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歪な円グラフな自分を、愛す。

そのままの自分を愛して欲しい。

誰かに。
そして自分自身からも。
条件のない愛が欲しい。

心の底で、皆が、私が願うことなのではないでしょうか。

いつか父がなんの前置きもなしに
弟と私に言った言葉

「これからどんなに僕が君たちのことを叱ったとしても

何をしたとしても、

僕は君たちのことを愛してる

それだけは変わらないし、忘れないで欲しい。」

もう、20年くらい前の話。

その日私は父の家で会う予定になっていて、
弟は徒歩で何時間も行く当てなく彷徨っているところに父から連絡があり、
たまたま近くだったので呼び寄せられたらしい。

その次に3人で会ったのは10年ほど後。東北大震災の数日後、赤坂見附のケーキ屋さん。

私は偶然震災の日にハワイから一時帰国していて、仄暗い見附の様子に、自分が出来ることの少なさに、かなり落ち込んでいた。1週間後にはハワイに帰って仕事が始まる…。こんな日本を置いていけないのに…。

そこで何を話したかとか、何を食べたかとか
どうやって別れたかはもう、覚えてない。
でもあの日3人で会えてよかった。

きっとまたいつものように、人が思いつかないような考えで私の悩みを小さく見えるようにしてくれたんだろうな。
でも、被災地の方々に敬意を払う…そんなことは言ってた気がする。

父は自分がこれから何をしても君たちのことを愛してる。と言ったけど、
私だって、
あなたが何をしても
してなくても、
ここにいたとしても、
いなくても、愛はなくならないよ〜☺️

すごい人なのに、喜怒哀楽が激しくて、人を傷つけて、傷ついてきて、でも平和な世界を目指して出来ることをした。
そんな父を、尊敬するし、愛してやまない。

みんな、そうだよね。
キラキラした、きれいな丸じゃない
シャボン玉🫧みたいで
そのすべてがきっと、美しい。

わたしが父に抱くような無償の愛で、
これからもいろんな方と接していきたいなと
また決意を新たにしました☺️🧡

昔話にお付き合いいただきありがとうございます😌💕

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日本上空の機内で機長さんが「ただいま日本で、とても大きな地震がありました。羽田には降りられないので関空に向かいます」

関空に着いてからも「飛行機が渋滞していてなかなか降りられません。燃料も少なくなってきました」あの緊迫した空気からの、地上に降りて乗客皆で拍手した一体感。

隣に座ってる人がたまたまハワイのミュージシャングループで、キャプテンの言葉を訳して伝えていたら、なんと仙台のフェスに出演予定だったり、ホテル取るの大変そうなので空港のベンチで夜を明かそうとしたらその人たちが私を見つけてホテルに泊めてくれたり…

震災の直後もいろんな人に助けられて助け合って過ごしてたなーーー。

あの時の皆が、自由に幸せに、暮らしてますように(^ ^)


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