「人を尊敬することができない」と思っていたけど大きな間違いだった

私はこの数ヶ月、あるスキルを学ぶために師匠のもとで学んでいた。

初めに決めていた期間にもう少しで到達するため、師匠にはもう出ていくようにと昨日言われた。

今になって後悔の念が出てきたので、次に同じ失敗をしないようにここに今の思いを書いておこうと思う。

私はそのスキルを、まずは「自分が習得すること」に目標を置いていた。師匠のもとでは「自分がスキル習得した上で人に教えられるようになること」までを目標として選ぶこともでき、師匠からは今までそれに関する私の意思を何度か確認もされた。

けれど私は人に教えるところにまでなる自信がなかった。そうなっている自分が想像できなかった。

数ヶ月を終えて、スキル習得はできたと思う。
なのでここ最近は、人に教えるレベルに行くことに少し興味が出てきた。

けれど、もう時間切れ。予定の期間は過ぎて、これ以上師匠から教わることはできない。

これまでの自分の行動を振り返ると、師匠が私にやらせてくれようとチャンスをくれても「負担だな」「面倒くさいな」「そこまでのレベルに行くことを今は別に求めてないのにな」と、後ろ向きな考えでチャンスを棒に振った。

「やらせてください」と自ら仕事をとりに行けばよかった。日頃から師匠に言われたことを復習して頭に定着させるようにしておけばよかった。

教えられるまでのレベルに行くつもりがなかったしても、高い方の目標を目指してやってみればよかった。

そのくせ「師匠の言い方は高圧的すぎる」とか「私の言い分も聞かずに指摘してくるのが嫌だ」とか、師匠に対する不満を感じることさえあり、全く"尊敬の念"というものが足りていなかった。

私は自分のことを「人を尊敬できない人間かもしれない」と思っていた。幼い頃から親に対しても反抗的だったし、職場の年長者に対しても態度には出さないように気をつけていたものの、反抗的な心を持つことが多々あった。

どれだけ地位のある人でも、丁寧語は使うにしても同年代と何ら変わらぬ心持ちで接していたので、ごく少数の年長者には逆に面白がってもらえた。だから「尊敬するってどういうことか、よくわからないけど、まぁこのままでもいいか」と思っていた節がある。

長く生きているからって何がすごいんだろう?
と疑問だった。
偉そうにしている人を見ると「この人がこのままだと、以後この人と関わる周りの人が大変な思いをする」と謎の使命感を感じ、反抗的な態度を隠さなかった。

他の人を見ていると、職場の年長者の理不尽に思える発言に対して、言い返しもせず素直に謝り従っている(私の場合、何回かは堪えられるけど、五回に一回くらいは耐えきれず言い返してしまう)。
「他の人はどうしていつも従順でいられるんだろう?自分もそうなれるものならなりたいのに、」と感じていた。生まれてから"尊敬"ということをした覚えがなかった自分は、自分の辞書には存在しない言葉なんだ、と半ば諦めていた。

尊敬する ってことがどんなことか、今までよくわからなかったけど、今は一つには「その人から何かを学ぼうとすること」かなと思う。

私は、この数ヶ月を初めに遡れるなら、師匠にどんな叱られ方をしても、"そこから何か学ぶ"ようにする。

師匠はその道に長けた人なのだから、言い方が高圧的だったとしても、理不尽な指摘に思えたとしても、発言の内容には何かしら学べる点がいつもあったはず。
それを私は、「言い方が気に食わない」という表面的な理由で、その言っている内容をよく噛みしめることもせずに突っぱねていた。

目の前の人から何か学べることを、とりこぼさずに学んでやろう!という姿勢が、はたから見れば謙虚に、相手に敬意を払っているように見えるのではないか。

それを私は今まで「年長者だからって何がすごいの?きっと中身はさほど変わらないでしょう」と侮って、何かを真剣に学ぼうとする姿勢がなかった。そしてその心は言動に滲み出て、反抗的な態度として相手に映っていたことだろう。

