見出し画像

『絶島』Ⅱ

2023年11月の東京文学フリマ戦利品のひとつ、『絶島』Ⅱを読みました。ほんとうはⅢも読み終わっていますが、感想が全然追いつかなくてさめざめしております。

表紙のデザインのしずかなうつくしさはさることながら、本の名前が最高です。絶島ということばに初めて出会った。遠く離れた島、という意味。世界にはたくさんの素敵な言葉があふれているのに、わたし、全然しらないのかも……とちょっとかなしくなるくらい、脳にヒットした単語でした。

メンバーの皆さんの歌も、全体的にしずけさに満ち満ちていながら、決して平坦ではなく、ところどころでもりあがりまた沈み込み……という起伏を感じる波のような連作。そしてエッセイの文章の雰囲気も、なんだろう、おひとりずつ個性があるのですが、良い意味での統一感を感じる。絶島にあつめられた文字たちだからかしら。総じて、好き! わたしの詠みたい歌、書きたい文章が詰まっているように思えて、好き!です。

好き好きマシンになりかけていますが、せっかく読ませていただいたので、特に気になった歌を引いていきます。ぶっちゃけ選ぶのがむずかしい、射抜かれる歌が多すぎて……。

※以下、敬称略

おやすみとうすく開いたくちびるを暴力の対義語で触った

「役立たず」/榎本ユミ

「暴力の対義語」ってなんだろうと考えさせられる。触るのは「指」であるはずだが、この歌でくちびるに触っているのは、消えそうなほどのやさしいもの。もしかして、主体のくちびるだったりするのだろうか。相手に対するふかい気持ち(愛情だけではなさそうな)を感じてしまう。上の句でひらかれた文字と、下の句の漢字表記とのコントラストが印象的。


ひさかたの銀河鉄道乗り遅れふいごで炎をそだてて暮らす

「カムパネルラのスケッチブック」/奥山いずみ

枕詞「ひさかたの」が「銀河鉄道」に掛かっているところに詩情を感じる。しかも主体はそれに乗るはずだったのですね。でも、乗れなかったから、ふうふうとふいごを吹いて、炎を絶やさぬようにして暮らしていく。まるでひとつの物語の冒頭がぎゅっと凝縮されたような1首。銀河鉄道に乗ってしまえばとおくで暮らせたけれど、ひかりや炎がないと生きていけないことを知っているから、いまは炎を「そだてて」いるのかな、と読みました。


解錠の音にひたりとふりむけば尿瓶みたいなかたちの夜だ

「白い井戸」/櫻井朋子

「尿瓶みたいなかたちの夜だ」をなんど頭のなかで繰り返したか……撃ち抜かれた表現です。たぶん主体はパートナーとふたりで暮らしていて、夜になるとその人が帰ってくる。かちゃり、と鍵が開く音、これはどこにいても聞こえてしまう。帰ってきたことはうれしいのだけど、うれしさだけではないような、ふたりの時間にどこか淋しさが潜んでいるような予感。「ひたりと」の語感と、下の句の「尿瓶」に親和性があって効いているように思った。


老いていくのはうれしいよ誰ひとりいない空港ロビーみたいで

「コメディ」/西村曜

老いていくのってうれしいことだったんだ、という純粋なおどろきと、そこからの共感性の高い比喩に惹かれる。空港のロビーはとてもひろくて、天井もずっと上にあって、もしあそこから人が消えたら……と想像する。どこかまっしろでがらんとしている。朝も夜も。音だってしない。自分だけが歩いていくような感覚、ひょっとすると自分さえもいないのかも。でもそこは単純な孤独ではなくて、あらゆる目的からはずされた場所としての境地的な印象を受けました。


未完成はうつくしい約束の名と信じるほうへすこしかたむく

「潜水」/早月くら

ちょっとだけ読みに迷ったのだが、それもあって気になる歌。たぶん「未完成」を全体の主語として読むものだと思う。ただ初読では「未完成」=「うつくしい約束の名」ととらえて、その帰結の仕方に魅力を感じてしまった。目指すところは「完成」であって、だからこそ「未完成」とは可能性でもある。さまざまな方向で待っている完成形のなかから、信じるべきところが定まればそこへ向かっていく。「信じる」と「かたむく」が響き合っていて、読み手も一緒にかたむいていくような心地よさがあった。


