見出し画像

QOOの実態

SNSをぽけーっと見ていると、必ずといっていいほどうつくしいお弁当の写真が流れてくる。インスタはまさに作ってる最中の動画もあったりして、ほどよくスピーディに編集されているのでついつい見てしまう。
そういえば昔、テイストメイドの動画を毎晩のようにながめていた時期もあった。自分ではぜったい作らないという前提のもとで、カラフルすぎるケーキとか、積み重なったバーガーとか、観客気分で楽しめるからいい息抜きになっていた。セルフ・飯テロではありましたが。

お弁当の動画をほんほんと眺めていたら、編集の成果もあるのかめちゃくちゃ手際よく見える。あと彩りが良すぎてびっくりする。ピックもいちいちかわいいし、たまごやきも「失敗しました(笑)」とか書いているわりに全然きれいだし、なんなら朝から唐揚げなんてつくってたりして、ほんとに朝!? 夜に前撮りじゃなくてほんとに!? と失礼な感想をもってしまうこともしばしば。朝から揚げるのってふつうなんですか……あんな手間のかかる所業を……すごいぜ……。そうしてくるくるとつくったものたちをお弁当箱にみっちり詰めて、ハイ完成! の瞬間がすごく気持ちいい。見てるだけで作ったことにならんかな。ならんですね。

ああいう動画は上から撮っているのがほとんどなのだが、どうやって撮影しているのかが気になったりする。カメラを上部に設置するとして、自分自身が邪魔しないように、手元だけ映るようにうまいことやっているのだろうな……。うっかり顔が映り込みそうになったら、瞬間的なエビ反りなどでごまかすのだろうか。大変だな。一度も撮ったことのない人間からすると、まず、撮影中!という緊張感のなかでお弁当をつくれる気がしない。そもそも撮れ高マイナスレベルのお弁当ということを忘れてはならない。

なにごともそうだけれど、スタートの頃はやたらと張り切るものだ。作り置きのおかずをちゃんと色違いのカップに詰めて、仕上げの胡麻やらパセリやらも欠かさず振って、抗菌シートを敷いて、まんざらでもなく蓋を閉めていた。
ところが冬になると、朝起きるのがつらい。お弁当のためにおふとんタイムを削ってなんの意味があるんでしょうか? いや、意味は大いにあって、QOO(クオリティー・オブ・オベント)には早起きは必須なのはわかっている。でも眠りの神に愛されてしまったがゆえしかたない。冷凍ブロッコリーがすべての彩りを担ってくれると信じ、もはやレンチンの時間も惜しんで、炊き込みご飯のうえにおかずたちを乗っけてラップして、食前チン!のどんぶり風仕上げに甘えている。楽だし、あたたかいのを食べられるからわりかし好評である。万一インスタで動画なんて上げてしまえば炎上必至のQOO。だれにも見せられない。あまりに短時間で済むので、夏までこの方法で粘ってしまいそうである。

Twitter(まだXと書けない)で登場するお弁当の写真も、立派な焼き鮭とか、冷凍食品ではない空気感をまとったお惣菜ズとかがはみ出さんばかりに詰められていたりして、蓋閉まるんかな……とたまに余計な心配をすることもあるが、とにかく同じお弁当をつくっているとは堂々と言っちゃいけないような気分になってしまう。お弁当ってもしや多義語? 魚を入れたことなんて一度もなくてなんだか泣きそうです。ツナでゆるしてください。


前回の記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?