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【自己紹介】英語の先生を目指した私が、ミャンマー語が話せるようになり、東京で広告代理店に入社するまで。

東京で働く社会人のまほです。
(親しい仲間からは「ぴーちゃん」と呼ばれています

今もし高校生の自分に会えて

「あなたは大学時代にミャンマーで暮らした後に、
東京で働くことになるよ」

と告げたら、きっと「え??」と驚くでしょう。

それほど、予測できなかった大学生活を経て、
今は東京で働いています。

そんな自分の自己紹介をしていきます。

英語の先生になりたかった

私は、海が近い愛知の田舎に生まれました。  

父は自営業、お母さんはパートで、ごく庶民的な家庭でしたが

習い事で英会話教室に8年間通いました。  

小4〜高校卒業まで毎週です。今思うとすごい。

続けられたのは、英語が大好きになったから。

教材費が高くなった高校生のときには

「お年玉で教材費払うから、続けさせてほしい!」

と親にお願いしたほどでした。

今でも英語が大好きです。

英語の好きなとこは、
通じあえたときの喜びを感じれるところ

これは英語に限らず日本語でもですが、
バックグラウンドが違う人と分かり合える
って嬉しいし楽しい。

世界中にいろんな言語があって
文化があって宗教があって、、
と多様性を感じるのも大好きです。

特に外国語で「わかる同士だけが通じる」って、
呪文みたいで面白い。

一方で、中学のときに「英語なんてキライ!」
と言う友人が多くいたので

「もったいない、こんなに面白いのに...」

通じ合える喜びをたのしく伝えたくて、
先生を目指してました。

そして、大学で教員免許を取るべく英米学科に入学。

ただ、教員以外の道も考えたいと思い、
「教育」学部ではなく

あえて外国語学部 英米学科を選びました。

卒論は英語で日本の教育問題について、
英語で書きました

ミャンマーへ行ったきっかけ

高校生のとき、「とにかく海外へ行きたい!」と

派遣団に応募して初海外でタイへ行ったのですが  

タイ人の高校生と英語で話して、

「母語が違っても英語ができたら分かり合える」と気づきました。


そして当時まだまだ途上国だったタイの雰囲気から、

「カルチャーショックを受けるような、途上国へもっと行きたい」

と思ったのと、国際協力にも興味があったので

大学1年生の時にボランティア目的でミャンマーへ行きました。


ミャンマーってどこ?

ミャンマーは東南アジアの国で、タイの左にあります。

公用語はミャンマー語です。

私の初めてのミャンマーは2014年。

2週間の住み込みボランティアでした。

なぜミャンマー?

大学の友達がフィリピンやカンボジアへ行くと言ったので、

「じゃあ私は、自分の周りの誰も行ったことのないような、マイナーなアジアの途上国へ行こう」

とミャンマーを選んだのと、

先輩の紹介でNICEというNGOを知り、

国際ワークキャンプ(住み込みボランティア)で
「子どもに英語で、英語を教える」という

ボランティアプログラムの紹介が
ちょうどミャンマーであることを見つけ

先生にも国際協力にも興味がある自分にぴったり!
と参加したのがきっかけです。

行ってみて、ミャンマーの田舎で目にしたのは

暗記教育に苦しむミャンマーの子どもたち。

暗記ができないと学年が上がれないので、
学校を辞める子も多い現実を知りました。

私が小学生のときは、図工や音楽が好きだったし

自由時間は学校の図書室で世界の国々の写真集や、
『かいけつゾロリ』とか読んでました。

なのにミャンマーには、
図工も音楽も、体育も無し。

図書室も、写真集も児童書も無いと聞き驚きました。

「暗記以外の学びの楽しさを伝えたい」と思い

私は帰国後に大学を休学し、  

教育NGOで絵本の読み聞かせを広めるボランティアを
1年間することにしました。

(別noteで詳しく書きますが、
この1年間は文科省のトビタテ!留学JAPAN
採用され奨学金で留学することができました。)

その後、ミャンマーでビジネスも経験したいと思い、

1年間インターンとして大都市ヤンゴンの会社で働いたので、

結局、2年間ミャンマーに住んでいました。

ちなみにミャンマーの人々全員が英語ができるわけではないので、
英語が苦手な現地の人や子どもと話したくて

2年間でミャンマー語を勉強し、
最後には通訳なしで現地の人と話せるようになりました。

ミャンマー人に間違われる日々。
子どもと話せたのは特に楽しかったです!

