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母に透明な「ありがとう」を言えた日


☆彡ふうちゃんさん
ありがとうございます☆彡



子どもの頃から母が苦手でした

我が強くて、
どんなときも自分の考えが絶対で


母の意向に沿わない意見は否定され、
主張を続ければ
人格否定か悲劇のヒロイン
どちらかとなって返ってくる

いつしか、本心は
家族に話さなくなりました


そのうち、
何をしてもしなくても
怒られるようになりました

何かを言えば否定され、
何も言わなくても否定される


生きることが
否定されることと
イコールであるのなら、

生きてんのめんどくさいなと
何度も思いました




こころが生きることよりも、

こころを守ることを優先していた子ども時代

相手の言動の真意はどこにあるのかを
疑う癖がつきました


………



昨年の正月に、
絶縁して以来はじめて親と連絡を取り合って、

昨年の秋に故郷を訪れました。


そこからはもう、
普通の親子です。

タダノオヤコです

日常的にも
連絡を取り合っています。


たまに、ですが、
母の我が暴走しそうになることがあります




今朝、母から来ていたLINEの
ポップアップを見た瞬間に

比較 偏見 傲慢 自惚れ
などの感情が一気に流れ込んできて、

自分を護るために
攻撃したくなりました。


怒りのまま返信しようと思ったそのとき
ふと、手が止まり、

私はなんで怒ってるんだろう

と思いました



怒りで返したところで
同じこと繰り返すだけだよな

今日は、冷静に、
本人に聞いてみよう

そう思い、
一呼吸おいて返信しました。




「そう、それはよかったね。

 それで、その
 含みのある言い方の裏には
 どんな意図があるのですか?」

「えっ」


「比較して誰かを見下していたり、
 自分の手柄にしたかったり、
 圧をかけて誰かを動かしたかったり、
 そんな気持ちはありますか?」

− 突然、自身の送信した文を全て消した母


「本当に純粋な気持ちだけで打った文章なら
 消す必要ないでしょ

 あなたの文章から、
 何かしらの意図を感じたから聞いています。」


− しばらく沈黙が続く


「本当に、そんな意図はないです
 ただ、明が気を悪くしたようなので、
 消しました。

 ごめんなさい🙇」



え…(@_@;)?

いま謝った…?母が…?

うそだろ、、、




最初に送られてきた文の
どこに違和感を覚えるのか

自分を客観視しないところ

自分の弱さから目を背けるところ

いまだに、自分のためじゃなく、
あなたのためと言ってしまうところ、


言い返せる要素は
いくらでもあります

でも、そもそも、

私はなんで怒ってたんだっけ




正当性を主張したかった?

ううん、

話を聞いてほしかった?

ううん、

否定されないかが怖かった?

・・・うん。





私にとって

母という存在は

否定をやめてくれたら
それだけで“はなまる”な存在
なのだと思いました。

だから、もう
言い返す必要がありませんでした


「そうなんやね、
 それなら、私のほうこそ、
 疑ってごめんなさい。

 お母さん、変わったね

 ありがとう 」



母からは
嬉しそうなスタンプが返ってきました




今日、言った「ありがとう」は、

きっと人生で一番、

無色透明な「ありがとう」だったと思います。



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子どもは親に

完璧さなんて

求めていません



親は

完璧を目指すよりも

“不完全の愛で方” を

子どもと一緒に学んでいくほうが

よいのかもしれません




完璧は

親も子も疲れちゃうよね




お付き合いくださり
ありがとうございました。



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