼子みたい💓」だ。
「私のことがそんな風に見える人もいるの・・・!?」という驚きとともに、「ここまで来たか・・・」「人の見た目って変わるんだな・・・」という、しみじみとした気持ちになった。
ガンバレルーヤよしこさんの女優モノマネ的な、「いやどこがやねん」っていうツッコミ待ちのコメントだった可能性も捨てきれずちょっと逡巡したけれど、素直に受け止めることにした。


インスタライブの後、このことをツイートしようかなと思った。けれどなんとなく違和感を感じて、やめた。

もしも、

「学生時代朝青龍似と言われていた私が、本日広末涼子みたいと言われました・・・!似ている有名人の進化すごくないですか😭ダイエットしてよかったうれしい😭」

なんてつぶやいたとしたら。

まあまあキャッチーな気もするけれど、朝青龍よりも広末涼子に似ている方がいい、喜ばしいに決まっているという自分の基準を真理かのように含んでいてなんかうるさいし、一般的に良しとされていることを良しと信じ込みすぎていてなんか生きづらそうだし、価値観が世の中のコピペでつまんないし。あと朝青龍にすっごい失礼。

こういうつぶやきをすると、周囲から「がんばってるね」とか「美意識高いね」とか「すごい」とか「えらい」とか「本当痩せたよね」とか「きれいになったよね」とか、褒めている感じで言われるのが想像できるのだけど(実際最近よく言われる)、複雑な気持ちになることも多い。

美醜を個人の好みではなく良い悪いのテンションで評価したり、キレイになるために頑張ることをヨシとして評価することは、基本的に余計なお世話なんだろう。


私は自分が好きな人たちから好ましく思われたいし、自分のポテンシャルの範囲内でなるべく自分の好きな雰囲気に寄せていきたいし、自分で自分の見た目をアリだね!と思っていたいから、あれこれ工夫しているだけであって、別に朝青龍時代の自分よりも今の方が、人としての価値があるとは思わない。自分の見た目を一般的にキレイとされている方向に寄せていくことがえらいとも思わない。
ただ自分の好みで、今の方がトータルで快適だからやっているだけなので、単なる趣味だ。

なので「良くなったね!改善されたね!」という、良し悪し・上下の軸での褒め言葉は、何やら勝手に相手のものさしを当てられているなぁ、という気持ちにしかならないし、良かれと思って言ってくれているのも感じるから反応に困ってしまう。もちろん、「そういう感じ好き!」といった好意が伝わってくる時は素直にとてもうれしい。なんとなくだが、良し悪しで褒めてくる人の表情は硬く、好意を伝えてくる人の表情は柔らかい。


本当に思っていることしか言いたくないなと思う。空気や常識に流されて、「所詮こういうもんだよね」「こう言っておいた方が無難だよね」的な聞きかじったことを言わない思慮深さと、自分の素直な気持ちにすぐにたどり着けるシャープさが欲しい。なかなか出来ないけれど。

今回はけっこう、危なかった。

力士より美人女優に似てる方がいいに決まってるというテンションで言葉を発信するのは本心でも本意でもないよねと考え直し、今に至る。

広末涼子似と言われたこと自体はめちゃくちゃ嬉しかったので、これから周りに自慢しまくると思います。

すっっっっっごいうれしい!