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光かと思った07. 会うことができるというのは心底尊くて

今日、父方の祖父のモノマネをした。祖父は少し遠くにいる人に呼びかけるとき、揺れのある細めの発声で「お〜〜〜い」と呼ぶ。その声を思い出したとき、私は祖父の真似をしながら父を呼ぶ。「お〜〜〜い」。夜ご飯の準備ができたよ。私は親族の中で、もしかすると世界の中で一番祖父のモノマネが上手いのでは無かろうか。父は「似てるね」と笑ってくれた。

おじいちゃんが亡くなって、今年で10年になる。

自室のピアノ

白髪で、コロコロ笑って、孫とよく遊んでくれた優しい人。滋賀から北海道まで車中旅で行き、サービスエリアで話した人と仲良くなってその日のうちにご飯に行ったりする人。新しいもの、人と話すことが好きな人。お風呂屋さんだったおじいちゃん。お風呂屋さんの前はアコーディオン弾き。友人とバンドを組んでバーで演奏を披露してたらしい。私はお仕事を辞めた後のおじいちゃんしか知らない。
家にあるアップライトピアノで「う〜〜〜ん」と声を出しながらひたすら指を動かす練習をする後ろ姿なら知っている。鍵盤の上から下まで、何度も指をうねらせ、やがて終わる。何事もなかったのように日常が戻る。曲を演奏しているのは聞いたことがない。生前、母が「何か一曲弾いてください」とリクエストしたことがあるらしいけれど、「恥ずかしいから弾かん」と言われたらしい。そして誰もおじいちゃんが演奏している姿を捉えることはなかった。あのアップライトピアノは、何の曲なら知っているのだろう。

人が好きで表現が好き。でも全部は見せない。見せきれない。生き方や中身は、どことなくおじいちゃんから受け継いでいるような気がする。

破天荒だといわれていたおじいちゃん。確かに突拍子もないことを言ったりしたりしていたけれど、遺品整理をしている時に丁寧に作られた家族アルバムが出てきた。写真には「○○(父の兄)、○歳 小学校入学」「○○(父の名前)、生まれる」といったメモが添えられていた。親族の誰1人として知らずにいた、おじいちゃんの本質の一部。もっと話したかった。大人になった今、聞きたいことがたくさんあるよ。

水面を見ていると揺らぎながら生きてる美しさに触れる


現世に血縁関係をともなう「おじいちゃん」「おばあちゃん」はもうひとりもいない。
母方の祖母は父方の祖父と同じく10年前、父方の祖母は6年前、母方の祖父は2年前に亡くなった。
それぞれ私は当時17歳、20歳(私の成人式があった年の1月末。晴れ着で迎えられるように待っててくれたのかなあと思う)、25歳。

初めての別れから、そんなに歳月が経っていたなんて。何もかもが少しずつ、曖昧になっている。今やっているおじいちゃんのモノマネは10年前よりも、確実に下手になっている。

友達のおじいちゃんやおばあちゃんの話を聞くと、羨ましく思う。祖父母の、元気だった頃の姿を思い浮かべる。じっくり話したり、どこかに出かけた思い出があるとかそういうのはない。思い出すのは祖父母の家での佇まい、優しくしてもらったこと。親戚から聞いたことのある、面白いエピソード。形として手の中にあるわけじゃないから、だんだんあやふやになっているように思えて時たま切なくなる。

そしていつも思う。元気なうちに、写真、撮っておけば良かった。
こんなに写真を撮ることが好きなのに、私が撮った祖父母の写真は一枚もない。
わたしの眼差しで、残しておきたかったよ。元気じゃなくなった時も、もっともっと会いに行ってたら良かった。10代のわたしには、怖かった。まだ死を知らなかった。死に向かってゆく人たちを撮る勇気がなかった。ずっとずっと心残りだ。この心残りは一生続いてゆくのだと思う。そして、順番で行くと次に見送るのは両親。祖父母を撮れなかった後悔を拭うことはできないけれど、少しでも心残りを減らせるよう、両親の写真はことあるごとに撮っている。

