なかごう まい
2024年4月19日(金)から5月12日(日)まで、京都・Photolabo hibiにて開催される【なかごうまい個展『光かと思ったあなたがまっすぐで生きてることがとてもうれしい』】の準備備忘録。 私の表現に対する考え方もたくさん散りばめながらの文章になるかと思います。 今しか書けない気持ちを書き記したい。
みなさん、お久しぶりです。なかごうまいです。 この度、素敵な巡り合わせにより、ライターのアズさんにインタビューしていただき、ひとつの記事にすることができました。 Threadsで出会ったアズさん。 紡がれる言葉の温度感が好きで、一方的に拝見していたつもりでしたが、とても嬉しいことに私の表現のことも好きでいてくださり… 相思相愛の私たちで、“共作”できたことがとても嬉しいです。 「表現者」として活動して5年。 大学卒業したての頃はコロナ禍真っ只中で、自分のことも未来のこ
2日前、数年ぶりに1人映画館を決めた。 何ならレイトショーは初めてかもしれない。 見た映画は『冗談じゃないよ』という作品。 主演の海老沢七海さんが企画、日下玉巳さんが監督脚本。2人がタッグを組み、クラウドファンディングで制作された自主制作映画だ。 まだ直接会ったことはないけれど、尊敬している同世代の写真作家の友人が見に行っていることを知り、さらには関西で1週間限定で公開するというのだから、これはもう、行くしかなかった。 すごくすごく平たくあらすじを述べると、30歳目前の売
今日、父方の祖父のモノマネをした。祖父は少し遠くにいる人に呼びかけるとき、揺れのある細めの発声で「お〜〜〜い」と呼ぶ。その声を思い出したとき、私は祖父の真似をしながら父を呼ぶ。「お〜〜〜い」。夜ご飯の準備ができたよ。私は親族の中で、もしかすると世界の中で一番祖父のモノマネが上手いのでは無かろうか。父は「似てるね」と笑ってくれた。 おじいちゃんが亡くなって、今年で10年になる。 白髪で、コロコロ笑って、孫とよく遊んでくれた優しい人。滋賀から北海道まで車中旅で行き、サービスエ
だめだめで、ださくて、惨めで仕方がない。 ここから離れている間も、「その時々の気持ちを書きたい、形にならなくてもいいから」と、何度もペンを取ろうとした。 けど肝心の展示の部分を何も進められてない(ようにしか見えない)のに、こんなこと書いてていいんだろうか。 そう思いを巡らせては書くのをやめていた。 約2ヶ月という時間が流れたのに、結局ここには何も残ってない。葛藤も一筋の光のようなものも、全部通過してしまった。 それらは確実に自分の中に流れているだろうけど、その鮮度は二度と
今感じている思考回路を書き出して自分の外に出さないと、心と身体がばらばらになってしまいそうだと急に感じ、(自分的にはマイルドぎみに)インスタのストーリーに書いて投稿した。 すると数分後、友人から短いDMが一通届く。 「あなた絶対病み期よね」 いやいやまさか。好きなことを目一杯チャレンジさせてもらっている私が? 否定してみようか、とかいう浅はかな回答が一瞬脳をよぎるけど、それは友人が聞きたい言葉ではないし、私が聞いて欲しい気持ちでもないから早々にやめた。 「わたし病み期か
私は言葉が好きだ。 けれど言葉に自分を委ねることが、得意ではないと思う。 もっと言ってしまえば、わずかな言葉に自分を託せるほど言葉を信じてないのだと思う。 私はおしゃべりだ。 対面であってもSNSであっても紙の上であっても、いつでもどこでもたくさん話すのが好きだ。 言葉に気持ちを込めるのが好きだ。全部伝えるのが好きだ。だから文章量で思いの丈をカバーしようとしてしまう。 それは、必ずしも全員にとって心地いいわけではない。 文章を書くのが好きで、たくさん書けること、いろんな
多分誰にも言ったことないけれど、年が明けるたびわたしは新年の目標に「作品集をつくる」と書いてきた。それこそ何年も。少なくともここ2−3年は確実に書いていたと思う。けど、まともに実現したことは一度もない。 なぜなら「何もわからない」から。何がわからないのかも分からないまま、念仏のように唱えていた。「サクヒンシュウヲツクル」。 じゃあ何で何もわからないのに作品集を作りたがっていたかというと「これ、わたしの作品集なんです!」って言ってみたかったから、だと思う。 …素直に書いてみた
多分本当は、金曜とか土曜とか日曜とか、月曜から金曜までお仕事の人が見やすい曜日に告知すべきものなんだろうけれど、入稿用のデータをいざ手にすると、ワクワクがどうしようも止められなくて、早くみんなに見せたくてしょうがなくなって週初めの月曜という(半ば意味のわからない)タイミングで投稿してしまった。 とはいえいいものは早く見せたい。ほかほかな気持ちのまま届けたい。だから1月15日月曜日19時の公開で間違いなかった。と思いたい。 「光かと思ったあなたがまっすぐで生きてることがとて