現地で通訳のお仕事をいただいたこともありました。

ミャンマー語を話せる外国人って珍しいので、

私がミャンマー語を少し話すだけで現地の人は
「わぁー!」と喜んでくれるし、
すごいねぇと褒めてくれるのでモテモテ、デレデレ。

ミャンマー語の勉強は苦ではなく、
すごく楽しかったです。

今でもミャンマーが大好きです。

そして、ミャンマーでの2年間は、
素敵な人との出会いであふれていました。  

「別々の国に生まれたけど、

前世は絶対、わたしたち兄弟だったよね」
って

自然に言ってくれた
ミャンマー人の親友も出来ました。

現地NGOの仲間たち

ミャンマーは仏教信仰が根強く、
輪廻転生(生まれ変わり)を信じる人にそう言われたのはとくに嬉しかったです。


ミャンマーで覚えた無力感

自分に貴重な出会いをくれたミャンマー。

ほんわかした、あたたかい空気があって
でも芯がある人が多く
強くてやさしい国です。

でも、発展途上のこの国での仕事は限られ、

日々の生活に困っている人々にも多く会いました。

田舎に行ったときに

「日本人なら、この村の状況が
どうしたら良くなるかわかるだろう?教えてくれ」

と村長さんに言われたこともあります。

貧困問題、ゴミ問題、教育問題...村は問題で山積みでした。

何も言えない自分。

無力感を覚え、帰国します。

東京でマーケティングを学ぶ修行へ

「英語の先生になりたい」と思って大学に入りましたが、

帰国後は教育実習に行かず、就活を選びました。


ミャンマーで感じた自分の無力さを補って、  

何か役立つスキルを身につけて、

私に貴重な経験をくれたミャンマーの人たちに恩返ししたい。


「マーケティングを学べば、
彼らの商売に役立つのではないか。

村でビジネスを起こす、またはビジネスで問題を解決するお手伝いができるのではないか。」

そう思って、東京のデジタルマーケティングの会社で働くことにしました。

今はまたキャリアコンサルタントを目指したり、
コーチングを習ったりして
極める専門分野の見直しをしていますが

手段は変わってもミャンマーの役に立ちたい想いは
いつまでも変わらないと思います。

私のしたいこと

最後に。

英語の先生を目指したのに今は会社員をしてますが

やりたいことは変わってなくて

「誰かが面白くないと言うものを、工夫して面白いものにする。

それによってその人の生活がちょっとハッピーになる」


これが私のやりたいことです。

先生なら
子どもに英語の面白さをちょっと工夫して伝え、
英語によって子どもの可能性を広げる。  

マーケターなら、
ある商品やサービスが世の中に認知されてなくても、
ちょっと冴えない部分があっても、
どこか工夫したら誰かに求められ喜ばれるものに変えることができるかもしれない。

ソーシャルビジネスであれば、
社会問題という日本では「意識高い」とくくられがちなものでも、

マーケティング思考で、誰もが取り組みやすいサービスや商品にデザインできるのではないか...。

そして今はキャリアコンサルタントやコーチとして
「人生っておもしろい!」と素直に思える人を増やせないか、と探求中です。

「つまらない、を面白いに変えたい。」は
すべてに共通しているので、やりたいことはあまり変わっていない気がします。

なぜマーケティングを選んだのか?

今、実際どんな仕事をしているのか?

また別のnoteで書いていこうと思います。

ミャンマーの子どもたち。僧侶キッズにも絵本は人気でした

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました。

これから頑張って投稿しますので、よろしくお願いします。

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