2023年クリスマスイブ、両親とお気に入りのカフェでゆっくり過ごした日

死んだらもう、永遠に会えないということ。生きてるうちにしか会えないということ。

「会う」ことに半ば執着しているような今の私の価値観は、なんとなく、祖父母の旅立った10年前から始まっているように思う。
会うこと。目を見ること。言葉を交わすこと。果てしなく尊く、可能な限り実現したい。
「会いたい」と言ってもらえることは私の中で最大の価値だから、できる限り予定を調整してその人と会うようにする。だから私はよく人と会っている印象、友達がたくさんいるイメージを持たれやすいのかなと思う。個人的には交友関係狭めのつもりでいるのだが。

毎秒思えなくても、「今日が最後」だと思う。すると別れ際、ハグをしたり手を合わせたりせずにはいられない。だって次、いつ会えるかわからない。約束は永遠じゃない。生きて会えるかわからない。触れて確かめるだけじゃなく、目で見える形で残して安心したい。だから写真を撮る。あたたかさ、優しさ、あなたが私を見る目のかがやき。確実に生きて今一緒にいること。忘れたくない。ずっと憶えていたい。

2024年2月2日、人生初個展のDMがhibiのカウンターに並び始めた日

なかごうまい個展
『光かと思ったあなたがまっすぐで生きてることがとてもうれしい』

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[DATE]2024.4.19(fri)-5.12(sun)
[PLACE]Photolabo hibi @photolabohibi

[OPEN]
12:00-23:00(fri/sat/sun)
12:00-19:00(mon)

[CLOSE] (tue/wed/thu)


来月の今頃は人生初個展の会期真っ只中だ。はじめて出会う人もいるだろうけれど、今まで出会ってきた人たちもきっと、たくさん見にきてくれるだろう(見にきてくれると嬉しいな)。「この日に行くよ!」と連絡してくれる友人やお世話になっている人の顔が浮かぶたび、全員に会いたいと思っていた。だから全日在廊する未来を信じてやまなかった。
けれど、体力的にも気力的にもそれはきっと叶わない。展示をしながら、私は生きていくのだから。仕事もあるし、作品もつくるし、息抜きに遊んだりもする。「個展に全力投球の気持ち」に嘘偽りはないけれど、全力投球すぎて息切れしたり、その後の反動が辛くて生きていけなくなったら元も子もない。

だから、作品や空間や写真や言葉を、精一杯信じて託すしかないと思う。それらを通して、全員と「会いたい」。
直接会うことはもちろん最大のパワーであり原動力であり、私の核となる部分に違いはない。それを分かった上で、別の形の「会う」に、もっと注力したい。“なかごうまい”のアップデートをしたい。洗練された表現を纏いたい。

展示を見にきたら、もしかするとびっくりするかも。あなたの思い描くなかごーっぽくないかもしれない。けれど、私の目指す表現者”なかごうまい”の片鱗を感じてもらえたらな。浮かれポンチで元気なまいちゃんではなく、「なかごうまい」の現在地点を示せたらなって思っています。

いつも文章の最後、どう着地したらいいか迷う。けれどこれだけは。
久しぶりでも初めましてでも、どなたに来てもらっても大丈夫です。(入場無料です)
私と関わり深くないけど気になってるという方がちらほらいるのだけど、そんなこと言わず気にせず、ふらりとでもいいから、いまのわたしに会いに来てください。私もあなたに向かってまっすぐ会いに行きます。

私たちの人生の交点。この展示が座標となってくれることを願います。


2024年3月9日、フィルムカメラで撮ってもらったわたし


2024年3月25日 23時21分
泣いても笑ってもあと25日!凹むことや落ち込むことの方が多いけれど、1人でも多くの人に(直接じゃなくても)「会える」展示になるために必死に手を動かしているわたしより

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