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光かと思った 04. 少ない言葉で多くを語れ

私は言葉が好きだ。
けれど言葉に自分を委ねることが、得意ではないと思う。
もっと言ってしまえば、わずかな言葉に自分を託せるほど言葉を信じてないのだと思う。

私はおしゃべりだ。
対面であってもSNSであっても紙の上であっても、いつでもどこでもたくさん話すのが好きだ。
言葉に気持ちを込めるのが好きだ。全部伝えるのが好きだ。だから文章量で思いの丈をカバーしようとしてしまう。

それは、必ずしも全員にとって心地いいわけではない。

文章を書くのが好きで、たくさん書けること、いろんな言葉に言い換えて気持ちを伝えられることは間違いなく私の良さで、長所で、このエネルギー量に救われたことは私自身もたくさんある。今の職場で拾ってもらえたのもしかり、誰かと新たに繋がる時もしかり。

「ああ、あの、愛をいっぱい伝えてくれる子!」みたいな。そんな風に憶えてもらいやすいのかなと思ったり。

今の職場で拾ってもらえたことに関していうと、それはたまたま(と言ってしまったらよくないけど)ボスのeさんが私の人柄を知ってくださっていて、私の熱量が文章量に直結することも理解してくださっていたから、履歴書やメッセージを読んでくださって成立したわけであって。

命あるもの全員、時間は有限だ。
だから、その有限な時間の一部を「なかごうまい」に分けたいって思ってもらわないとだめ。なかごうまいの魅力を、もっと端的に的確に伝えるにはどうしたらいいんだろう。私はその点に関して、もっともっと考えなければならないと思う。

たとえば私のこと知らずにこの文章を読んでくれてる人がいたら、私を判断するための材料はこの文章しかない。
だから何となく読み始めたはいいけど、途中で飽きられたり「長いからやめようかな」と思わせてしまったら、元も子もないんだ。

ああ、文章自体もわたしの一部として発光していてくれたらなあ。全部が光ってなくていい。なかごうまいというきらめきが、要所要所、ここぞという時に、あなたの心の中にあってくれたら本望なのに。


キービジュアルを公開するにあたって、文章、実は3パターンほど練っていた。
パターンAが1,475字、パターンBが896字、パターンCが934字。全部で3,305字もあった。言いたいことがたくさんでいいね。けど、読んでもらわなきゃ意味がないんだよ。そう思ってインスタに載せるのはやめた。結局3,300字から一部を抽出して載せることにした。その文章がこれ。



光かと思いきや、光でないものが目の前で輝いている
好きなものだということは はっきりわかるのに
わたしはその存在をうまく言葉にすることができない

この感覚はなに?あなたはだれ?
まっすぐな何かがこちらへと向かってくる
そのことがわたし、とてもうれしいみたい


なかごうまい個展『光かと思ったあなたがまっすぐで生きてることがとてもうれしい』キーメッセージ

123字に全てを託した。わたしにとっては大冒険だ。
とても心許ない。もっと書きたい。
けれど、この余白と余韻に、伝わって欲しいものはきっと含まれている。

確固たる自分が、良くも悪くもありすぎる。だから、告知の文章であれ、作詞をするときであれ、誰かと関わるときであれ、余すことなく伝えたくなってしまう。
誰かと分かり合いたいとき、心を開くことは重要。だけど何もかも露わにしてしまったら、面白みは薄れてしまう。ミステリアスな部分があったほうが、人は引き寄せられるのでは?
私の表現には引き算が必要だと、痛感する日々を過ごしている。

私は個展に向かう過程につづるこの文章も、時間の経過、重ねた回数とともに、もっと上手くなっていって欲しいと、密かに願っている。

少ない言葉で多くを語れ。言葉の余白や余韻を相手に与えて、語らない部分に託せる勇気が欲しい。短い文章で的確に伝わる文章力を身につけたい。もっと、大好きな言葉を信じてあげたい。
言葉を信頼して、すっきりと軽やかな文章が書けていけますように。これからの私の文章の変化も楽しんでいってね。

パターンAやB、Cのかけらたちは、ここに集う方へ向けて、いつか綴れたらいいなと思っています。それではまた。

2024年1月20日13時55分
少ない言葉で多くを語れ、と言いながら1,800字の文章になってしまった…と頭を抱えているわたしより


とはいえ、1,000字を黙読するのにかかる時間は平均で1−3分らしい、今自分で読み返したらこの文章は1分50秒で読めた、ホッ
みんなはどれくらい時間かかった?これ、やっぱり長い?1記事1,000字以内が好ましい?

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