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原体験の旅 02 2012 スウェーデン


2012年 スウェーデンの大学院に行っている高校の同級生から「大家さんが、あなたはもうすぐ大学院を卒業して国に帰っちゃうんだから、最後の夏の思い出にサマーハウスを使っていいよと言ってくれたので、誰か一緒に行かないか?」との誘いがあった。

彼は大学院の研究の一環で、半年ほどカンボジアに来ていた。そして、到底趣味とは思えない料理の手腕を発揮していた。彼から煮込み料理の腕が磨かれたのは北欧生活だと聞いて、行ってみたいと前々から言っていたのだ。

いく!そっちのサマーっていつのことだい?
だいたい7月頃かな
オーケー!その頃なら大丈夫。日にちを決めよう!
そういえば、◯◯と◯◯も今、確かヨーロッパにいるらしいから聞いてみる?近いし。

聞いてみたら2人とも即答で参加決定。
高校の同級生とはいえ、仲良しグループではない4人。だが、高校から今までの間の歩みがなんとなくおもしろそうという予感があった。こうしてスウェーデンのサマーハウスを満喫する旅が決まった。
年中サマーなカンボジアにいる私は、サマーハウスで何をするのかよく知らないものの、あいつらと行ったら楽しいだろう、という謎の確信があった。

7月のある日、スウェーデンの対岸にあるDenmarkのコペンハーゲン空港に降り立った。そこから海峡にかかる橋を電車で渡り、スウェーデン側のマルモという街へ向かう。そこが集合場所だ。

スクリーンショット 2020-05-11 午後4.43.43

左がデンマークで、右がスウェーデン 真ん中の橋を渡る


空港の出口で電車への連絡路を探していた時「マイマーイ!」と走ってくる小柄な影。
今回の旅の仲間のひとり、小柄なオオニシさん。約束はしてないのに、
バンコクから行くよって聞いてたから、フライトこれかなと思って出口で待ってたよ
とさらりと言う彼女は元野球部のマネージャでしっかりもので、気がきいて、そのくせそれを押し付けない、いいやつだ。

二人で電車に乗り、近況を話しながら、海峡と国境を同時に超える。最後にオオニシに会ったのは大学生の頃。互いにフランス、カンボジアに住んでいると知ってはいたが、それぞれがなぜそこにいるかは全然知らなかった。
電車で海の上の国境超えちゃうって新鮮だね
と話しつつ、30分ほどして降りた駅はもう対岸・スウェーデン。
隣町に行く感覚だ。
駅に電車が滑り込む頃、そういえばマルモで待ってるって言ってたクロちゃんと待ち合わせ場所決めてったっけ?
うーん、そういえば、決めてなかったよね

01 ラオスの旅と同じことがここでも。。)

クロちゃんは今回の旅の声かけ人。物静かだけど口を開けば辛口で、料理と音楽を愛する密かに多才な人。外見の”普通さ”を見事に裏切ってくれる男。
クロちゃんがしっかりしているから、大丈夫じゃない?
という完全他力本願で、とにかく出口に向かえばいいさ、と電車を降りた。
ホームから改札に向かうエスカレータを上がったら、正面に噂のクロちゃんが立っていた。

おお、さすが。
電車で来るなら、これか、この次のだろうと思って待ってたよ。
と涼しい顔のクロちゃん。
できるね〜
と時計付きの柱の下でしばらく立ち話をしていたら、今度は別のエスカレータから、最後のひとりトマダさんが上がってきた。

オオニシ・クロちゃん組はしっかりもの、私はお調子者、そしてトマダさんは風のようにふわりと自由。高校生の時から本質はそんなに変わってない。

お、みんないるじゃん。何時に来るかなーって時計見たら、いたよ。あはは

と、まるで住み慣れた地元の駅で待ち合わせするような軽やかさで現れた。

そこからレンタカーに乗って、サマーハウスがある山の中を目指す。

ところでさ、サマーハウスって何するところ?
いや、特に何もしないところだよ。いわゆる山荘。
あの辺はカリブーが出るらしいよ。
カリブー?
トナカイの仲間みたいなやつだよ。
とにかく山の中だから、まずスーパーに行って、1週間分の食材を買おう。

