丸裸のわたし
目標を見つけるために、
価値観を説明するために、
これまでの“経験”を振り返ろう。
なんていう言葉をよく耳にする。
その“経験”がなかったら、自分はどんな価値観を持った人間になっていただろうか。
今までの経験や置かれている環境など、あらゆる外的要因を排除したときに残る自分ー“丸裸のわたし”ーは、どんなものなのだろうか。
経験=確認マシン?
自己肯定感は高い。
ポジティブ。
細かいことは気にしない。
変化を好む。
ざっと私はこんな性格だ。
私の生い立ちを知っている友人や先輩と話すと、「色んな場所で暮らしたり、色々なものを見たりしたことが影響してるのかもね」なんて言われる。
たしかに〜と思う反面、色々な場所で暮らすという経験がなかったら、どんな性格になっていたのかなとも思う。
が、きっと、色々な場所で暮らすという経験がなくても、私の根っこは大して変わらないだろう。
“経験”とは、どんな環境でも、どんな経験をしても変わらない自分を見つけられる確認マシンと捉えることができるのかもしれない。
他にも、
自分はリーダー的立場が向いているのか、
補佐の方が向いているのか、
クリエイティブなことが向いているのか、
など、様々な立場や環境を経験したからこそ、見つけられる自分もいるのかもしれない。
これからの“経験”を選択できる今だからこそ考える
なぜ、“経験”について考えを巡らせていたのか。
色々な経験をするのが好きだからだ。
一方で、時間は有限で、やりたいことを全てやれるわけではない現実も知った。
だから、改めて経験というものについて考えてみたのだ。
「こういう経験をしたから、このように考えが変わって、今に至りました。」と、人はよく言う。
だが、私はまだ20歳。その“経験”の部分を選択することができるのだ。
“こういう人間になりたいから、この経験をする”という選択の仕方はしたくないが、「やってみたい」という基準以外に、“経験”を選択する際の物差しを持ちたい。
大人になると時間が短くなる理由
チコちゃん曰く、大人になると時間が短く感じる理由は“トキメキが少なくなるから”らしい。
さらには、実際の時間と体感時間の長さが同じくらいになるのは19歳頃らしい。それを過ぎると時間の進みがさらに早く感じるらしい。
トキメキが少なくなるのなら、より一層「やってみたい」という気持ち以外の基準を持つ必要性は今後高まるだろう。
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