ふうせんの紐をはなしたことのある手のひらいくつもつり革にぎる

「明けの水皿」/文月さと

きっと、誰もが幼いころに経験しただろう。風船の紐はつかんでいないと空へ逃げてしまう。とても細くて頼りない紐。それをいつか、それぞれのその瞬間に放したのは、いまつり革に掛けている手だ。つり革に伸びる手は、なにか救いを求めているかのように上を向く。主体もそのうちのひとり。「ふうせん」「はなした」「にぎる」とひらかれた表記が、主体の感じる心もとなさやあっけなさを醸し出していて絶妙だと思った。


白ワインに氷を入れてマグで飲む 謄本の色は葡萄のさみどり

「鋏をいれる」/森山緋紗

上の句と下の句の具体性と取り合わせが秀逸だと感じて、この本全体のなかでも特に忘れられない歌です。白ワインに氷を入れる、のは(しないけれど)想像がつくのだが、マグカップでそれを飲むというところに主体の姿、暮らしがすこし見えるのがおもしろい。一字空けでひと息おいてから、前にある謄本の描写へ。謄本ときくと戸籍謄本を思い浮かべる。葡萄のすこし褪せた感じもするさみどりの色が、書類の質感も合わさって景に滲み出てくる。白ワインでややぼんやりとした頭で謄本をながめている。ワインの原料は葡萄だけれど、その関係性を直接的にとらえているようにはみえない。主体にとっては至極ゆっくりと流れていく時間なのだろうと想像した。


まなうらにあやめては泣く毎朝のきれいな泥のやうなねがほを

「くはがた」/朧

連作として読むときにいちばん印象に残ったのが「くはがた」でした。この歌のなんともいえない情感と、やはり「きれいな泥」の比喩の妙な納得感に惹かれる。夢のなかでなのか、想像でなのか、主体は「あなた」の死をみてしまってそれに泣く。一度きりではなくてきっと何度も。パートナーよりも早く起きて、となりにいる寝顔を見るのが毎朝のことなのだろう。旧仮名もあいまって、「きれいな泥」からはすこしだけ、老いの要素も読み取れる。一緒に老いてゆくわたしたちだが、「あなた」を「まなうらにあやめて」しまうのはわたしで、罪悪感がある。「あなた」のほうが年上だから、先に亡くなることを想像してしまうのかもしれない。文字以上に思いや背景が込められていて、読み応えのある1首でした。


今日は外がなかったでしょう カーテンがつぶす無臭の夜の断面

「零れてみれば」/涌田悠

まず、語りかけるような口調からはじまる上の句の意味を考えてたちどまる。下の句で腑に落ちるのと落ちないのとのあいだに挟まる。「外がなかった」というシンプルかつ奇妙な言い回し。たぶん一日中カーテンを閉めていて、そのまま夜になったのだと思う。「無臭の夜の断面」を「つぶす」という表現に、形容しがたい不穏さと無機質さを感じる。なのに主体は、だれに向かってだろう、「今日は外がなかったでしょう」とごく自然な雰囲気で話しかけている。人ではなくて部屋そのものに、かもしれない。はじまりから終わりまであやしい魅力を放つ1首。


エッセイも付いていてとても嬉しかった。櫻井朋子さんのお話はまるで小説のようで、ちょっとぞわぞわした。結末……はきっとないんだろう、ないことが結末なのだろう、と思っている。文月さとさんの連作は、エッセイを経てからまた読み直すとさらに感傷をふかく覚えました。そして涌田悠さんの、流れるような文体で進むながい一文を目で追っていくのがくせになりそうで、追体験しているような不思議な感覚。

島民の皆さん、代表の櫻井さん、素敵な島の空気を味わわせてくださって本当にありがとうございました。『絶島』Ⅲの感想もまたこんど。

前回の感想・レビュー


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?