こんな調子でスーパーに行き、とにかくスケールのでかい北欧食材にぎゃあぎゃあ言いながら、丸のままのチーズとかパンとか一抱えくらい入ったジャガイモとか鮭の半身(半身なんて自分で買ったのは人生初!)とか、ディルというハーブとか、ビールとかワインとかをどっさり車に積んで、あとは初夏の緑と突き抜けるような青い空の中をひたすらドライブした。

このときの風景は北海道で過ごした子ども時代と重なった。幅の広い、車の少ない道と、その両側に連なる寒さに強そうな林の緑と広く青い空が、初めてのはずなのに懐かしい。私の感性の下地はこういうなかで磨かれたんだなぁと改めて心の根に出会う。カンボジアでも大きな自然に抱かれているけれど、あたたかい自然と違う、寒い地域の自然が久しぶりに鮮烈だった。

これ、googleマップ、ちょっと違うんだよな
とつぶやく、運転席のクロちゃん。
交通標識と、地名の看板を読みながら進むのだけど、北欧独特の子音が続く看板が難関で、
そろそろ近いはずなんだけど、あ、今の看板なんて書いてあった?
うーん、kとzとyが並んでた。けど、子音つづきでなんて読むかわからん!
とかいった調子で、いつもと違う文化圏に来たことを感じさせてくれて大いに盛り上がった。

夕暮れになる前に、山の中にある小ぶりだけどしっかりした一軒家のサマーハウスに到着した。
ね、これ、本当に一年に1ヶ月くらいしか使わないの?!
家のなかをひとしきり見てまわりながら、少なくとも3回はクロちゃんに確かめた。家具から、調理器具までIKEAでバッチリ揃っている。ものすごく素敵かつ快適で、まるで誰かの暮らしがさっきまでそこにあったよう。
テレビもネットも携帯も圏外なので、携帯はカメラと化した(のちに、それすらもだんだん使わなくなっていった)。

スーパーで買ってきた車いっぱいの食材を冷蔵庫に入れると、もう「やるべきこと」は終わってしまった。
さてさて、次はなにをしようか。
庭には芝生の広場にウッドテーブル、その先には納屋がある。夏の太陽が心地いい庭に出ると、野生のウサギがあらわれた。ピーターラビットの話は、こういう環境で生まれたのか!と妙な感慨にふける(国違うけど)。サマーハウスから見渡す世界は森と芝生と小さな畑とで構成されていて、自分たち以外の人および人工物がほぼ視界に入らない。環境は全く違うが、さながら大草原の小さな家のよう。

ぽっかりと時間ができた私たち。
まず、なにはともあれごはんを作ろうということになった。
広くて整然としていて、器具が何でも揃っているキッチンに入って、冷蔵庫を開け、今日の夜はこれかなーあれかなーと話しているうちに、4人とも結構な料理好きということがわかった。
これ、メインにしようか。
お、いいね。そしたら私サラダ作るわ。
ふむふむ、そしたら、これが合いそうだから、じゃあもう一品作ろうか。
おー!オーブンすごい立派なのあるね。これは使ってみたいねぇ
え、これ、何に使う道具?
ああ、それジャガイモの茹で具合を確かめる棒
それ専用?!

