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蓋をしておきたかった話

Maiです。

一番最初にnoteを書こう!と思ってから、
何書いたらいいんだとか、眼精疲労がどうだとか、あーだこーだ言っていて随分日が経っちまいました。


重い腰を上げて、しょっぱなから重すぎる話をします。
人の生死の話がでてきます。苦手な方は回れ右してね、お願いします。


なんで改めてnoteを書こうと思ったかって、
声が聞こえたんだよな。

「まいちゃん、がんばって」って。



6月7月ってーのは、わたしの中医学の先生曰く、一番変化の時で。

自然界が夏の熱さをひと雨ごとに消している、そんな時です。

自然界とつながっているわたし(人間)もどうやらもれなく変化していて

特別なにがあったわけではないのだけれど

「わたしはこのままでいいのだろうか」とか
「本当にわたしはこれをやりたいんだっけ?」とか

時の流れに焦ったり、そんなイライラを家族にぶつけたりしながら過ごしていた、そんな時。


ふと、モヤモヤと考えている頭の中に
妹の声がしたんだよ。


そこで、まず
わたしがずっと、すごく身近な人にしか伝えられずに蓋をしてきた話をどこかに残さなければと思った。


本当は、声が聞こえたその次の日にすぐにでも書こうと思ったの。

でも、できなかった。
ずっと閉じてきた硬い蓋に、手をかけることができなかった。


あ、霊感とかはサッパリありません。
声が聞こえたって言ってるけど、ただ頭の中にふとセリフが降りてきた感じ。


じゃあなんで今日書いてるのかっていうと、夢に見たんです。

おじいちゃんと、妹の夢を見た。

8月1日、そう、地元では今日から3日間がお盆。

夢の中できっと、わたしに会いにきてくれた。
帰ってきてるんだなって思ったよ。



今から4年程前に、大事な妹を亡くしました。
自死でした。


わたしは勤めていた旅行会社の事務を辞めて、
単身バリにヨガ修行に行って帰ってきたばかりで、
(この話はまた今度)

しかも結婚して間もなくて、3ヶ月後に結婚式も控えてるし

とりあえず実家帰ろうかな〜って
帰った、その時が
妹に会う最後になりました。


わたしが東京に戻って1週間後、
妹はあっさりといなくなってしまった。


「まいちゃん、もう少しいなよ。仕事してないんでしょ」

わたしが明日東京に戻るって時に、妹が言った言葉。

そうだね〜、またすぐ来るよ、とかって返した気がする。

また、なんてのはどこにも約束されてないのに。

わたしがもう少し実家にいたら、なにか変わってたのかなとか思うけど、きっと一緒かな。



妹にもプライバシーってもんがあるので、
その時どんな状況で、どんなことを思い詰めててとかは詳しく書かないけど

妹はシングルマザーでした。

17の時に産んだ、わたしの可愛い甥っ子と
実家暮らしでした。


ちなみに妹は7つ下で、わたしと妹の間には弟が2人います。
わたし一番上のねーちゃん。


順番的には、わたしが先に妊娠して子育てして
妹が子育てする時に悩みも聞いてあげたいところだったのに

妹が出産した時、わたしはまだ25のヒヨッコで

育児のイの字もわかってなかったし、産後の精神状態がどうだとか

そんなことも微塵もわかってなかった。


自分が親になって初めてわかることが、これでもかとたくさんある。

なのになんか追い詰めるようなことをたくさん言っちゃったなあ、って思うよ。

あの時はごめんね。



享年24歳。
甥っ子は当時5歳。


若くして、どうしてその道を選ばなければならなかったのか。


可愛い幼い甥っ子に突然課せられた運命と、

年老いていく両親に与えられた重すぎる責任と、


いろんなことがわたしたち家族を蝕んで、誰にもこのことを話したくなかったし、話すつもりもなかった。

20年経ったら話せるかなあ、その時わたしは50すぎてるなあ、なんてぼんや
り思ってた。




「自死遺族」になってしまったわたしたち家族は、なんだか恥ずかしいような、とても悪いことをしたような、どうにも変な雰囲気にずっと包まれている。

もちろん人にベラベラ喋るようなことではないけれど。
でも、故人のことをたくさん話すことは一番の故人への供養だって聞いたこともあるよ。


自死、ということで「妹」その人のことまで蓋をしてしまうのはちょっと違うし、それはとても悲しいことだと思った。
忘れたくなかった。
風化してほしくなかった。
だから今これを書いているよ。