年長者は、自分にはない経験や知識を持っている。自分より若い人は、新しいセンスや情報に長けている。どんな人からも、何かしら学べることはある。万が一、悪いところしか見つからないような人でも、反面教師にすることならできる。

上司や身近な人に対する反抗的な、批判的な心が芽生えたら、「ちゃんと学べることを探そうとしているか」これからは自分に聞いてみる。相手の言い方や態度はどうあれ、言っている"内容"にフォーカスし、学べることや参考になることだけ抜き出して取り入れるようにする。自分にとって有益でないこと(例えばただの悪口や罵詈雑言)はスルーする。

どんな聖人君主でも一定の期間でストレスが溜まる。すると人は溜まったストレスをどこかで放出しなければならなくて、それでたまたま自分の上に悪口や罵詈雑言が降ってくることもある。けれど実害が無ければ気にする必要がない。

また、たとえば上司に対して批判的な、あるいは反抗的な気持ちが芽生えたら、それは仕事に対して「全力で向き合うことから逃げている」ということとイコールであることも多いと思う。少なくとも私の場合はそうだ。

今回の師匠との件に限らず、今まで私は仕事や
色々なことに関して「全力になること」から無意識に逃げてきたと思う。全力になった上で失敗するのが怖かったのかもしれない。片足だけ入れた状態での失敗なら「だって本気出してないし」と自分の中で言い訳することができた。

仕事に全力で取り組んでいないから、自分への問題意識や向上心がなく、それを私に持たせたいと暗に期待する上司からのアドバイスを"高圧的な指摘"と捉えて拒否していた という気がする。

今回、スキルを学び始めた頃の私はそれが色濃く出て、一度はもうやめてしまおうかと思った。けれどそのとき、「私が今やめたいと思っているのは、ハードルの高そうな挑戦から逃げたい気持ちがあるからだ。上手くできない自分を認識したくないんだ。」と自己分析して踏みとどまった。

するとその後すぐに、師匠との関係も向上して、スキル習得の過程が楽しくなった。

頑張ったら入れる温度のお湯に、片足だけ入れて、「熱すぎる」と文句を言っていたようなもの。我慢して全身浸かってみれば、さほど熱く感じなくなり、入っていることができるのに。

今回、私の失敗は、スキル習得がある程度達成できた後、新たな課題や目標を自分で作ることをしなかった。だから師匠に対する姿勢が「学ばせていただく」ではなく「やらされている」にいつのまにか変わってしまっていた。

「学ばせていただいている」相手は有難い存在だが、「やらされている」相手は、疎ましい存在になるのは、今考えれば当然のこと。けれどこうして書きながら頭を整理するまでは気づかなかった。

仕事に全力で取り組んでいれば、日々未熟な自分を自覚し、謙虚な気持ちになる。だから上司からの言葉を素直に受け止めることができるのだろう。

今度、上司に対して批判的・反抗的な気持ちが芽生えたら、
・その人から学べることを学ぼうとしているか
・仕事に全力で取り組んでいるか
・「やらされている」になっていないか

を自問することにする。

少し話が逸れたので戻ると、
尊敬すること とは今言った
「相手から何かを学ぼうとすること」の他に、
「相手の気持ちや価値観を尊重すること」でもあると思う。

昔、自分が小・中学生だった頃、私は周りの子たちに「侮られている」と感じて少し悩んでいた時期がある。だからその頃の私は「人から尊敬される人間になりたい!」なんて思っていた。自分は人を尊敬できないくせに。

今思えばそれも当然のこと。
その頃の私は、友達が何かを好きだと言えば「あれのどこがいいの?こっちの方がいいじゃん」と、友達の価値観を無自覚に否定していた。会話というのは意見のぶつけ合いで、誰かがAと言ったら、自分は別の意見で対抗しなければ面白くない、と思っていた。
「会話は意見のぶつけ合いなどではなく、共感が何より大切だ」と本を読んで知ったのは、30歳を過ぎてからだった。

