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解凍

最近、心が枯れていた。気枯れ。
単純な忙しなさと何とも言えない自身の希薄感とで。

自分が居るんだけど居ないような変な感じで身体も心も動かなくて
自分がこの世界に合ってないような違和感で押しつぶされそうだった。

別に誰も環境も何も悪いわけじゃなくて、滞る。
そこから何とか抜け出すとして足掻くと余計に深く嵌っていって
面倒になって動くのをやめて
なんか腐っていくような感覚を覚えて
無理やり這い上がろうとしたり誰彼構わず話聞きまくったり、とか。

自分のご機嫌を取るのに学びとか音楽とかとにかく感性の動くもの
とか考えていたけれど兎角一度固まるとこの関節は非常に頑固なのだ。
ゴリゴリに凝り固まって、
もうどう噛み合ってたのかさえ、良く分からない。
だからもういっそのこと塊ごと
打っ棄ってしまいたいような刹那的な
そういう思想も零ではなかった。

そんな状態の私が、どうやったら重い腰を上げるのかっていう切欠、
健全ではないのかもしれないけどね
自分よりも重症な人に手を差し伸べること

自信持って言えるのはね
極限での選択って、嘘吐いてる余裕もないんだ。

本当自分でもどうなのかなって思ったりもする、
自分自身が万全じゃない状態で誰かをどうにかできるものか
老々介護みたいに共倒れの危険の方が高いじゃないか
寧ろ自身に余裕がないときに人に向き合える余裕なんてあるわけがない
リスクを負うな、というかアブナイ
そんな冷静な自分がいたのに

どうしたって居ても立ってもいられなくて
怯えられるのも厭わずに声を掛けてた

悔しかったのだ
もうこれ以上私の仲間を壊されるのは許せなかった。
予兆は見えていたのに、
可能性があった時点で介入すべきだったのに
動けないから代替のお願いもしたけど、届かなくて
でもまだ間に合う はずだ
手遅れになるのは絶対嫌だったのだ

お昼ご飯行こう?

弱っていたはずの
部屋を閉め切って何も食べずにいたはずの
話そうとしたら涙が溢れて混乱していたはずの
でもそれでも

きてくれた
自分で食べたいものを言ってくれた
喜んで食べてくれた
美味しすぎてやたらお代わりしてた
奢らせてくれた
ありのまま話してくれた
おみやげも欲しがってくれた
私に世話を焼かせてくれた

そして、
しんどかった って
疲れた 助けて 休みたい 帰りたい って
ちゃんと言えたね。

久しぶりに人間らしいことが出来たって
感動しながら味わって
どれだけ言っても自分を追い詰めてしまって
聞いてくれなかったのに

休んで
こころとからだを治すことを決めてくれた。
罪悪感ではなくて
自分のために立ち止まってほしいと願って伝えた。

間に合ったかな
人事はこういう時は大抵崩れてしまうのに
逆に少し顔が明るくなっていたと感謝していたけど
本心はわからないけど
部署が好きだから
戻ってきたいと言ってくれた

休むことでみんなとの繋がりが切れるのが怖いと言ってた
そういう措置があることも知ってる
ひとりにはしない
怖いならそうならないようにするのが私の仕事だ

こういう時一気に仕事の速度が上がる
考える前に今いいですかってアポを取る
多分私の性格上、行動はいつも思考よりも早い

そうやっていつの間にか私の心を溶かしてくれて
なんだか少し勇気が湧いてくる

感謝しかない。

結局いつもそうだな
慰問演奏もボランティアも
私はもしかしたら私を動かすために
貢献を選択しているのかもしれない。

でもそれでいいか。

なんか
元気になった人を見て元気になってる自分てどうなんだ
って正直思わなくもなかったけど

考えてみたら別に元気を吸い取ってるわけでもないし
どちらかというとパワー不足なのになぜか増幅させてる感じだから
良いと思うことにした。


今日はだいぶ毛色の違う感じになったけど、
そのまま書くとプライバシーもあるなと思って少し歪曲的に書いてます。
しかしお昼ご飯とはいえ「値段観なくていいから食べたいモノ食べたいだけ頼みなさい」って言い放った月末のクレジットカードの支払いもヤバい自分がなんか好きですw
こういうのはね、なぜかどうにかなる確信があるのが不思議なものだ。

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