わたしが、ヨガや東洋医学を通してみんなに伝えたいことは
「自分を大切にしてほしい」ということ。


妹に直接、自分を大切にしてね、って言えなかったわたしが

自分を癒すためにしていることで、(たぶんね)
今世で自分に課せられた使命かなと思ってる。



亡くなる前、妹がすごくショックを受けるような出来事があって。

「死にたい!」と泣き叫んだこともあって。

SOSは出してくれていた。

だからわたしは、どんな時も自分を大切にしてねって、妹へ手紙を書こうと思ったんだ。


けど、思っただけで、書かなかった。
書けなかったんじゃなくて、書かなかった。

向こうへ行ってしまうなんて思いもしなかったから。
また今度でもいいかと思っていたから。


またいつかって思っていることは、できるなら今すぐにでもやった方がいい。これはわたしの教訓。
明日は来ないかもしれないからね。



で、そんな妹が
「まいちゃん、がんばってね」
ってメッセージをくれて、夢にまで出てきたら

まいちゃんがんばらないわけにはいかないじゃないか。

そしていつも見守ってくれているなって思ったんだ。
だからわたしは大丈夫。

自信を持って、生徒さんに
「自分を大切にすること」を伝えていける。

自分自身にも「自分を大切にすること」を一番大事にしながら生きていける。


いずれは、親を失くした子供たちへのチャリティー活動もできたらと思っていて。
どこまで今世で叶えられるかわからないけど。




自死で大切な人を亡くされた人のnoteをいくつか読んだけれど
みんな自分を責めていて、自分もあっちに行きたいと言う人も。

そう思う気持ち、よくわかる。
わたしの家族も表向きは元気にしているけれど、きっといつも心の中で自分を責めている。

そしてそれが体に病気として出てくるのも、わたしはよく知っている。


わたしは一緒に向こうに行きたいとは思わない。

後悔して後悔して後悔して、毎日泣いて笑って
与えられた命をちゃんと全うするべきだ。

生きられなかった人の分まで、自分のことを大切にする。
そうすると、自分を大切にした恩恵が周りへも広がっていく。

もう二度とあんな想いはしたくないから。
自分と、そして今いる大切な人を、これでもかと大事にするんだよ。

妹が教えてくれたことを無駄にしないように、これからも生きる。


わたしがこうやって書くことで、
誰かの大切な人が思いとどまってくれるといいな、っていうのも願ってる。



妹の名前は優衣(ゆい)といって、
お菓子作りが上手で、動物が好きで
まいちゃんのことが大好きだった。


なんと、わたしが沖縄で挙げた結婚式に参列するくらい。
さすが沖縄、式場に視えるスタッフさんがいて「妹さん、来てましたよ」と教えてくれた。


妹が働いていた和菓子屋さんの奥さんに、そのことを伝えたら
「来ていても全然不思議じゃないね。だってお姉ちゃんのことが大好きだったもの」と言われた。


生きて参列してくれたらよかったのにね。
そんな妹。




願いがひとつ叶うとしたら、
お金持ちになれなくてもいいから、優衣に会いたい。


わたしの体がいつか朽ちて動かなくなるまで、
しばらくそれは叶わないけれど

その時までまいちゃんがんばるよ。


久しぶりのこっちの世界はどんな感じですか。
満喫して楽しんで帰ってくれると良いな。

会いにきてくれて、背中を押してくれてありがとうね。




わたしが伝えたい想いの、源のお話。
読んでくれてありがとう。



Mai











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