歌のテスト終わったけどここ数回で類を見ないほど あ、これダメだって自分で分かりすぎるものを 披露してしまって途方に暮れている。 先生からの講評もまじでごもっともすぎて なんかほんとに、どうしようもない。 落ち込んでいいほど手も尽くせてない。 それは自分が一番わかってる。 頑張れてないし何もかも足りないくせに “見せる”ことが癖で無意識にそれだけに注力してるような パフォーマンスだったんだなって。 どう歌いたいかなんて聞いてる人は知ったこっちゃない。 カバーなら「こう歌って
生きて、生きて 生ききった先に 辿り着く不気味さとまばゆさに 私はひどく酔いしれている _____ 実は私、27歳になる今年の春、写真展をするのです。 人生初めての、個展。なかごうまい、という名前で写真と、それ以外の表現を並べる空間が、できます。 先週はキービジュアルとなる写真が決まり、今日はついにDMのデザインが決まった。(キービジュアル決定の瞬間の話はまた後日。) 先週は自分の奥から湧き出てくる真理のような考えに触れることができてとても打ち震えたけど、今日は
仕事終わり心斎橋で歌のレッスンがあって、終わって、今帰り道。23時52分。もうすぐ日付変わるよなあってスマホの左上の時計をみやる。 自分の席の周りからはいびきが聞こえたり、寝過ごしかけた人が慌てて降りたかと思えば置き忘れたメガネを間一髪で取りに来たり、酔っ払いの人が通路を歩いたり、急に大きめの唸り声が聞こえたり。 日付変わる瞬間の電車ってそんなもんか。そんなのを自由だな〜と横目で見ながら、感じながら書いてみる。 なぜか分からないけど、ドアが開いたまましばらく西大路駅で止まっ
優しく生きれたらなって思います 自分にも他人にも身内にも世界にも 甘えや馴れ合いとはまた違う「優しさ」で この地球が満ちてゆけばいいのにとおもう 子供の瞳は澄んでいるのに どうしてそのまま大人になれないの? 全ての世代が冷静に物事を判断できる世の中であってほしい このご時世で難しいのかもしれないけど 不幸や嫌なことばかりに目を向けては攻撃したり 満たされていない鬱憤の捌け口を誰かに向けたり 怒りや鬱憤の矛先が顔見知りでもない赤の他人になることが多いってだけでも震えるの
「(ここで)どんなことを書きたいのか模索させて下さい」的なことを書いた4月18日の投稿。まさかの2019年?!1年も経ってしまっているではないか。しかも投稿数もわずか3。さあ3日坊主を脱却できるか、記念すべき4投稿目。一人くらい待ち望んでいてくれ。…嘘です、今ここまで読んで下っただけで感謝感激です(泣)ちゃっちゃと本題いきます。 …さてさて、大層なタイトルで始まってしまいました。そんなでかでかと書いてしまってええんか、私。「最終」目標ってついてしまってるで。寿命を良い感じに
火曜にスッキリを見ていたら「嫁グラフィー」の特集をしていた。 嫁グラフィーというのは旦那さんが自分の奥さんを撮影してSNSに投稿することを指すそうな。 私は写真撮るの好きやし、特に人が楽しそうにしてたり美味しそうにしてたりするとすぐ撮りたくなってしまうし、いい写真撮れたらインスタのストーリーとかに載せちゃったりするから、奥さんのきれいで可愛い瞬間を収められたら見せたくなっちゃう旦那さんの気持ち、すごいわかるって思いながら見てた。 それに最近、彼女さんとか友達とか「人」を
就活真っただ中、同期がもがいている中。そんな時期にあえて大胆な発言。 昨日の記事を読んでいい気持ちをしなかった人もいると思います(というかたぶんきっと多い)。ごめんなさい。 私は自分の世界でしか生きてなくて、何かに追い詰められたり何かのために身や心を削った経験がなくて、だから他人から見てこんな甘ったれたバカみたいな選択ができてしまうんだと思います。ちゃんとした受験勉強もしたことないし。誰かを蹴落として(という言い方が適切かはわからないけど)枠を勝ち取るぞっていうハングリー精
私の行動基準はずばり、 「今日が人生最後の日になってもいい」ように動く、だ。 どこかで聞いたセリフのような気がする?その人はきっと正解。「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることは、自分が本当にやりたいことだろうか?」最初はスティーブ・ジョブズの受け売りだったかもしれないけど、今では立派な私の行動基準だ。 「明日死んでもしゃあないなハハハ」くらいの気持ちで最近生きている。 まだ22になったばかりなのに何を言ってるんだろうと思う人もいるだろう。別に早く死に