こういう風に自分が相手の価値観や気持ちを否定していた(=相手を尊敬していなかった)から、それが鏡のように自分に跳ね返って、尊敬されなかったのだ。
価値観に"正誤"も"優劣"も無い、と知ったのも30歳を過ぎてから。これも本を読んで知った。

私が尊敬されなかったのは、侮られてきたのは、私が人を侮って尊敬していなかったからだ。
今noteを書きながらそれに気づいた。なんだ、ただの自業自得だったんだ。

年上はもちろん、同い年でも年下でも、「相手を尊敬する、尊重する」というのは人付き合いを円滑にするための必須ポイントという気がする。

相手を尊重する という意味では、「できるだけ機嫌良くいて、笑顔を向ける」というのも重要だと思う。

自分の不機嫌を隠すことなく人に接するのは「相手を尊重する」ことにならないと思う。
不機嫌な態度は人の気分を害する。
泥団子を人の顔にめがけてぶつけるのと、程度は違えど似たようなことだ。
何か嫌なことがあっても、無関係な人の前ではなるべく平静を装って、笑顔を向ける。それが「相手を尊重する」ということだと思う。


私は人を尊敬(尊重)することができないと思っていたけど、その方法を知らなかっただけかもしれない。

まとめると、これから私が気をつけたいのは
・相手から何か学ぼうとすること
・相手の気持ちや価値観を尊重すること
・人前で機嫌良く、笑顔を向けること

を徹底するということ。
そうすることが、すなわち人を尊敬・尊重することになるのかな と思う。

あとは、次にこういうことが起こらないよう、夜寝る前に、今日会った人の顔を一人一人思い浮かべて感謝の気持ちを念ずる、というのをしようと思う。
「感謝の気持ちを忘れない」ということを知識としては知っていたから、なんとなくできているような気になっていたけど、実際は全くできていなかった。

ここまでが反省。
反省点をざっくりまとめると
・感謝の気持ちが全く足りていなかった。師匠含め、周りの人に対して。
・もっと毎日、どんなに眠くても疲れていても、笑顔で挨拶をしたらよかった。
・目標なくなあなあになることは、教えてくれる人に失礼だし、関係を悪化させるので由々しき問題。もっと早く気づいて、気持ちを立て直せていればよかった。

ーーーここから自分の記憶用ーーー
この数ヶ月のスキル習得の経験を通して、自分のよかった点
・スキル習得を目標としていて、それが達成できたのはすごい!bは このグループの中で一番上手い と言ってくれたし、sはkよりうまいと言ってくれ、2回目にもまた褒めてくれた。
・師匠が厳しい分、私はお客さんの気持ちに寄り添うということができたと思う。aさんは私がいなかったら続けられなかったと言ってくれたし、t君は私が後ろにいて心強かったと言ってくれたし、gちゃんは私がいて助かってると言ってくれた。
・初めにやめてしまおうかと思ったときに踏みとどまって、師匠と良い関係になれてよかった。
・尊敬するということがどういうことか、ようやく自分の中で納得することができたから、これからは尊敬の態度を示せるはず。
・反省と反省から学習することが今回できたのは偉い!あとはこれを忘れないように。

以後こうする
・周りの人に感謝を持ち続ける、いつも「これがこの人に会う最後の日」というつもりで人に接する(特に笑顔で挨拶をする)
・物事や人の、良いところに注目する
・学ばせていただくという気持ちを持ち続ける
・人の価値観を尊重する
・高い方の目標を選ぶ(自信がないから、今はその気がないから、という理由で低い方の目標を選ばない)
・考えを整理するのに自分にとってnoteはとても有効。これからも続けて、自分をしっかり見つめる

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