などと、自然な流れで4人全員でキッチンに入り(それでも全くぶつからない広さ!)、それぞれがなんとなく一品ずつ担当し、手が空いたら他の誰かを手伝い、そこからまたアイデアが生まれたら合わせて作っちゃうという決まりごとのない協働キッチンが自然な流れで始まった。

それからの数日間というもの、ひたすらに作り、ひたすらに食べた。

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起きて、ごはんを作り、昼を作り、夜を作り、夜の残りをアレンジしてまた次の朝ごはんを食べて、と「食べる」が世界の中心だった
朝を食べて、次のお昼までの間にお腹を空かせよう!と、森に散歩に行き、また昼をつくる。ああ、おいしかった・・!と嘆息して、そのため息とともに、夜はどうしようかと相談する。

そのうちお酒群が先に尽きたので、クロちゃんがお父さんみたいに額に汗してギアを直してくれたチャリに乗って、5キロ先のスーパーに買い出しに行った。

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自転車で5キロなら余裕でしょーと地図を見て(アナログ!)出発したものの、砂利道で、かつこれでもかというほどアップダウンの坂道。地図に入っている等高線って、このためにあるのね。

森の中を通る一本道のところどころに同じようなサマーハウスがポツンとあって、その間の林の中に、イノシシが土の上でゴロゴロした痕跡などがあったりした。
帰りの坂道のキツさとのバランスを考えて、棚に戻したり、やっぱり買い物かごに入れたりと苦悩しながら買ったリュックいっぱいのビールとワインを代わる代わる背に負い、高校生のような気合いを発して坂道を登った。

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そして、サマーハウス最後の日。
この夏、このサマーハウスを使うのは私たちが最後。持ってきた食材と大家さんが置いていってくれた期限がある系食材は食べきらないといけない。いけないってことはないんだが、ここまでの1週間「食」を真っ向から楽しんできた私たちにとって、捨てるっていう道はどうにも選び難かった。

冷蔵庫の野菜たちを並べてみて、朝から高さ5センチ以上もあるグリル野菜のサンドイッチを食べ、お昼までにお腹空かさないと!と近くの湖にボートを漕ぎに出かけた。
ボートが鍵付きの鎖でつながれて動かず、いやーもう無理でしょ、と諦めそうになったその時に鎖が外れたり、旅のミラクルはここでも起こり続けた。その源泉は、1週間しっかり作ってしっかり食べた私たちの体と心に満ち満ちているエネルギー。肩こりもきれいさっぱりなくなり、ひたすら内側から湧き上がるように元気で、起こることすべてが楽しかった。

全てが「食べる」ということだけを中心に回っていた1週間。
全員でつくり、全員で食べる。

ただこれだけのことなんだけど、ものすごく豊かに満たされていく。
誰かがスープを装う間に、別の誰かがテーブルクロスをかけて、誰かがグラスを並べ、ワインを開ける。
オーブンの中のデザートを待ちながら、みんなで食器を洗い、片付ける。

特別な活動や目的はないまま旅がはじまったのに、気がついたらそこに何かが満ちている。
デザートの残りとワインと時々コーヒーを挟みながら、カリブーが出てくるのを白夜でほの明るい窓辺にならんで待つ夜。
なかなか現れないカリブーにしびれを切らしてはじめた大富豪。
カードを挟んで交わされる、それぞれのこれまでの話。これからの話。
お腹を空かせるためにという、まるで鶏と卵のような目的でする探検。
ここにも、この時、この場にいる人たちの間から生まれたぎゅっと濃厚な瞬間があった。

そこに人がいて、ともに過ごす時間があるだけで、人はこんなにもゆたかになれる。

旅の最終日、各々のフライトの前にちょっと時間があったのでコペンハーゲンの街をチャリで散策。
舗装された道は、砂利道よりもはるかに楽。かわいいお店があって、美味しいカフェにも入ったと思う。
でも、この旅のことを思い出すとき、生き生きと、キラキラと蘇るのは
あのキッチンで我々のあいだに満ちていた不思議なエネルギー。

食べるということを通じて、そこに生まれた豊かな時間。
そして、それぞれのその瞬間の表情、場に満ちる笑い。

そのとき、確かに、私たちの間にあったもの。
満ちるってことは、じつはとてもシンプルなのかもしれない。


2020.5.9

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